2016 再開祭 | 玉散氷刃・廿陸

 

 

「蒲公英湯と芎帰調血飲でいかない?」

春の典医寺の前庭に、宣任殿から戻るウンスの声が明るく響く。
キム侍医はその声に満足そうに頷いた。

「良い診立てかと思います。産後の瘀血を流すのが先決でしょう。腹も切っておりますから」
「じゃあ、まず出してしばらく様子を見ましょ」

ウンスは弾むように歩きながら、陽射しのせいで明るい胡桃色に透ける瞳で、横を護る黒い瞳を見上げた。
「秘密主義の誰かさんが守ってくれたおかげで、治療にかけられる時間が出来たもの。ね?」
「・・・ええ・・・」

キム侍医は遠慮がちに頷きながらそれでも能天気に喜ぶ気にはなれず、ウンスの逆脇からチェ・ヨンを見た。
「チェ・ヨン殿」
ウンスを挟んで横を向くと、思慮深い侍医の目が待っていた。
「こんなご決断をされるとは」

何も語らぬまま眸を逸らし、チェ・ヨンは再び春の前庭を見る。
取り付く島もない振舞いに、キム侍医は諦めたように続いてウンスへ声を掛けた。
「ウンス殿」
「うん?」
「此度の一件、ウンス殿の起こした事ではないとはいえ・・・私も今後、典医寺の守りについては再考したいと思いますが」
「うん」
「これ以上、チェ・ヨン殿の寿命を縮めるのはお控え頂かないと」
「分かった。私も軽率だったの。気を付ける」
「是非そうして下さい」

陽射しの下に広げた薬草の匂いを運ぶ春の風が、庭を歩く三人の髪を揺らして過ぎた。
ようやく雪の消えた庭の彼方此方で、慌ただしく立ち働く薬員、足早に行き交う医官。
そんな前庭の様子にキム侍医はチェ・ヨンへと頭を下げた。

「では、奥方に薬湯を煎じて参ります。チェ・ヨン殿」
相変わらず無言のままで、チェ・ヨンは去り際の侍医へ眸を流す。
「本当に申し訳ありませんでした。此度こんな騒ぎになった責任の一端は、私にもある」

頑迷に口を開かないチェ・ヨンが頷くと、侍医は苦笑いの後に治療棟への道を辿り、行き交う医官衣の人波に消えた。
「ヨンア」

キム侍医が立ち去る背を送り二人きり残されたウンスが、ようやく体ごとチェ・ヨンへと向き合って呼ぶ。
「ちょっとだけ、2人っきりで話せない?」
黙ったまま、チェ・ヨンはウンスの足の赴く方へと並んで歩き出した。

 

*****

 

春は木々の枝先からやって来る。
典医寺の裏庭の林は春の暖かさに誘われ、裸枝は見る間に小さな若葉を芽吹かせていた。

霞んだ青空を背景に枝先に散る幼い葉。
離れて眺めるだけでも柔らかさが判る。
一枚毟って掌に握れば、頼りなく潰れて緑の香の水が滴るだろう。

チェ・ヨンの黒い眸は横のウンスでなく、風に揺れる枝の緑の点を見詰めていた。

「ヨンア」
ウンスはその視線の先を追って確かめ、そして横の男へ目を戻す。
「怒ってるよね?」

いつもならこの辺りで根負けした低い声が戻る頃だ。
それでもチェ・ヨンは口を開かず、ただ顎先をほんの僅か左右へ振るだけだった。

そんなチェ・ヨンを見詰めたままで、ウンスは再び訊いた。
「どうして昨日の夜、帰って来てくれなかったの?」
「・・・コムとタウンが。テマンも付けておりました」
「そうじゃない。どうして”あなたは”帰って来てくれなかったの」

どうしてと言われても困る。今日の為の根回しをしていた。
帰宅どころか、仮寝の暇すら見つからぬ程に。
そう伝えるだけなら易い、そしてそれは真実ではない。
いや、真実の総てではないと言った方が正しいだろう。

何処まで話すべきなのか、そして話して判ってもらえるのか。
己の決断に未だに自信が持てず、チェ・ヨンは声に詰まった。

「私は話したかった。ちゃんと説明したかった」
言い募るウンスを見詰め、チェ・ヨンは小さく頷いた。
「あなたが公卿様の状況を知って、ああいう風に王様やみんなに説明してくれたのは知ってる。
本当にありがとう。でも昨日のうちに、2人っきりで話したかった」

話して何が変わるのだろうと、チェ・ヨンは思う。
ウンスは決して退かない。
もしも己が此度の公卿の罪を白日の下に晒し徹底的に追及したら、事態は悪化の一途を辿っただろう。
それで喜ぶ者は誰一人ない。ウンスも赤子も、赤子の母も。

だからチェ・ヨンに悔いはない。 それでも最後まで悩んでいた。
どう誤魔化そうと、肚裡の怒りと苛立ちは収まらなかった。

理屈は判る。同情の余地はある。

それでもウンスを拐した罪を帳消しに出来る程の事なのか。
黙って退く事が、あの男を赦す事が本当に最善の道なのか。

一晩中自問自答し、そして今でも判らないから、チェ・ヨンは口を開けない。

 

 

 

 

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