2016再会祭 | 胸の蝶・拾肆

 

 

今年の秋霖はひと際長い。

女は朝早く、まだ周囲が暗いうちに息を殺すように離れを出で、昼に差し掛かる頃に戻って来る。
そして俺が寝ていようが起きていようが、部屋の扉前で必ず小さい声を掛ける。
「ヒド兄様、ただ今戻りました」
返答がない事など承知の上とばかり、声の後に廊下の床板を小さく軋ませ、扉向こうの影が動く。

そんな繰り返しが一月近く。親の仇とも知らずよく続くものだ。

ヨンは頻繁に東屋に顔を出す。いつでも傍らに女人を護って。
そして物言いたげに俺を眺め、その黒い眸だけが訊いて来る。

変わらないのか。心は昏いままか。誰にも許さぬのか。

何故そんな眸で俺を見るのかが判らぬ。
黙って逸らす視線に、諦めたような息を吐き。

「パニャさん、最近どう?」
何も知らぬ暢気者は女人だけだ。そんな風に女に確かめ、マンボを交え賑やかな声が東屋に響く。

「ああ、ヒドは本当に良い子を連れて来てくれたよ。自分も朝早くからお役目だってのにねえ。
早々に帰って来るなり、いつもあたしを手伝ってくれるしね。そうだろ、ヒド」
「そ、そんな・・・当然のことをしているだけで、私は却ってお邪魔してしまって」
「邪魔なわけないじゃない!本当にえらいわ、自分の仕事だけじゃなく。ね、そう思わない?ヒドさん」

確かに連れて来たのは俺だ。
一言も話すなと告げたのを真に受け、この女は俺とマンボと女人以外には一言も発さぬ。
だからと言って、何故マンボも女人も二言目には俺の名を叫ぶのか。

「何しろぶっきら棒な男を兄さんって呼んで立ててくれるなんざ、パニャくらいしかいないね」
マンボはそう言いながら厨へ入ると、大声を上げた。
「おやおや、いやだよ!」
「マンボ様」
「マンボ姐さん?」

マンボの大袈裟な叫び声に、女と女人が続いて厨の中へ飛び込んだ。
暫し中で器の触れ合う音がした後、マンボが出て来ると何故か卓の上に音を立てて銭を置いた。
それを確かめ、続いて仁王立ちのマンボの顔を見上げる俺に
「悪いね。塩と豆が切れててさ」
マンボは言いながら、卓上の銭を指す。

「パニャと一緒に買ってきとくれ。豆一貫、塩一貫」
「あぁ良いよ良いよ、俺が行くよ姐さん」
雨に退屈していたシウルが気楽な様子で立ち上がると、マンボは何故かきつい目で奴を睨んだ。
「あんたじゃなくて、ヒドとパニャに頼んだんだよ」
「だって雨だぜ。二貫も担いで女連れじゃ、ヒドヒョンも」
「うるさい男だね。そんなに暇なら離れの掃除でもしとくれ」
「え、暇ってわけじゃ・・・」

鼻白むシウルに首を振ると、マンボは大声で厨の女を呼んだ。
「パニャ、ヒドと一緒にお使いに行っとくれ!」

 

*****

 

「・・・慣れたか」

雨の開京の川沿いを歩きながら、横の女に声を掛ける。
寺から連れて来た責はある。せめてその程度は訊くのが礼儀だ。
「はい、ヒド兄様」
こんな短い問いにも、女は嬉しそうに大きく頷いた。

「口を利かんそうだな」
「そんな事までご存じなのですか」
次に頬を抑え、困ったように下を向く。よく表情の変わる女だ。判りやす過ぎて此方が戸惑う。

「俺の所為か」
「所為なんて、そんな事は決してありません」
「話せば良い」
「田舎育ちなので・・・粗相するくらいなら、黙っていた方が良いのです。
私が何か粗相をして、ヒド兄様にご迷惑が掛かるのだけは嫌なのです」

一体何の迷惑が掛かると言うのか。俺には全く関わりない事だ。
「私は・・・」
女は声を切り、俺を見上げて再び迷うように口を開く。
「苦手なのです。殿にいらっしゃるお二方が。どんな方々か存じませんし、周りのどなたもおっしゃいませんが」
「僧と王族だ」
「それなら尚更、私などが口を利ける方々ではないです」
「・・・好きにしろ」
「はい、ヒド兄様!」
「おい」

呼ばれる度に体が痒くなる。何故そんな風に呼ぶのか。
俺を兄と呼ぶのは男らだけで良い。女が、ましてこの女が。
「はい、ヒド兄様」
「止めろ」
「え」
「兄様は」
「え、でも・・・」

女は眉を寄せ、考え込むよう指先を口に当てた。
「私よりは、お歳が上なのでは」

確かにそうだろう。女はどう見ても手裏房の小僧らより歳若だ。
年功の云々ではない。この女にそう呼ばれるのが我慢できぬ。
呼ばれる度に柄にもなく責められている気がする。
何も知らぬ女にでなく、殺めた父にでもなく、過去の己の所業に。

この女だけではない。俺の与り知らぬ処で、俺はあと何人こんな孤独な者を拵えたのか。
親を殺した相手を兄と呼び、その相手の言う事を素直に聞き入れ、外では言葉一つ吐かぬような者を。

「でもヒド様は男の方なので、姉様と呼ぶわけにも・・・」
その真剣な顔。この女、やはり馬鹿だ。

落ちる雨を睫毛に宿して、濡れたその目が俺を見上げる。これ以上雨の中で見つめ合う趣味などない。
「勝手にしろ」
「はい、ヒド兄様!」

吐き捨てて歩き出すこの背に、頷いた女は嬉し気について来る。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    マンボ姐 ナイス!
    ヨンもだけど
    ヒドも こちらが気をまわさないと…
    パニャ ウンスに似た天然加減ですこと
    ウンスに免疫をつけられてるから
    ま、まだまだ大丈夫でしょ(笑)

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