2016再開祭 | 夏白菊・拾参

 

 

2人が出て行って急に静かになった薬房に、テマンの規則的な呼吸だけが聞こえる。
その呼吸音を聞きながら、ようやく椅子に寄りかかって、天井に向かって息を吐く。

息を吐いた瞬間に、押し寄せる倦怠感と疲労感。
自分で思った以上に緊張してたんだろう。
普段の手術でこんなに疲れるなんて、めったにないもの。

だからってあの人の前で疲れた顔を見せたくない。
ドクターとしての意地ももちろんあるけど、私よりもっと疲れてるのはあの人と分かってるから。
すぐ戻ります。
きっと言った以上、あなたは本当にすぐ戻って来る。
その時にぐったりした姿なんて見せたくない。

「・・・えいっ!」
小さなひと声で気合を入れて立ち上がって、店の奥に呼びかける。
テマンが麻酔から覚めてないから、出来る限り控えめな声で。
「す、み、ませーん」
その小声に店の奥から薬房のおじさんが飛んできてくれた。

「はい、医仙様」
「あの、水をお借りしたいんですけど」
「勿論です、裏に水甕がございます。どうぞお好きなだけお使い下さい」

おじさんは先に立って水甕の場所に案内してくれた。
案内された甕の横、お湯を沸かすかまどや薬湯瓶をざっと確認する。
ひとまず清潔そうだと安心する。ここなら薬湯を作っても土やゴミが混入する事はなさそう。

懐からハンカチサイズの手拭いを取り出すと、ひしゃくで汲んだ水で手拭いを濡らして、絞って顔を拭く。
「そろそろ麻酔が切れると思うので、托裏消毒飲を煎じておきたいんですが」
私の声におじさんは大きく首を振って
「私が煎じておきます。医仙様はどうぞ、少しでもお休み下さい」
そう言いながら薬房に戻って、必要な薬草を計り始める。

贅沢なのよね、この薬湯。
当帰に川芎、桔梗、皀角刺、陳皮、金銀花、人参、白朮、茯苓・・・それから、何だっけ?
おじさんが次々に木のトレイに載せる薬草を眺めながら、頭の中で生薬名を復唱確認する。
確か13種類だか14種類だか。
典医寺に帰ったらもう一度トギに確認して、チャン先生の医学書を読んで・・・

そんな事を考えながら、一礼して薬房を出て行くおじさんに頭を下げ返す。
そしてあなたが本当にあっという間に息を切らして走って戻って来た時も、テマンはまだ麻酔から覚めていなかった。

 

*****

 

「休んで下さい」
「うん、テマンが目が覚めたらね」
何度目だろう。
薄明りの薬房のベッドサイドで、あなたと同じ会話を繰り返す。
飲酒習慣のない患者には麻酔が効きやすい傾向があるけど、それはこの時代でも同じなの?

外は雨が降り始めてる。春の終わりの雨、でも梅雨にはまだ早い。
深夜の真っ暗な闇の中、窓の軒先を規則的に叩く雨音。
夜の静けさとテマンの寝息を一層引き立てる小さな音。

その雨音と寝息に耳を澄ませて、ただひたすらじっと待つ。

テマンは眠り続けてる。
遷延ほど深刻ではないかもしれないし、呼吸や脈拍に異常がない限り絶対覚めるって分かってるけど。
失敗じゃない。量に関しても多すぎたわけじゃない。
飲酒習慣のない患者は麻酔が効きやすい傾向にあるのは本当だけど。
だからって21世紀なら手術終了で吸入麻酔を切った後、覚醒までは30分くらいのものよ。

麻佛散。調合してるのはトギと薬員のごく一部だから、私は成分すらよく知らない。
いつも典医寺のストックを使ってるだけ。
調べなきゃダメよね。
トギやみんなを全面的に信用するのと、自分が投薬する薬の成分を調べるのは別の問題。

イライラして口に近付いた右手の親指に気付いて、急いで下ろす。
あなたは説得をあきらめたのか、そんな私を黙って見てる。
私が不安そうにしたらダメ。
そんな顔をすればこの人はテマンの容態と私と、二重に不安になる。

そして雨音にも飽きた頃、あなたがもう一度囁くみたいに言った。
「休んで下さい」
「うん、だからテマンが目が覚めたらね」
「もう醒める」
「そうなの?」

確認に満ちた声に驚いて横のあなたを見上げると、自信ありげな視線が戻って来た。
「はい」

ドクターには分からない何か。この人とテマンを繋ぐ見えない何か。
それともこの人の中にある、科学の目では見えない何か。
ドクターの私の診断よりも余程自信に満ちて、断言する嘘のない声。
誘われるようにベッドの上のテマンの寝顔をじっと見ると、閉じていた瞼が本当に動いた。

ゆっくり開いた目は、まだ少しぼうっとしてる。
でも確かにあなたを見て、テマンはきちんと言った。
「てじゃん」

その声にあなたの唇の端っこが、ほんの少しだけ持ち上がる。
頷き返しながらその口から飛び出すのはぶっきら棒で短い一言。
「馬鹿が」

私のあなたはいつも言葉が足りない。でも私もテマンも分かってる。
だってあなたは言った後、目が覚めたうつ伏せのテマンを起こす振りで一度だけぎゅっと抱きしめたから。

薄暗い部屋の中でもはっきり見えるくらい、テマンが真っ赤になる。
そして私もあなたも分かってる。テマンが眠そうな振りをして目元を握り拳で擦った理由。

ちょっとだけ、2人だけの方が良いかしら。
私は椅子を立つと店の奥に歩く。
「すみません、薬湯を」

そう言って私が出て行く理由をきっとあなたもテマンも分かってる。
家族だからこそちゃんと言わなきゃいけないのに、つい甘えちゃう。
分かってくれてるよね?だって私はよく分かってるから。
どんなに感謝してるか。どんなに大切か。
どんなに心配したか。重傷じゃなくてどんなに安心したか。

だけど口にしなきゃいけないのよ、ありがとうとごめんなさいは。
あなただけを言葉足らずって責めるんじゃなく、私も言わなきゃ。
まず薬湯を飲んだらお説教だわ。危険な事だけは絶対にしないで。

部屋を出る時振り返ると、あなたが呆れた顔でテマンの頭を軽くひっぱたくところだった。
せっかく男同士だけで話せるようにしたのに、口より手が先に出るようじゃ、先は長そう。
「あーあ、全く・・・」

聞こえるように大きな溜息をついて部屋を出て行く私を、残る2人は不思議そうに見送った。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    ほんとにもう 
    心配かけて~ しょうがないわね
    家族だから。兄弟だから…
    今までどおり 口より先に手が出ちゃう?
    あ~ もう ほんとに大丈夫だ
    ウンスも一休みできそうね。

  • SECRET: 0
    PASS:
    ウンスさんが正しい
    正しいんだけど、心配が安心に変わってついつい…
    ばちこっと、悪友の野郎どもには、手が…手がつい出ちゃうの
    いけないんです。ハイ(*´◒`*)
    でも、仕事が嫌っていいながら、無茶振りする奴ら何です。
    つい(*´◒`*)
    すみません

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