長い無言の後の返答に、もう一度胸に戻る温かさ。
顔を埋め直したあなたが安堵に吐いた深い息。
「但しあなたも約束を」
胸へと視線を落として言うと、その両腕が胴に廻る。
「うん」
「二度と拳の前を塞がず」
「だーかーらー」
「芝居など考えず」
「どっちも悪いと思ってる。ちゃんと謝ったでしょ?」
「謝罪ではなく、約束を」
「それは出来ないわ」
腕の中から返る拗ねた声。
俺には約束をねだって、ご自分は出来ぬと言うわけか。
「あなたが後悔するって分かってるのに、放っとくなんて絶対無理。これからだって同じことするわ。きっと何度でもね」
言葉の通り本当に幾度でもするだろう。この方はそういう方だ。
反省もしておらんし、改心する事もない。
俺の未来を知る為に鼠と婚儀まで成そうとし、俺の傍に居る為に命を懸け毒を飲んだように。
だからこそ幾度でも諭さねばならん。そんな事など望まんと。
「王妃媽媽を巻き込む事だけはお控え下さい」
「巻き込んだわけじゃないのよ。王様に会いたいってお願いしたら、すぐに会えるのは媽媽だけだからって」
「それを巻き込むと言うのです」
「じゃあガマンすればよかった?王様にあなたの本心もお伝えしないで、黙ってればよかったの?
誤解されたまま、あなたが辞めるのをただ見てろってこと?」
「己でお伝えを」
「しなそうな雰囲気だったから出しゃばったのよ。昨夜だって私に一言も言わなかったじゃない、辞めるって以外なーんにも」
薄闇の中にもはっきり見える。不満げに膨らませた頬が。
もう言い飽いた。この方には一言葉を投げれば十返される。
片掌でその頬を包み指先で膨らんだ頬を潰すと、あなたに向かって問うてみる。
「・・・菜と魚」
「はい?」
「何方が好きですか」
「野菜とお魚・・・野菜とお魚・・・?」
考え込むように声が途切れたその途端。
暗い庭の中、俺を抱き締めていた細い腰から小さな腹の音がした。
「そんなこと聞くから、お腹空いたの思い出しちゃったじゃない!」
体を離し、恥ずかしそうな大声が腹の音を隠すように上がる。
そうだ、今日は一日碌々喰ってもいなかった。
夕餉も急の来客に追われ、挙句の果てには逃げるよう庭を彷徨わせ。
それでもまだ此処に居たい。喰う事も楽しい事も好きな方だ。
まして家族の囲む卓、誰より張り切って世話を焼くに決まっている。
戻ってしまえば触れられん。全く邪魔者ばかりで厭になる。
「絶対にどっちか選ぶの?」
「はい」
「んー。難しいけど、じゃあ・・・お魚かな」
善し。
釣りは得意だ。もしも鬼剣を捨てた時には迷わず竿を握る。
今世ではなく来世でも、あなたが俺と共に居て下さる限り。
いつかはそんな日も来るだろう。
毎日長閑に釣糸を垂れ、誰の声も目も気にせず生きられる日が。
唯二人見つめ合い笑い合い、楽しい事のみをして過ごせる日が。
道が決まって頷いた俺に
「なになに?もうすぐ夏だし、みんなでバーベキューでもする?良いわねー、釣りたてのお魚とエビと貝で!
ちょうどいいわ。みんな来てくれてるし、日取りを決めよう?」
能天気にも程がある。この方はそう言って俺の手を握った。
「行きましょ、ヨンア」
「ばーべきゅーはしません」
「えーっ、そうなの?」
「はい」
握り合った掌を揺らして歩きながら、他愛もない話を交わす。
変わらぬものが此処にある。俺達の歩む道が何処へ続こうと。
この方はこれからも何かあれば、恐ろしく突拍子もない事を仕出かすだろう。
そのたび気を揉み、時に不安で、時に怒りで震えながら振り回されるだろう。
それでも諦める事だけはない。他の何を捨てても。
面倒を避けるのは癖でも、この方を避ける事だけはない。
「じゃあ夏になったら何するの?」
「鍛錬を」
そして場合によっては戦を。梅雨が明ければ状況も変わる。
元国内の荒れ方によっては奇皇后も紅巾族も油断は出来ん。
この方の預言とはつまりそういう事だ。
俺が役目に付くとは、戦に出続ける事。
位が上がるとは斬る敵が増え続ける事。命を奪い続ける事。
それを口にする事はない。すればこの方は傷つくだろう。
俺をこうして引き留めた事。そして天の預言を告げた事。
もしかしたらとうに判って、心を痛めているかもしれん。
倖せにする為だけに此処に居る。何と天秤に掛ける気も無い。
その想いだけが俺達を、望まぬ明日へ導くとしても。
「ヨンア」
「はい」
夜の庭の視線の先、居間からの灯がちらちらと葉影に漏れる。
其処まで戻って足を止めると、あなたは最後に俺を見上げる。
