2016再開祭 | 加密列・柒

 

 

何事もなかったように踵を返し、天の医官は元来た道を歩き出す。
「白がお好きですか」
「え?」
「随分念入りに、衣を洗っておいでだったので」

典医寺までこのまま無言で並んでいては間が持たない。
場凌ぎに私が尋ねると、天の医官はこちらを見上げた。
「好きっていうか、癖っていうか・・・ねえねえ、そう言えば先生」
「はい」
「チョニシの手術室の壁は木製?」
「ええ、そうですが」
「うーん・・・チョニシの手術着を緑にする気、ない?」

天の医官を首を傾げ、私の顔を覗き込んだ。
「手術中はずっと血液を見るから、補色残像効果に陥りやすいの。基本的に先生が着てる上衣も白でしょ?
補色の緑がちらつくと、焦点が合いにくいのよ。だから手術着を緑にする気、ない?」
「手術着」
「ああ、えーと、ほら。手術の時に特別に着る服」
「・・・私は特別、着替えたりはしませんが・・・」
「ええっ?!」

ええ、というその大声に私の方が驚いて目を瞠る。
「だって、じゃあ普段のその服で手術もするわけ?それは衛生上、宜しくないわよ!!
あちこち歩いて、どうしたってホコリや汚れや大気中の菌が付着してるし」
「そういうものでしょうか」
「先生って、今一つ掴みどころがないわねぇ」

天の医官は呆れたようにおっしゃると、指を折り始めた。
「サイコ・・・あの人、私をさらった男に送り返してもらうまでは、一宿一飯の恩義があるから言っておくわ。
手術着は絶対必要よ。こんな抗生物質も手に入らないところでは特にね。
ここに来たばかりの時も言ったけど、これからサイコの再手術の可能性もあるし」

そこで唇を噛むと、天の医官は悔しそうに言った。
「抗生物質が手に入れば、少しは安心できるのに・・・」
今一つ掴みどころがないのは、まさにこの医官の方だ。
御自身で刺した隊長の腹の傷を今になってそれ程心配するなら、何故最初に刺したりしたのだろう。

「こうせいぶっしつ、とは一体」
「作った微生物を体内に入れて、他の微生物の成長を阻害するの。
阻害したい微生物に有効かどうか、実験してからだけどね」
「作るのは、難しいのですか」
「原理自体は簡単よ。液体培地に青カビを移植して、培養液をろ過して。
カビさえ手に入るなら材料自体は今あるもので、すぐにでも出来る。
時間がかかるのは薬効を調べる時ね。それでも数日かな。難しいのは培養時の温度管理だけど、どうして?」
「隊長の為に、役立つかもしれないのでしょう」
「まさか、作る気なの?!」
「教えて下さいますか」
「それは・・・私も責任があるし、構わないけど」

簡単だとおっしゃったではないか。それなら作るに決まっている。
一刻も早く。猶予はないと判っている。私もそして恐らく隊長も。
手術着。着替えが必要ならば着替えよう。
たとえ着替えの時間が無駄に思えようとも、患者の命と安全には替えられない。

「帰ればすぐにでも試します」
「分かった。でも青カビは?培養液は米のとぎ汁に芋の煮汁、分離のための菜種油に炭・・・寒天、だったと思うけど」
「青黴ですか」
「そうよ。カビは絶対に必要。その培養液をろ過するんだもの」

ありとあらゆる草木花、生き物、石、砂や土。医食同源と知ってはいても、まさか黴まで用いるとは。
やはり天界の医の知識は、私が太刀打ちできるものではなさそうだ。

知りたい。そして常に最悪の事態に備えねばならない。
もしも天の医官が帰るのなら、帰るまで。
此処に居て下さるなら、居て頂ける限り。
何一つ逃したくない。無駄なものなど何もない。患者を救えるなら黴でも何でも拾い集めてみせる。
「判りました。水刺房にでも聞いてみましょう」
「あ、あと1つお願いがあるんだけど・・・」

典医寺への帰り道の途中に水刺房、と考えていた私に、天の医官が珍しく遠慮がちにおっしゃった。
「何でしょうか」
「ミツロウとミントオイル、手に入る?」

青黴に菜種油、米の研ぎ汁に芋の煮汁、炭に蜜蝋・・・までは判る。
しかしみんとおいるとは一体何だろう。
やはり天界の智慧も言葉も自分の及ぶ処ではないと息を吐き、私は医官を連れ水刺房への道を歩き出した。

 

 

 

 

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