「これは間違いなく高麗時代後期、1350年代から1380年代にかけ書かれた物です。
恭愍王時代以降から後廃王時代に。そして李氏朝鮮太祖、李 成桂の廟から発見されている」
さあ、聞きたかった結果ではないのか。先に君達が尋ねたのだ。
1608年なら問題なし。1395年なら大問題だと言ったじゃないか。
新入研究員を前に話をする度に、部屋に不思議な気配が満ちる。だから時を経た物は恐ろしい。
文化財の研究員として、言うべきではないから言わないだけで。
本当に正体の判らないものは、人の目に触れない場所にこうやってひっそりとしまい込まれる。
まるで存在しなかったものとして。
この話をする度に、妙な歪みを感じる部屋の中に場違いな空気を感じる。
完全自動で空調管理を施している部屋の中、エアコンの流れまで変わるような。
何処からか、クスクスと笑う声が耳元で聞こえる気がする。
困っちゃう、そんなに難しく考えないで下さい。
そんな気楽な女性の楽しそうな声が。
取りたいのは部屋の研究員の笑いであって、この笑いではない。
真っ暗闇の中で聞いたら、きっと幽霊と腰を抜かすに違いない。
情けない話だけれど、研究員だから怪談が得意なわけではない。
幽霊と歴史的文化財には、一切関連性はないのだ。
「高麗の貴族、若しくは王族のみが入手できるレベルの、最高級の紙。
当時の元、現在の中華人民共和国からの輸入品です。
最高級の墨。成分から歙州硯と判明している。
そこから鑑みて、これを残したのはかなり社会的地位の高い人間です。
発言者の自筆かどうかは別として」
その声に若い研究員の卵が一斉に頷く。そうだ、そんな事は分析結果や数値ですぐに判明する。
「でも・・・」
その中の一人が、ガラスケースの中を指差す。
「1350年から80年代では変ですよね」
「そうです。整合性が取れない。しかし分析結果の数値がそう言っているのです」
「そんな筈ないです、教授。1446年より100年近く前だなんて」
「経年幅を考えて、そして正確に」
「あ、96年から66年前だなんて・・・」
「宜しい。言う通りです。もしもその時間のずれが発生したとしても、当時の訓民正音は事大主義の下オンムン、卑語として扱われています。
貴族や高官、まして王室の人間がそれを使い文を残すのはかなり後世。我が国最古のハングル書簡は、公的には1490年に書かれた羅臣傑のものです」
いちいちこんな卵たちに指摘されなくても判っている。
けれど仕方がない。科学の分析結果が数値として言っている。
この文は1350年から1380年代に書かれたもので、そしてこの通り、ハングルが使われているのだ。
最後にご丁寧に 유은수 ユ・ウンスとまで署名を残して。
肝心の本文は一言だけだ。トラジとカムジャ。도라지 와 감자
一体何の暗号なのだろう。トラジとカムジャ。도라지 와 감자
毎年同じ光景だ。新入研究員はガラスケースを囲み全員が腕を組み、眉を寄せて唸り、それぞれ呟くことになる。
トラジとカムジャ。도라지 와 감자
1380年代にはこの世に存在しなかった文字と、絶対に当時の韓国人が知らなかった植物名を記した文を凝視して。
トラジとカムジャ。도라지 와 감자
まるで呪文か何かのように。
手掛かりがあるとすれば유은수 ユ・ウンスという名だけだ。恐らく女性名だろう。
しかし1350年代から1380年代を探しても該当する名がない。
柳氏に該当する女性は数名いるが、フルネームは残っていない。
李 成桂に関係する女性で柳氏という歴史上の人物はいない。
敢えて挙げるなら威化島回軍で捕捉、後処刑された高麗大将軍、崔 瑩と共に祀られている愛妾が柳氏だが。
それでは李 成桂がこの書簡を保管し、宗廟に置いたのは不自然だ。
そもそも宗廟は、李氏朝鮮の威光を知らしめる為に建立された。
その建国の為に犠牲にした高麗の英雄の妻の書簡を奉るなど、自ら謀反の罪を認める事にもなりかねない。
ただでさえ自身の太祖即位後、崔 瑩の罪を消し武慇の諡号を送っている。
自らの英雄視、神格化を求めて編纂した高麗史や太祖実録でも、他の功臣や王まで差し置き、崔 瑩だけが正規の列伝に記載されている。
愛憎紙一重というところなのか。
それとも余りに民衆に慕われた崔 瑩の名声を、その死後も利用しようとしたのか。
歴史の袋小路に迷い込むのはこんな時だ。想像する事は危険に繋がる。
空想はファンタジー小説やTVの創作だらけの歴史ドラマに任せるとして、事実だけを確かめなければ。
ユ・ウンスの残した言葉、トラジとカムジャ。도라지 와 감자
またそれを追いかけて、新入り研究員との新しい年度が始まる。

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そりゃ なんで?
だれ? なに?
ハテナだらけでしょ
研究員には ものすごく
興味津々 謎解きモードかも
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トラジとカムジャ…
桔梗と馬鈴薯…
ユ・ウンス…
歙州硯…
歙州硯って、「偽嫁御」のときに、ヨンが相手の高官に宛てて認めた返信の手紙を書くときに使った硯…?でしたよね。
豪快で美しい字を書いているヨンを、ウンスが誉めながら見ていた硯。
馬鈴薯って、ウンスのご両親が畑で作っていましたね。ウンスが、食べたい…って言ってた。
ちなみに、あのお話のとき
「端渓」はタンケイって読めたのですが、
「歙州」は、読めませんでした。
今回検索して「歙州」キュウジュウ と納得。
端渓より上って言うくらいの硯。
ヨン、それを使っていたのかぁ…て、今更感心。
さて、李成桂の廟で、ウンスのハングルの手紙が見つかっていた訳ですか。
これからの展開が、すごく楽しみです。
できれば、ウンスのご両親に、手紙が届くといいですが…。
歴史的価値がありすぎて、渡せない?かな?
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とっても興味深いはじまり方ですね!
さらんさん、相変わらず色々下調べされて書かれているんでしょうね。
知識の幅広さにはいつも感服しています^^
このウンスの残した暗号の様な手紙がどの様になっていくのか・・・
今後の展開も楽しみにしてます♪