闇のせいで色を濃くした両の瞳にも、その揺れる灯を映して。
「愛してる」
どれ程この意に染まぬ事を言ってもしても、結局総て許してしまう。
ふざけたようにしか見えぬ振舞いも、呆れる芝居も、許されぬ程の大嘘も、拳の前に立ち塞がられても。
知っているから。それは何もかも、ただ俺を護る為の方便なのだと。
「はい」
頷いて歩き出す。灯の中で待つ、あの鬱陶しく騒がしい家族の許に。
俺達が戻るのを待ち箸も持たずに座っていた奴らが、この姿を見つけて上げる歓声の中に。
居間から庭へ下りて来た奴らに迎えられ、少し離れて居間へと歩く。
それでも人波の向こう、小さな姿から眸を離す事はない。
これだけの距離が淋しい俺が、この方と離れていられる訳が無い。
最初から無理だった。きっとあの時に全てが決まっていたのだ。
俺の先を、天の預言を知るこの方を、あの光の中で見つけた時。
それを知っている方と巡り逢ったから決まったのか。
決まっていたから、あの時ようやく巡り逢えたのか。
考えても埒は明かん。
判っているのは明日からまた鍛錬の日々が続いて行くことだけだ。
竿を片手に太公望を気取る隠居の日。
そんな日は今世で訪れるのだろうか。
その時も横に花の香はあるだろうか。
小さな手を握っていられるだろうか。
皇宮で贅と地位を極め肥えた狸爺になるくらいなら、あなたと二人質素な庵に住みたい。
川の畔の庵が良い。 庭に猫の額程の畑を耕し、山で薬草を摘もう。
そして小さな薬房を開こう。民を憂うあなたの為に。
あなたが患者を診ている間、前の小川で魚を釣ろう。
夕になったら火を起こし、釣った魚を焼いて質素な卓を囲もう。
雨の日は二人並んで落ちる雫を眺め、懐かしい話をしよう。
あの時は、こんな日が来る事など知らなかった。
そして俺はあの頃よりずっと倖せだと伝えよう。
あなたが居れば他の事はどうでも良い。今までもそしてこれからも。
愛している。最後の一息が終わるまで。そして次も、またその次も。
きっと隠居の年寄りの戯言だと、あなたは笑うだろう。
そしてその声を聞いて、少し臍を曲げながら思うだろう。
仕方がない。これが俺だ。変えられない。変われば俺では無い。
夢は上将軍ではなく、絶対に皇帝に見出される事のない太公望。
邸ではなく庵で、敵ではなく魚を捌く事。
そんな夢のような日が、この先いつか手に入るなら。
しかし今の現実は目前で卓を囲み、俺の声を待つ二十余人の顔。
明日からまた果てなく続く鍛錬と戦の日々。
望まずに見出された太公望に、出来る事などそうはない。
「喰ったら帰れよ」
「はい!」
卓の奴らの返答だけは、いつでも模範兵だ。
「明日からまた死ぬ程鍛えてやる。力を付けろ」
それでも構わぬなら、信じて慕うなら好きにしろ。この背を追って来い。
「・・・はい」
正直に小さくなった返答の声に、並んで箸を上げた叔母上とあなたが噴き出した。
【 2016 再開祭 | 黄楊 ~ Fin ~ 】

皆さまのぽちっとが励みです。ご協力頂けると嬉しいです❤
今日もクリックありがとうございます。

SECRET: 0
PASS:
ウンスには敵わない
ほんとに コモの言うとおり
ウンスに全てを話さなかったから…
いやいや 話さなかったから
よかったのかもよ(笑)
しあわせ 再発見♥
SECRET: 0
PASS:
さらんさまお盆も更新ありがとうございます。
お墓参りや親戚の集まりなど忙しく動く中で楽しみに読ませていただきました。
ウンスのひと芝居うまくいきましたね。
ヒヤヒヤしましたが…
たまに出てくるヨンの悋気に頬を緩ませていたら最後は甘々で明日からの仕事が気持ち良く始められます。
普通だったら嬉しいはずの昇格もヨンには必要なく、ウンスを護る事がヨンの全てで、ヨンを護る事がウンスの全て。
こじんまりした庵でウンスが患者を診ながらヨンは魚を釣る。そんな隠居生活を送らせてあげたいな~
素敵なお話ありがとうございました
神戸のヨンベはため息が出るほどカッコ良くて(私の中では今の髪型最強)幸せな時間を過ごしてきました。野外で見た花火にヨンベの歌声\(//∇//)\今年の夏1番です。
私の周りに確実に増えているヨンベファンに納得です
SECRET: 0
PASS:
さらんさん❤
リクエスト
こんなに素敵なお話に描いてくださって、
ありがとうございました(*^^*)
感謝感謝です❤❤
まだまだリクエストは続きますが
これからも楽しく読ませていただきます(^-^)