2016再開祭 | 桃李成蹊・番外 ~ 慶煕 2017・5

 

 

「あ、あ。音割れてない?聞こえる?」

眩く大きな板の上に立ち、四方八方からの光条を浴びる男の声。
それに呼応するよう、段々畑のような列の最後列から別の男が大きく腕で丸を作った。

「ミノ、これくらいでいいよ」
「リハ終了でーす!」
「あと2時間で客入れです!準備始めます」
「ミノ、メイクと着替え。仕上げよう」
「パウダールームにお願いします」

出陣の直前のような慌ただしさに包まれる空気の中。
王はゆっくりとした足取りで天鵞絨幕の内に戻って来ると、此方に向かい頷いた。
「お待たせ。行こう、ヨンさん」
「舘内を探してくる」
「一緒にいなくて大丈夫?」
「必要なら声を掛ける」
「判った。じゃあ何かあったらすぐ呼んで?俺でも社長でも、チーフマネでも誰でも」
「おう」

ミンホは周囲に群がる者らに急かされ此方を幾度も振り向きながら、足早に通路を抜けて行く。
ようやく取り戻した静けさに息を吐き、当てどない一歩を踏み出す。

見知らぬ場所に放り出され、眸の前に廊下があればどうするか。

己の勘を信じる。必ずあの方の許へと向かう足を信じる。
必要ならば舘の中、隅から隅まで虱潰しに当たってやる。

そう思いながら手近な処から、全ての角を覗き込んで行く。
人々が出鱈目に行き交う廊下に、床を打つ足音が入り乱れる。

出て来たからには、帰る門はこの舘の何処かに必ず在る。
しかし今までの事を考えても、何か天界で成すべき事があり呼ばれたのではないのか。

王命はなかった。あの方を狙う敵がある訳でもない。
寧ろ春までの残り短い刻、あの方と共に息を継げる頃だった。
無論俺はあの方の居らぬ天界には、用も興味もない。
ミンホとは先秋の別れの折、互いに二度と会えぬと覚悟した。

武人の性か。常に最悪を想定し最善をと備える。
疑ってはならぬと判っている。帰れると信じる。
それでもこうしている間に刻一刻と、愛おしい姿が遠くなる。
目指す処も判らぬまま肚を焼く焦燥感に足を速め、闇雲に廊下を奥へ歩み角を曲がる。
その見知らぬ廊下の突き当りにも光がないのを確かめ、俺は真横の冷たく白い壁を、固めた拳で力一杯殴りつけた。

 

*****

 

舘中の廊下の突き当りという突き当りに入り込み捜しても、あの時と同じ光は見つからなかった。
諦めたくはない、それでも道は判らない。
廊下の壁を幾ら殴ろうが蹴り飛ばそうが、光が現れるでも無かった。

最後の廊下まで確かめた処で息を吐き、来た道を戻る。
分厚い天鵞絨幕の影へ滑り込むのと、俺の姿を見つけたミンホが小さな声で
「こっちこっち、ヨンさん」
手招きしながら呼ぶのとは殆ど同時だった。

これがこの男の生きる世。

天鵞絨幕の向うから、熱気の塊のような期待と興奮が綯い交ぜになって押し寄せる。
騒めきの中、一つ一つの声を聞き分ける事は出来ない。
ただ伝わる。あの当時、あの方と町に出る度に囲まれた人垣の数百倍の重みが迫る。

この興奮と熱気がこの男の背負うもの。この歓喜と期待がこの男を支えるもの。

未だ重い緞帳は上がってすらおらず、全ては分厚い天鵞絨の向こうに隠れている。
だがその向うの者らの表情すら想像出来る。
待っている。そしてこの男は待たれている。
一目逢いたい。それは数年前に身を焦がす程に味わっている。
一目逢えればどうなっても構わない。そんな想いで待っていた。

その待つ熱に圧されて息を呑む。
「・・・凄いな」
呟きに横の男が頷いた。
「いつも思うんだ。こうやってステージの幕が開く直前。待っててくれる、俺にそんな価値はあるのかなって。
でも幕が開くと忘れる。その時出来る精一杯で楽しんでもらおう、自分も楽しもうって」

こんな重さや熱気は俺には絶対に背負えん。
これがこの男の役目、そしてこの後暫し置き去らねばならぬもの。
「ミンホ」
「何?ヨンさん」

分厚い緞帳の影、全く同じ高さで向かい合う奴の目は澄んでいる。
辛いか。心残りか。成し遂げたか。未練はないか。
浮かぶ問いは陳腐すぎて、口に出す気にもならん。
辛いに決まっている、常に他者の幸福だけを考えるこの男の事だ。
心残りに決まっている、これだけの者を置き去りにせねばならん。
道半ばに決まっている。未練があるに決まっている。

「・・・倖せか」

お前が倖せなら、お前を待つ緞帳の向うの者らもきっとそうだろう。
それだけ問うた俺に、迷いのない目が真直ぐに頷いた。
偽りには見えぬ、そして芝居でもない笑みを浮かべて。

幾重にも重なる緞帳の影。
待ち侘びる者らの前へと進み出る刹那、奴は此方に視線を投げた。
「あの時言ったよね、目の前の人を想う。そうじゃなきゃ失礼だ」
「ああ」
「見ててヨンさん。俺ならどうするか」

かめらの前、眸の前の者を愛せ。
その先にあの方の面影を探すのではなく、眸の前の者を愛せ。
そうでなければ相手に失礼だ。

確かに言われた。そして俺は決して出来ぬと思った。
お前を待ち焦がれる者らの前、どう動くか見せてもらう。

奴から視線を外さずに、俺は重なる天鵞絨の中へ身を隠した。

 

 

 

 

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