2016再開祭 | 桔梗・肆

 

 

「教授」

窓を開けた車の助手席で膝に赤外線カメラを抱いて声を掛けると、教授は平坦な声で言った。

「何でしょう、ソン・ジウさん」
「本当に済みませんでした。おけがはないですか」
「ああ、顎ですか」
「・・・はい」
「問題ありません。あなたの頭こそ大丈夫ですか」
「私は問題ないですけど」

開けた窓から漢江の川風が入って来る。
髪が乱れないように片手でまとめ、バッグの中から取り出したクリップで止めると、運転席の教授を横目で確かめる。

教授はそんな視線など全く意に介さないように、秋の光の中にまっすぐ伸びている道路をじっと見ている。
穏やかと言えば聞こえは良いけれど、ほとんど無表情。
「あ、あの、教授」
「はい」
「何故奉恩寺に?何かの文化財の補修工事の事前調査とか?」

あのメガネがすっ飛んだ時から思っていた。
この人すごく老け・・・大人っぽく見えるけど、実は私とそんなに変わらないんじゃないかしら?
肌の感じ、髪の量とか普通に30代半ばよね。
よっぽど腕の良い美容クリニックに通っているなら別だけど、そんなタイプには到底見えない。

「・・・言いたい事がありますか、ソン・ジウさん」
視線はフロントガラスの向こうを真直ぐ見たまま、教授は振り向きもせずに言った。
「はい?」
「顔に穴が開きそうなのですが」
「眺めているだけです。年齢が判らないので推測しています」
「推測はいけません。私の生年月日は1982年3月8日です」

どうやら教授は冗談は通じないタイプのようだった。真面目な顔でそう言うと
「補修工事ではありません。奉恩寺の弥勒大仏を調査します」
「弥勒大仏?確か韓国最大の仏像」
「はい」
「でも作られてから、まだ20年くらいですよね?」

確かに補修するには早すぎる。
近代どころかついこの間建立されたような石仏なら、歴史的価値としてはゼロに等しいだろうし。
「建立は1996年、益山で採取した石材で出来ています。石質の詳細は、確認してみない事には判りませんが」
私の疑問を補足するように言うと教授は初めて眉をしかめて、少し人間らしい表情を浮かべた。

「今回の依頼主は、奉恩寺でも信徒の方々でもありません」
「そうなんですか?誰?」
「ソウル江南警察署刑事課です」

その穏やかでない依頼主の名前。
私が驚いたのは通じたらしい。教授は頷くと
「物騒な事です」
そう言ってハンドルを長い指で叩く。

車内は静まり返って、音楽ももちろん流れていない。
ハンドルに触れる教授の指の、調子外れな音だけが大きく響く。
「・・・あの、教授」
「何ですか、ソン・ジウさん。まだ何か」
「あの、何故この道を」

ハンドルを叩く音がイラ立って聞こえたせいで聞いてみる。
フロントガラスの向こうは、恒例の渋滞。
狎鴎亭を抜ける聖水大橋も清潭洞を抜ける永東大橋も、渋滞するのは当然なのに。
何故教授はわざわざそっち方面に向かって走ってるの?

私の問い掛けに首を傾げると
「奉恩寺に行くからです」
当然だろうと言いたげな顔で、呆れたように教授が言った。
「でも・・・もっと早く漢江を渡っておけば、混まないんじゃ」

漢江大橋、銅雀大橋。
有名な観光スポットの盤浦大橋を避けて、もっと手前で曲がれば良かったんじゃないの?
「ああ、そうなのですね」

私の指摘に教授は、ようやくハンドルを叩く指を止める。
そして諦めたように、渋滞し始めた車のテールランプに照らされながら言った。
「普段全く運転をしないので、左折が苦手なのです。ちなみに右折も得意ではありませんが、それでも左折よりましです」
「・・・帰りは私が運転します」
「お願いします、ソン・ジウさん」

ハンドルを握って前を向いたまま、教授は素直に頭を下げた。

 

*****

 

「ああ、初めまして。わざわざご足労頂いて」
奉恩寺の石畳の上を仏像へ近付く私達に、文系の教授とは対照的な、いかにも体育会系って感じの男性が頭を下げた。
「江南警察刑事課のユンです。この度は」
「ユン刑事」

その自己紹介には興味を示さずに、教授は目前の白い石仏を足元から見上げた。
「この石仏の一体何を、お調べになりたいのですか」
いきなり訊かれ、ユンと名乗った刑事さんは眉を寄せる。

「・・・全体を。特に台座部分を」
「台座?仏像本体ではなく?」
「ええ」
「判りました」
そんな表情の変化には一切関知しないとでも言いたげに、教授はゆっくりと白い石造りの仏像の台座に添って歩き出す。
何をして良いか判らないまま、教授の後をついて行く。
教授が止まれば自分も。上を見れば上、下を見れば下を見て。

「ソン・ジウさん。ここを撮影して下さい」
そう言われた時は赤外線カメラを構えて写真を撮る。
「ああ違います。こちらの角度から」
「いえ、そこでなくもう少し近付いて」
指定通りのアングル、指示通りの距離から。

時間をかけて台座を一周した後、教授は首を振って言った。
「異常はありません」
「そうですよね」

ユン刑事は想定内だったのか、当然という顔で頷き返す。
教授はカチンと来たように、初めて少しだけ声を大きくした。
「判っていて確かめさせたのですか?」
「いえ、これは序の口なので」
「序の口」
「教授」

ユン刑事は腕を組み、全高23mの仏像を足元から見上げて首を捻る。
「この台座から、人は消えますか」
「消えません」
「ですよね」
「消えません。内部は全て石製ですから。ソン・ジウさん」
「はい」
「カメラを貸して下さい」
私は赤外線カメラを、差し出された教授の手に渡す。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    事情を知ってるのは
    刑事さん
    客観的に 教授は石像を調査中。
    助手のジウは??
    ハテナがいっぱい
    教授… 運転苦手かー
    ま、人のことは言えませんがね
    あの交通量のなか 運転したくないわ~

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