2016 再開祭 | 薺・後篇 〈 けーき 〉

 

 

「ヨンア、ちょっと待って。どこ行くの?」
「暫し」

暫し二人きりで話して頂いた方が良い。
あの朴念仁は俺達が居ては、思った事の半分も口に出せまい。

俺に出来るのはせいぜい剣で空を指すくらいの事だし、この方がこれ以上とんでもない天界の仕来りを口にするのも厄介だ。
二人の婚儀だ。二人が決めれば良い。
二人が最も心を動かされる、最も誇らしい嘉日として思い出せる、そんな誓いを立てれば良い。

しかし儀賓大監の御庭を勝手に散策するのも、客として礼に適う振舞いではない。
「イムジャ」
「なあに?」

あの二人の声の届かぬ、しかし姿の見える距離。
御庭に並ぶ蠟梅の枝の下で足を止め、この方に声を掛ける。

見上げる鳶色の瞳。寒さに凍てついた紅い頬。
包んで温めてやりたいが、大監の御庭ではそれは出来ない。
袖に隠してその両の手を温めるのが精一杯だ。

「けーきを喰わぬと、困るのですか」
「はい?」
「俺はあなたを、喰うにも困らせる事になりますか」

せめて饅頭くらいいつでも好きなだけ召し上がって頂きたい。
それすら困窮させるような羽目に陥るなら、守るとは言えん。

この方が食べる姿を見るのが好きだ。
腹の何処に納まるのか不思議にも怖くもなるが、美味そうに顔より大きな饅頭に齧りつくのを見るのが。
並んだ皿に目移りしながら、楽し気に選んで箸を伸ばす笑顔が。
おいしい、ねヨンア、必ずそう言って笑い掛けて下さる声が。

何を喰うかはどうでも良い。あなたといつでも共に喰いたい。
そして腹を空かせぬよう、足りねば俺の皿を差し出せるよう。
そう思って共に居るのに。

それなのにけーきを喰わぬと、それすら出来なくなるのか。
それでは到底護るとは言えん。体も、そして心も。
護るとは、つまり笑顔でいて頂く事だろう。心も体も。
俺はあなたの笑顔が見たい、それだけで共に居るのに。

言わぬ事ではない。知ればこうなると思っていた。
俺と為せなかった婚儀の則、もし他の者がそれを成したら。
成して幸せに暮らすのを見れば、絶対に後悔する。

あの嘉日それを為していれば、この方をより倖せに出来る。
そう思うのが判っているから、あの婚儀で良かったと心底思っているから、他の則など知りたくなかったのだ。
「けーきを喰います。今からでも」

如何なる理由であれ、道を違えるのは流儀に反する。
それでもこの方の笑顔が一つでも増えるなら。
「ケーキって・・・さっきのファーストバイトのこと?」
「はい」

けーきでも餅でも、切って喰おう。
チマに潜るや抱き合うやらは、この際聞かなかった事にして。
「婚儀より遅れても良いですか」
「ねえ、ヨンア?」

この肚裡の焦りを見透かすよう、この方は手を握り返しながら、三日月の瞳で俺を見た。
「私たちは、私たちの出来る最高のお式を挙げたでしょ?」
「はい」
「別にこれをしなきゃとか、そういう決まりはないの。みんな違うし、それでいいの。自分たちとお客様が満足なら」
「・・・はい」
「結婚式の時だけ頑張って、中身が伴わないカップルもたくさん見て来たわ。そんなの意味ない。
あの日ケーキを食べなくたって、私はあなたと一緒なら毎日が最高に幸せ。あなたは?」
「・・・」
「ねえ、ヨンア。あなたは?幸せ?」
「何故」

大監の御庭で答えるには余りにも気恥ずかしい程に真直ぐ問われ、逆に問い返す。何故。
「え?」
「何故、あの四つの事をおっしゃらなかったのです」
「よっつ?」
「ふぉーの事を」
「ああ、サムシングフォー!よく覚えてるのね」

あの時この方は教えて下さった。
借りる物。旧い物。新しい物。そして青い物。
王妃媽媽からの簪。母上の編まれた絹飾り。あの白絹の婚儀衣装。
月光の中で見つけた、目の醒めるような青い空の色のソッチマ。
あの天界の婚儀の則こそは、必ずお伝えすると思っていたのに。
「うーん」

答をはぐらかした俺に拗ねたように唇を尖らせ、この方が唸る。
「だって、あれは二人だけの秘密にしたかったんだもん」
「そうなのですか」
「どうして?もしかして言って欲しかった?」
「まさか」

ただ妙に寛大な処のある方だから、言ってしまうのかとは思った。
あの嘉日をこれ程大切に思う気持ちは、此方の方が大きかろうと。

チュンソクの婚儀の助け舟の積りで伺った。
それでも俺達だけの秘め事がある、そう考えるだけで迂闊にも心は弾む。

けーきでも餅でも饅頭でも、あなたが好きなら探して来よう。
美味そうな笑顔を見られれば、ただそれだけで満足だ。
あの日共に喰えなかった失態は、共に過ごす間に挽回しよう。
そして幾度でも誓おう。
嘉日にけーきは喰い損ねたが、あなたに腹を空かせる事だけはせぬ。

「イムジャ」
「うん」
「けーきとは、一体どのような」
「・・・やけにこだわるのね、ケーキに」
「はい」
「うーん。じゃあ今度挑戦してみるわ。小麦粉と玉子とバターにお砂糖・・・どうにかなるでしょ、多分」
「拵えるのですか」
「自信はないけど、タウンさんに助けてもらう。まあクッキーになる可能性も、なくはないわ」

くっきー。

新しく出て来た天界の言の葉に首を傾げると、あなたは嬉し気に俺の顔を確かめる。
「私が何を作っても、おいしいって言ってくれるよね?」
「無論」
「約束よ?これからずっとよ?」

差し出された天界の誓いの指を、己の小指で絡め取る。
その親指が此方に押し付けられる、こんなやり方にも慣れて来る。

チュンソク、少なくともお前の許婚は高麗の方だ。
俺とは違う苦労はあろうが、それもお前の選ぶ道。
指を絡め合いながら伸ばす視線の先、二人は難しい顔を突き合わせている。
この視線をご自分も追いながら、細い指の持ち主が困ったように笑い掛けた。

「戻ろうか、お2人がケンカになる前に」
「はい」

頷き合った俺達は積もる雪中、蠟梅の下をゆっくりと戻り始める。

 

 

 

 

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