「・・・隊、いえ、大護軍」
苦虫を噛み潰したような顔でカイに向かい合い、チュンソクが渋る。
「何故俺が、こいつに手縛を教わらねばならんのですか」
「学んで損はない」
「それはそうですが・・・」
「足技が見事だ」
「そうなのですか」
「ああ」
雪を避けるにも、この小さな兵舎は天門の見張りのみに建てたもの。
室内の鍛錬場はない。
雪の積もる奥庭で白い息を吐くチュンソクと並んだ俺は、目前のカイへ改めて向き合う。
奴は得意げに笑みを浮かべつつ、俺とチュンソクを比べ見た。
「俺の指導は厳しいよ。覚悟してね」
相手は国境の黙家か、それとも奇皇后か。
その的は俺かあの方か、若しくはカイか。
何か漏れたか、それとも皇宮外で手薄になり襲撃を仕掛けただけか。
兵舎を急襲される懼れはないか。狙いがあの方、若しくはカイなら有り得る。
カイは天界の武技、跆拳道の遣い手だ。
あの見た事もない技なら、急襲を受けても対応は利こう。
天門から帰るまで、身を護る程度はしてもらわねば困る。
そしてあの技。あそこまで見事な足技は初めて見た。
腕力と腰に重点を置き組み敷く手縛とは違う。
何処から飛んで来るのか判らん足技は避けにくい。
どれ程厳しいとはいえ死ぬまでの鍛錬では無かろう。
肚を決め、俺はチュンソクと共に奴の言葉に頷いた。
「・・・ねえ、チェ・ヨンさん・・・まだやんの?」
「指導は厳しいと、お前が言ったろう」
「いや・・・確かに言ったけど・・・充分厳しくしたよ。あんた化け物?」
切れ切れの短い白い息が、立て続けに口許から吐き出される。
風の中汗をかいた体から白い湯気が午後の陽射しに立ち上る。
カイは肩で息をしながらしゃがみ、雪上から恨めし気に俺を見上げた。
チュンソクもさすがに少々息を切らし、額に浮かぶ汗を手拭いで拭う。
俺は未だ汗をかき、息が切れるまでには至らん。ただ温かくはなった。
冬の陽は短い。既に傾き始めた西空が赤い。
昼の温かさと入れ替わりに、足許から悴むような冷たさが這い上がる。
汗をかき冷え切って、風邪でも引き込めば意味は無い。
「続きは明日だな」
俺の声にチュンソクは頭を下げ、カイはうんざりしたように雪の中に大の字に寝転んだ。
******
「ウンスさん」
夜の兵舎は静まりかえってる。そもそも皇宮とは違うものね。
王様や媽媽がいらっしゃる訳じゃない。ここは天門の為にだけ建てた見張りの兵舎だって、あの人に教えてもらった。
しんとした部屋の中、あなたは何か考え込むみたいに腕組みをして真っ暗な窓の外を眺めてる。
そして私の頭の中には、カイくんの言葉が回ってる。
帰らないの?
帰りたくないの?
戦争のない場所なら、奴だって心配事が減るんじゃないの?
「ウンスさん?」
違うの、そういうことじゃない。言いたいのに上手く説明できなくて、声が詰まってもどかしかった。
私はここで生きてくと決めた。あなたと一緒にいつまでも。
あなたは他の世界ではきっと生きていけないって知ってる。
戦争のない世界で心配事が減ったとしても、残したみんなの事で心を痛め続けて、後悔の中でしか生きられない人。
紅巾族の事で開京が陥落する、でもあなたが大勝するって聞いても、仲間の誰かが死ぬなら意味はないって怒る人だから。
ああ、誰かがいるってこういう時にはやっぱりちょっと不便。
窓の側であんなに寒いのにずっと立ってたら風邪ひいちゃうわ。
側に行って抱き締めたいけどやっぱり無理よね。困らせちゃう。
カイくんに対しては、変なライバル意識があるみたいだし。
「ウンスさん」
パン!!
目の前で打ち鳴らされたカイくんの両手の音に、あわててあの人から視線を戻す。
あなたも驚いたみたいに、窓外を見てた顔をその音の方に振り向ける。
「これで全部だよ。少なくても、俺が覚えてる事は」
カイくんはそう言って、ハングル文字でびっしりと書き込んだノートを私に見せてくれた。
「・・・ありがとう」
文字の羅列を目で追って行く。
すごい。年代順にきちんと並んだ、国史の教科書みたいなそのノート。
1388年。変わらない。威化島回軍の文字に、分かっていても胸が痛い。
今、私の手にあるカードは?
イ・ソンゲとの取引に使えるジョーカーは、あの時書かせた自筆の手紙。
双城総管府で彼を助けた時、書いてもらった。私の頼みを必ず聞くって。
まだまだゲームオーバーじゃない。切り札は最後まで取っておかなきゃ。
「国史を勉強して、一番面白いのは高麗時代だった」
私の心を知らないカイくんは、独り言みたいにぽつりと言った。
「あのね。高麗って新羅以降に分断国家だった朝鮮半島を、936年に統一した国なんだ」
「ああ、三国時代ね。習った気がする」
「うん。新羅は統一したって言っても、国内が滅茶苦茶分断状態だったから」
「その辺は知らないわ。そうだったの?」
「そうだよ。それでね、高麗って名前は、高句麗を継ぐっていう意味で付けられたんだ。
これ程領土が拡大したのは、後にも先にも高麗時代だけなんだよ」
「興味深いわ。もっとまじめに国史の授業受けとけば良かった」
「李氏朝鮮には身分制度があったけど、高麗ではそこまで厳しくないし。
女性の社会的地位も、李氏朝鮮時代よりずっと高いよ。国教が仏教か儒教かって問題もあるんだろうけど」
「身分制度は有名な話よね」
私が鼻に皺を寄せると、カイくんは肩を竦めた。
「そうだね。両班、中人、常人、賎人。もともとは高麗時代からの社会制度らしいけど」
「私も細かい事は分かんないけど・・・」
カイくんからまた目を離した窓際のあの人に話しかける。
「ねえ、ヨンア?」
「はい」
「この時代の身分差別って・・・例えば、貴族じゃなきゃなれない職業とか、この職業は差別されてるとか、世襲制度とかってやっぱりある?」
突然の質問にあなたは私に顔だけ向けると、小さく首を傾げた。
そんな寒い窓際からじゃなく、横に来て話をしてほしいのにな。

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厳しいからね~って 言ったものの
カイくんもバテバテ…
お疲れ様です! きっと役に立つことでしょう。
ウンスも ヨンも何考えてたかな?
きっとお互いのことかしら
カイくんさえ 同じ部屋に居なかったら…♥
身分制度の始まり~?