2016 再会祭 | 待雪草・後篇 〈 山 〉

 

 

俺は無言で儀賓大監の御邸の門前に立っていた。門番が見兼ねたように
「どうぞ、中でお待ち下さい」

そう声を掛けてくれるのに一礼だけして首を振る。
大護軍に門前で待てと言われたから、ここで待つ。

おそらく初陣の時以来だろう あの時もそして今も同じくらい怖い。
胴震いに負けないよう下腹に力を入れて、唇を結んで、次に飛ぶ大護軍の声だけをじっと待っている。

大丈夫だ。大丈夫。俺の大護軍の声に従えば絶対に大丈夫だ。
頭を空にして、それだけを繰り返す。
 
御邸を飛び出して迂達赤兵舎へ戻り、冬山に入る支度を整えた。
沓の上から巻く輪樏を用意して、一番分厚い冬外套を着込んで、首元には襟巻を巻き付けて手套を着ける。

冬山には慣れているとは、世辞にも言えない。
テマンの足手纏いにならずに一刻も早くハナ殿を見つけるために、荷は最小限にしたい。
用意した輪樏を背に括りつけ、最後に部屋内を見回す。

もう必要な物はないだろうか。忘れたと思い出しても、取りに戻る訳にも行かないだろう。
用意不足で俺まで迷えば、もっと大事になってしまう。

大丈夫だと頷いて部屋から飛び出す。
兵舎の前庭をすごい速さで駆け抜ける俺に何か声をかけた奴がいたような気もする。
慌てていたせいで、避けられず前から来た他の誰かを突き飛ばした気もするけれど。

でも四半刻しかない。遅れればきっと置いて行かれる。
俺の大護軍はそんなところには厳しいし、待つ刻は無駄だ。
心の中で誰か判らないそいつらに詫びながら、足を止めずに走る。
今だけは、もっと大切な事がある気がするから。

 

*****

 

「来たか」
待つ程もなく門が内から開かれ、出て来た大護軍の斜め後にいたテマンが俺の横まで駆けて来て並ぶ。

「東大門、子男山」
大護軍は向かい合う俺達にそれだけ言った。
「ハナ殿はそこにいるんですか」
俺が余計な口を開こうとすると、テマンに思い切り睨まれる。

「行ってきます、大護軍」
「ああ」
それ以上何も言わず深く頭を下げた後、テマンは俺を斟酌する様子もなく、いきなり大路を走り始めた。
「テマナ!」

慌てて大護軍に頭を下げて、俺は奴の後を追いかけた。
走るだけなら、こっちには足の長さがある。いくら奴が俊敏でも、それ程引き離される事はないだろう。
確かに市中ではそうだった。テマンの頭は常にすぐ前に見えた。
明らかに差が開き始めたのは、山に登り始めてからだ。

テマンは樏もつけず、肩から担いでいた荒縄を解くと沓に巻き、それだけで雪の山道を苦も無く上がって行く。

時折足を止め耳を澄ましたり、目を閉じて風上に頭を向けたり。

「・・・な、に、してる、んだ」
俺は上り始めて早々に、括りつけていた輪樏を履いていた。
そうでもしなければ雪の山道に足を取られて、真っ逆さまに来た道を麓まで転げ戻りそうだ。

息を切らしてテマンに聞くと、奴は風の匂いを嗅ぐように黙って閉じていた目をゆっくり開けた後に言った。
「大丈夫だ、このあたりならまだ」
「だ、から何、が」
「熊」
「熊ぁ?!」

素頓狂な俺の大声にうんざりした顔で振り向くと、テマンは懐から迂達赤の警笛を取り出した。
「持ってるよな」
「ああ。勿論」

俺も樏の足を止め、懐から揃いの警笛を取り出して見せる。
「首にかけとけ」
「何で」
「熊よけ。ないよりはいい」
「真冬だぞ。熊は冬眠してるんじゃないのか」
「それならいい。してなかったら面倒になる」

テマンはそう言うとまた雪道を上り始めた。
「めん、どうって」
奴の言葉の続きが気になり、背を追ってしつこく尋ねる。
テマンはそんな俺を呆れたように見て訊き返した。
「腹ぺこで目の前に食い物がある。どうする」
「食うさ、当然」
「今の俺たちは、その食い物だ」

当然だと言わんばかりのテマンの冷静な声にぞっとして、思わず辺りを取り囲む木々の隙間を見渡す。
今にもそれを薙ぎ倒して、赤毛の熊の巨体が飛び出してきそうな気がする。
背筋の凍る気分の俺に、テマンは容赦なく追い打ちをかけた。
「ハナって人は、山にくわしいか」
「そこまでは知らない。何で」
「熊の冬ごもりの巣穴は、冬山で迷ったら入りたくなるとこだ」

テマンは何かを探すように辺りに目を投げ、指を折った。
「木の洞。雪の入りにくい小さい穴。入口は、人がひとり入れるかどうか。
狭いから中を見ても、熊がいるか分かりにくい」
「・・・もしそこに入って、中に熊がいたら」
「絶対逃げられない」

雪道を歩きながら、事もなげにテマンは言う。
「仕方ない。熊は山、人は里。領分を超えたらけんかになる。そうなったら、強い奴が勝つ」
「れ、いせいに言ってんじゃねえよ!」
「一人で動くな。何かあったら警笛を吹け。万一出くわしたら」

テマンは手近な太い枝に飛び着き、ぶら下がるようにして折ると
「目をそらすな、絶対。鼻、目、熊の弱点だ。棒で距離を取って、思いっきりぶん殴れ。槍は得意だろ」
「それで勝てるのか」
「運がよけりゃな」

その枝を俺に渡しながら肩を竦め、テマンはそれ以上何も言わずひたすら雪道を上がって行く。
「きんかんの木を見つけろ。ハナさんって人は、きんかんを取りに行った」

テマンの声に励まされ、俺は必死に辺りを見渡す。
金柑。金柑。金柑。その近くにハナ殿がいるなら。
「暗くなる前に探す。暗くなる前には山を下りないと」

テマンも同じように素早く辺りを見渡して、最後に小声で呟いた。
「ハナさんって人だけじゃない。俺達も帰れなくなる」

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

2 件のコメント

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です