「今は寺婢ですが、父親の存命中は金にも不自由なく育ったのでしょう。読み書きは出来ぬが、知恵は豊かです。
礼儀も確りと身についておるゆえ、ヒド様に失礼はないかと」
雨中に小さくなる背を見送りながら、住職は言った。
「遍照を知らぬのは確かか」
「あの娘が拙寺に辿り着いた時には遍照はヒド様と共に、開京に去っておりました。
遍照は此処におる間には、殆ど表へ出る事はせなんだ。托鉢にも回っておらぬゆえ」
知り合う機会は限りなく少ない。それでも全く無いではない。
水州がどれ程広くとも、この古刹で会わずとも。
この世には奇縁悪縁というものがある。
俺とて忘れる程の昔に斬った男の娘に、こうして再会したのだ。
「住職」
「何ですかな」
「あの女と遍照が繋がっていたと判れば、送り返す事もある」
「身の安全は保障して下さいましたな」
住職は俺が頷くのを確かめてから
「あの娘が無事で帰って来るのなら、それで構いませぬ」
安心したように静かに言った。
父親を手に掛けたからと、娘まで問答無用で殺める事はない。
しかし住職はそれが不安なのだろう。
俺に預けたのも、最初に身の安全は保障すると言ったのを言質に、あの娘を殺めさせぬようにする心遣いかもしれぬ。
一度誰かを殺めれば、その者の脳裏に生涯の殺戮者として残る。
たとえどれ程変わったと、口先でだけは誉めそやしても。
庭を霞ませる秋霖に眼を投げ、その細かな雨音に耳を傾ける。
それでも一片の悔いもない。誰の記憶にどう残ろうと己の過去は変えられぬ。
そして変わるつもりも更々ない。
誰であろうと弟の行方を遮る者の血で、隊長の鬼剣を汚す事はさせぬ。
その為にのみ、この鬱陶しい雨を眺めながら此処に居るのだ。
仏の前で片膝を立て、其処へ預けた黒鋼手甲を逆指で辿る。
その指の動きを認め、火鉢の向うから追う目が不安に陰る。
目の前の住職が何を知っておろうとおるまいと。
脅かすつもりはない。ただ思うだけだ。
俺も、ヨンも、そして手裏房の小煩い小僧共も。
ヨンの側を片時も離れず守るテマンも、そして迂達赤の奴らも。
誰もが等しく敵の血で濡れている。己の物差しの前に敵を斬る。
武官であろうと野に在る者であろうと、殺める事に違いはない。
だから誰もが惹かれるのだろう。あの太陽のような女人に。
何故なら裏心がないからだ。愚かに見える程正直だからだ。
口でだけあれこれ諭す坊主より遥かに胸に迫る言葉を吐く。
穢れを穢れと言い放ち、過去ではなく今だけを見ている。
そして何より大切なのは明日だと教えられている気がする。
当然のように明日の事を口にする。明日が来ぬ事をまず考える俺達とは違う。
だから護るのだ。何故ならヨンが護るから。
ヨンが無事なら明日が来ると無条件に信じられるからこそ、あの女人にも無事でいてもらわねば困るのだ。
結局こうして、俺ですら信じている。あの弟さえ無事であれば、必ず明日は来る。
明日が来るには、弟の無事を祈るなら、その傍らにはあの女人が居らねばならぬ。
何故ならあの女人が居らねば、ヨンが全てを捨てるからだ。
俺の過去が何だ。それを知る女がどうした。今為すべきは一つ。遍照を知らぬ女を見つける。
そしてそれが誰であれ、必ず開京へ連れて戻る。
気が乗らぬとすれば、何れその縁を知ったあ奴が、そしてあの女人が俺の為に心を痛めるかもしれぬ、それだけだ。
その為に隠してもらわねばならぬ。もしも知っているのならば。
俺の為でなく、俺の過去を知る女を側に置く俺を知った奴らが心を痛めぬように。
「ヒド様、お待たせしました!」
雨の中を女が駆け戻って来るまで、黙ったままで考えていた。
ヨンを、そしてあの女人を守る為、己の出来る精一杯とやらを。

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パニャをどうこうしようってんじゃないものね
結局 回り回って
自分のためになるのよね~