2016 再開祭 | 一酔千日・後篇 〈 手裏房 〉

 

 

「ヨンの旦那!!」
この方を伴って酒楼の門を潜った途端、声と共にシウルが寄って来る。
歩く間にすっかり陽は落ち、宵闇と共にぐんと冷えた空気の中。
奴の吐く息が真白い煙のように立ち上った。
「何だよ旦那、久々だな!新年に今まで顔見せないなんて、冷たいじゃねえか」
競うように言いながら、チホも後から駆けて来た。

そうだ、こいつらも居た。この方に懐き、引き寄せられた奴ら。
「天女、元気だったか」
「うん、シウルさんもチホさんも。新年おめでとうございます。今年の福をたくさん受けてね」
「旦那と天女に会えたし、もう福だらけだな」
「うん。風邪ひいてないか。今年は年明けから寒いから。医者の不養生って言うしさ。
ヨンの旦那は、天女がいてくれるから安心だけど」

論より証拠。俺など二の次だ。
チホもシウルも口では何だかんだと言いながら、此方を一顧だにせず仔犬のようにこの方の周囲を飛び回っている。

そしてこの方はその男共に笑いながら頷いて
「大丈夫よ。チホさんもシウルさんも、ちょっとでも体調が悪いと思ったら、すぐにうちに来てね?こじらせるのが一番怖いから」
飛び回る男二人を脇にあしらい、酒楼の庭を並んで東屋へ向かう。

その笑顔がまずいのではなかろうか。
そんな風に微笑まれるから男共は尚更目尻を下げて、この方に懐くのではないか。

「おや!天女じゃないか」
奴らの騒ぎが届いたのか、続いて酒楼の厨から出て来たマンボが嬉しそうに相好を崩した。
・・・そうだった。男共だけではない。

マンボなどこれまで気紛れに居処を変えていたくせに、この方が高麗に戻って以来、すっかり開京に根を下ろしている有様だ。
今もそうだ。こうして俺達が並んでも、まずこの方に声を掛ける。
家族のように接してもらえるのは嬉しい。この方も心強いだろう。
相手がマンボや叔母上やトギであれば、素直に感謝出来るのだが。

複雑な気分でマンボの顔を眺めると、視線に気付いたか
「何を辛気臭い顔してんだかね、新年早々!福が逃げちまうだろ、笑いなよヨンア!」
大声で叱り飛ばされ背を叩かれても、そう易々と右から左に笑えるものかと、俺は無言で首を振った。

俺達の遣り取りを笑みを浮かべて見ていたこの方は、マンボが口を閉じた隙を狙って
「マンボ姐さん、新年おめでとうございます!」
そう丁寧に頭を下げる。
「新年の福をたくさん受けて下さいね。師叔は?」
「ちょっとばかり面倒事でね。年の末から江華に行ってるよ」
「大丈夫なんですか?」
「ヨンアと天女が来たって知りゃあ、兄者の機嫌も一発で直るさ。戻って来たら邸の方にでも知らせるから、また寄っとくれ」

それはそうだろう。あの酔いどれ師叔もこの方を妙に気に入っている。
「もちろんです!師叔によろしくお伝え下さいね、マンボ姐さん」
この方はもう一度頭を下げた後
「じゃあ、今晩は飲みましょう!みんなで一緒に!」
気を取り直すよう顎下で音を立てて両手を合わせ、大声で言った。

皆、で。

確かに一緒にと、そう言った。

新年だし、飲みたいな、一緒に。ね?

しかし一緒にとは俺とだけではなく、皆と一緒にだったのか。

重々判っている。何故この方に誰も彼もが引き寄せられるのか。
この方は分け隔てがないからだ。
武官も文官も、高官も下士官も、王様も王妃媽媽も、商人も農民も奴婢も裏稼業も一切関りない。
好きな者はとことん好いて、嫌いな者はとことん嫌う。
相手の威光に媚び諂う事も、逆に虚勢を張る事もない。

そして俺以外のこの方に惹かれる者らは、考える事すらなかろう。
この方の唯一の欠点。如何しても腑に落ちぬ点。
忘れられている気がするのだ。俺だけが特別なのだと。
余りにも、誰に対しても公平過ぎるから。

そうでなくば普通は言うのか。
年始の挨拶は礼節として理解は出来ても、敢えて皆で一緒に飲もうなど。
夢だと浮かれたのも、夢を現実にしたくて勢い込んだのも、独り善がりだったわけだ。

しかしこの方の一声にさぞ喜ぶだろうと思ったマンボは顰め面で首を振った。
酒楼の中には他の客の姿もなく、離れが埋まっている気配もない。
忙しい訳がなかろうに。

予想外の拒絶に、この方も不思議そうにマンボをじっと見た。
「酒がないんだよ」
俺達の視線を受け、ふて腐れた口調でマンボが言った。
「お酒が?」
「だから師匠は江華に行ったんだよ、旦那」

黙っていられなくなったのか、シウルが言葉を添えた。
「いつもの卸の蔵がさ、年末の大雪で潰れちまって。中にあった酒が樽ごと全部おじゃんだ」
「そうなのか」
「うん。師匠が江華の伝手に頼んで、酒を仕入れて来るって」
「だから出掛け前から機嫌が悪くてさぁ」

チホは両掌で大槍を弄びつつ、両の頬を膨らませている。
「年の暮れに酒なしでやってられるか!って。おまけに年の瀬の稼ぎ時だろ。ぶんむくれて江華に向かったよ。
姐さんも酒楼が開けられなかったから、俺達は新年早々こき使われるし」
「お前ら文句が言える立場かね!」

マンボの機嫌は、師叔が酒を持ち帰るまでは直らんのだろう。
今も怖ろしく低い声で唸ると、この方の脇にいるチホとシウルを据わった目で睨め付けた。
「さっさと明日使う菜を洗っとくれ。その後は水汲みだよ!
酒が出せないんだ。せめてクッパで儲けなきゃ、お前らだっておまんま喰い上げだからね!!」
「ああああ、判ったよ!」
「判ったから怒鳴るなよ、マンボ姐」

その一喝に若衆二人はようやくこの方の脇から離れ
「せっかく会えたのにな、旦那」
「俺らはこんなだからさ。師匠が戻ったらゆっくり飲もうぜ」

後ろ髪を引かれるよう幾度も振り向き、東屋の裏へ消えて行く。
口では俺にあれこれ言いながら、振り向く視線の先はどう見てもこの方だけに向いているが。
マンボは奴らの姿が消えてようやく
「そんな訳さ。悪いね、せっかく来てもらったのに」

明らかに俺ではなくこの方に告げ、厨へ戻って行く。
その背を送ったこの方は大層残念そうに息を吐くと
「仕方ないかあ・・・」
諦めきれぬように呟いた後で、
「じゃあ、ヒドさんにご挨拶して帰ろうか、ヨンア」

・・・ようやく思い出して下さったらしい。
小さな手のすぐ真横、指先を掠める距離で待っていた俺の掌を握ると、この方は東屋からヒドの寝所のある離れへと重い足取りで歩き始めた。

 

 

 

 

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