2016 再開祭 | 天界顛末記・廿玖

 

 

「今まで、何処にいらしたのです」
「散歩だ」
「雪の中を散歩、ですか」
「おう」

霏霏と舞い落ちる花弁雪を見上げて隊長は頷いた。
昨日までと同じ道とは思われん。
あれ程賑わっていた通りは人影もまばらで、真白い雪に覆われて碌に足元も見えん。

雪を見上げたまま楽し気に懐から国都図を取り出すと、隊長はその紙を俺へ手渡した。
「凄いものだ」
「そうなのですか」
「正確だ。沿って歩けば迷いようがない」

手渡された国都図に眼を落とせば、あの男に渡された時よりも印が幾つか増えている。
赤ではなく青でついた印や線。
「隊長」

足を止め眺めるその紙に舞い落ちる雪。慌てて畳んで隊長へと返し
「印が増えていますが」
尋ねる声に隊長は満足そうに、羽織る上衣の胸袋から一本細い棒を引っ張り出す。
「これで付けた」

隊長が棒の尻を指先で押すと、頭から小指の爪の先程の小さな銀の針が出て来た。
針先で畳んだ図の白い処をなぞると、その通りに青い線が引かれる。
「天界の筆だ」
「墨も磨らずに書けるのですか」

隊長は子供のように楽し気に、もう一度棒の尻を押す。
そして再び白い紙をなぞる。次に引かれたのは赤い線だった。
「色まで変わるとは」
「ああ」

こんな便利な物があるなら、部屋の卓上に硯も筆もなくて当然だ。
思わず唸りつつ、隊長の手にした棒を眺める。
「・・・医仙に、土産に持ち帰って差し上げては」

俺の余計な一言を不機嫌な顔で黙殺すると、隊長は無言で再び歩き始める。
「この増えた印は何ですか」
しくじった。慌てて雪の中を追い駆け横へ従いた俺が確かめると
「女人の宅、そして」

隊長は歩を緩める事なく、落ちる雪の向こうの道の先を見た。
「奉恩寺」
「ぽんうんさ」
「けいさつしょで侍医が言った。三日前、奇轍を奉恩寺で見たと。
あの弥勒菩薩は奉恩寺にあるという意味だろう」
「ああ、はい」

気の抜けたような俺の相槌に、訝し気な眸が戻る。
「チュンソク」
「は」
「天界に来た理由は憶えてるか」
「は」

そうだ。遊びに来た訳でも、懐かしい声を探しに来た訳でもない。
徳成府院君 奇轍を捕縛し連れ帰るために来た。それが成せ次第、天門から戻る。
当然だと頷いて、隊長へ頭を下げる。

頷く俺に眸を流し、隊長は雪の中に大きな雲のような息を吐いた。
「道を憶えろ」
「道ですか」
「今辿っている道。女人の宅から奉恩寺までの最短だ」
「判りました」
「この後、赤い印を手分けして探す」
「は」

隊長の指示には迷いがない。高麗であれ天界であれ。
これ程迷いなく決めて即座に動ければ、どれ程良いだろう。

「必ず帰る。一刻も早く」
その横顔にも低い声にも、そして進む歩にも。
雪であろうと晴れであろうと。
纏うのが麒麟鎧であろうと天界の衣であろうと。
俺の隊長はいつであれ何一つ変わらん。

これ程迷いなく歩ければ、揺らぎなく前だけを見られれば。

「チュンソク」
横顔を盗み見る視線にうんざりしたよう、隊長は前を見たまま
「俺の顔でなく周囲の目印を見ろ。二度は案内せん」

その声に俺は雪の中、急いで周囲を見回した。

 

< Day 5 >

 

「おはようございます・・・」
屋根部屋の扉の前で、小さく声をかけて返事を待つ。
屋上から見渡す真白なソウルの町。
ビルも道路も、久しぶりの明るい朝の日差しにキラキラ光ってる。
韓国に来てから、こんなに雪が積もった記憶なんてない。

歩きたいなあ。2日半もずっと寝てたんだもん。
ロスから来た最初の年に初めてソウルの雪を見た時は驚いたけど、
「それ程積もらんよ」
あの時おじいちゃんは教えてくれた。
「底冷えはするが、それ程積もらん」

窓の外を眺めながら繰り返すおじいちゃんに、あんまりうまくない韓国語で
「でもグランパ、外が白いよ」
そう言った私に
「ソウルは昔から寒い。これでも暖かくなった。ソナがうんと小さい時、遊びに来て一度だけ降った。覚えておるかな」

オンドルの床に座るのも初めてで、あぐらも正座も出来ない私に優しく笑いながら教えてくれた。
私がううん、って首を振ると、おじいちゃんが困ったように
「子供は雪が好きかと思っていたら、お前は寒い怖いと泣いてなあ。
ソジュンが手を引いて庭に連れ出して。二人で翌日熱を出したよ」

きれいな雪。優しいおじいちゃんの声。お兄ちゃんの名前。
あの時雪が降ってた。
おじいちゃんは体を弱くして、でも笑って側にいてくれた。
そしてお兄ちゃんはいつでも電話をくれた。
おじいちゃんは元気か、不便はないか。そう聞いてくれた。

息が苦しくなって、思わず手の平で口を押さえる。

大丈夫。大丈夫。おじいちゃんもお兄ちゃんも。大丈夫、忘れたりしない。

「はい」
その時、待っていた目の前の扉が静かに開く。
出て来たチュンソクお兄さんの顔が、私と目が合った瞬間に心配そうに曇る。
「お、おはようございます。良ければご飯、下で一緒に食べませんか?」
「ソナ殿・・・」

気まずそうに呼んだチュンソクお兄さんの後ろから、突然覗いた虎みたいな鋭い目。
「チュンソク」
「は」
「行くぞ」

扉の前をふさぐチュンソクお兄さんの背中にぶつかるように玄関先に降りたチェ・ヨンさんは、狭いポーチで靴を履いた。
続いて降りて来たビンお兄さんは、チュンソクお兄さんの肩に無言でポンと手を乗せると、困った顔で笑って首を振った。

 

 

 

 

1 個のコメント

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    天界の筆 すごいカルチャーショックでしょうね
    持ち帰れば 医仙はきっと喜ぶでしょうね
    でもさ 天界に行くって言ってないし…
    そう。
    天界に来た目的を果さなきゃね

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