2016 再開祭 | 気魂合競・廿

 

 

テマンの問いに東屋の一同の目がその男へと注がれる。
トギは手にした擂鉢を卓へ戻し、脇のあの方へとにじり寄る。
チュンソクとトクマンは無言で席を立ち、男と己の距離を測る。
タウンがさりげなくあの方へ距離を詰めるよう、叔母上の脇から進み出る。

そして男もどうやらテマンが元の言葉を解すと判ったか、俺から目を離さぬまま、声だけテマンへ投げる。
「もしあなたがチェ・ヨンなら、渡したいものがあると」
テマンは男の声と俺の仲介をしながら、どうするべきかと視線で問う。
まだ動くなと小さく顎を振りながら、
「渡すものとは」

テマンがそう伝えると、男が懐へ手を差し入れた。
その刹那東屋の静けさが破られ、テマン以外の全員が一斉に動く。

タウンが一気に距離を詰めるとあの方とトギそれぞれの肘を握り、思い切り引いて男から引き離す。
チュンソクが男の真横へと寄ると懐に入れた手を引き抜く勢いで、腕ごと掴んで捩じり上げる。
トクマンは敬姫様を守る為に抱き締めた侍女殿を守るよう、女人二人を背に回す。
ヒドは手甲を引き剥がしつつ軽功で一足飛びに男の背へ寄り、後から廻した素手を男の首へ掛ける。
シウルが素早く弓を番えて背負う矢筒から引き抜いた甲矢を構え、チホの長槍の先が寸分違わず目前の男の心の臓に狙いを定める。
そしてコムは巨きな体で庇うよう、叔母上の前に立ちはだかった。

次の瞬間にはチュンソクに腕を捩じり上げられ、背後のヒドに素手で首を掴まれ、男は身動きも儘ならず俺を見ていた。
毛筋ほどでも動いたが最後、ヒドが風功でその喉を掻き斬るのが先か、チュンソクが捻り上げた腕をへし折るのが先か。

男の声がもう一度響き、テマンが困ったように呟いた。
「懐に文が入っているのに、これじゃ渡せないって・・・」

同時にコムの背後で太い溜息が聞こえ、小さな叔母上が其処からするりと姿を現した。
「どいつもこいつも気が短過ぎる。相手の話は最後まで聞け」

そう言いながら男の脇へ寄り、腕を捻り上げたチュンソクを睨む。
その一睨みでチュンソクは根負けしたよう、男の腕を自由にした。

次にヒドが睨まれたが、奴も顎を上げその叔母上を半眼で見返す。
叔母上は苛つように奴の素手を掴むと、男の喉から無理矢理外す。

続いて此方へ歩み寄った叔母上の速手がシウルとチホの頭を次々叩く。
鈍い音と共に俺の両脇から突き出た矢と槍の穂先が揺れた。

それでもトクマンとタウンはそのままに、叔母上は俺を横目で確かめる。
言葉の通じぬ男相手に、臆する様子もなく高麗語で堂々と言い放った。
「で、この男に渡したい文とは」

勢いに呑まれたよう棒立ちのテマンは叔母上の肘鉄を脇腹に喰らい、体を折りながら相手に伝える。
男は一同を確かめて再び懐へ手を差し込み、其処から一通の文を取り出すと俺へ向けて差し出した。

俺と男の間に立つテマンが先ずそれを受け取ると、そのまま俺へ手渡して来る。
受け取って開くと眸に飛び込むのは、その見事な漢文の手蹟。

落款と、そしてあの男の署名。

墨色もそして字体も、これ以上ないほどあの男に相応しかった。
骨太のやや角ばった堂々たる筆運び、其処に簫の優雅さはない。
夜を彩る嫋嫋とした簫の音。そして硬く重々しい手蹟。
托克托自身、その何方にも傾かぬよう己を律してしているのだろう。

互いに武の道を行かねば奴は笛吹に、俺は漁夫になれただろうか。
人を殺める事もなく、下らぬ政にも巻き込まれずに、平々凡々と。
そんな事を考えながら手渡された文に眸を通す。

簡単な時候の挨拶、消息を尋ねる決まり文句の後に記された一節。
「・・・獅子」
口を突いた言葉の切れ端に、目前の男がテマンを介さず頷いた。

しかし戻って来た返答は相変わらず俺の耳に意味を成さぬ。
「獅子はアルスラン、年に一度の大会で優勝した戦士に与えられる称号だって」
「では巨人というのは」
テマンの声に男は胸を叩いて見せた。
「獅子がもう一度優勝すると、巨人になるって」

頷きながら読み進める托克托の文は、何処か逼迫したものだった。

─── 古来より戦の定石、敵の敵は味方。崔瑩、そなたなら判ろう。
元の戦士を送る。この文を届ける者は送る戦士中の最高位、巨人。

そなたになら預けられる。この戦士らは絶対にそなたを裏切らぬ。
何故ならそなたを信じるのでなく、送る私の意志を汲む故に。

この後私がどうなろうとも、この戦士らは必ずそなたの役に立つ。
草原を共に駆けた礼、最後まで共に戦えなかった詫びの代わりに受け取るが良い。

私の戦士は裏切らぬ。それが真の戦士ならば。
そなたの兵が絶対にそなたを裏切らぬように。

崔瑩。縁があれば再び会いたいものだ。
そしてあの頃そなたの待ち続けた者は、帰って来たか。

最後にさりげなく添えられた一文まで眸を通し、それを畳み直しこの袷の裡へしまい込む。
男は大役を果たしたという顔で、肩の荷を下ろしたように初めて不器用に微笑んだ。
「托克托・・・殿は、どうしている」

元の大河沿いの攻防戦。
怒涛の進撃途中で勝ち過ぎたと言い残し去って行った元の大将。
托克托からの文をこうして受け取るとは努々思いもしなかった。
ましてや元の戦士を送り込まれるなど。

伝えるテマンの声の途中で、瞬きを忘れたような男の両目から大粒の涙が噴き出した。

ああ。そうだったか。
戦ではないだろう。あの時あのように志半ばで去った以上。
そしてこの男も戦士なら、戦で散った将を思って泣きはすまい。
例え悔しさに唇を噛もうと、涙を流す事はない。
ましてやこのように初見の俺達を目の前にして。

皇帝直々に賜死を命ぜられたか。それとも政の生贄にされたか。
兵など所詮そんなものだ。
国の為にどれだけ相手を斬っても、己の生死は最後まで操れん。
戦場で死ねぬ強い兵ほどそんな運命を辿る。

「話はあとだ。まずは角力大会」
それ以上尋ねる必要ははない。相手も話したい事などなかろう。
「手加減はせん。死ぬ気でかかって来いと、他の戦士に伝えろ」

それを伝えるテマンの声の中あの方を視線で促す。
先に気付いたタウンがようやく表情を緩め、その細い背を優しく前へ押す。
そのままあの方は小走りに俺の許へと戻って来ると、気遣わし気に男の方を振り向いた。

「あの男の傷の具合は」
「頭を打ったみたいだから、しばらく様子を見るわ。今のところは他の症状はないし、コブくらいで済むと思うけど」
「判りました」

草原の巨人を地に沈めるヒドの剛力も健在か。
思わず苦笑を浮かべた頬に小さな手が添えられる。

その不安気な指が憂うのは俺の体か、それとも心か。
「ヨンア、あの人・・・知り合い、じゃなさそうよね」
「あの男の」

主。上官。何と呼べば相応しいだろう。
戦士を送り込んだ男。その意を汲み、命を受け国境を超えた戦士。

「あの男の、朋を、知っております」

その声の底に何を感じ取ったのか。
触診を装った優しい指は、いつまでも頬に当てられたままだった。

 

 

 

 

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