俺が右から、鹿皮履の男が左から歩み寄り、審判の目前で正面から顔を見合わせる。
此処で当たれるのは幸甚だと、人垣を流し目で伺う。
今もあの方の前後左右に怪しい人影はない。
托克托の文を寄越したブフの巨人とやらも、必ず何処からかこの取組を見ているに違いない。
見ておけ。これがお前の朋、托克托と戦場を駆けた男だ。
そう考えながら再び視線を目の前の男へ戻す。
托克托の戦士は皆、一様に表情がない。
昨日の男も今日の男も、元の男独特の糸のような鋭く細い眼からは何の感情も読み取れん。
それは構わん。戦ではない。
勝敗を決した後には敵でなくなる。少なくとも今日は。
此処まで取組が進めば互いに各々の強さが判って来ている。
それは広場を取り囲む観衆も同じだった。
俺達の睨み合いに、取組前から歓声とも怒声ともつかぬ声を上げる。
歓声の中、俺は広場の隅の長椅子に控えた男の中からトクマンを見て小さく頷く。
奴は意味が判ったのか判らぬのか、俺を見詰めて頷き返す。
奴は知っている。長い手足は有益な武器になる。
但し奴の弱点は自信の無さだ。
常に周囲に師と仰ぐ者がいる、その絶対の安心感は、時に必要以上の劣等感にも通ずる。
今もその槍筋を追い掛け続けるトルベ、師であるチホ。
手縛のチュンソク、剣のチュソク、弓のチンドン、同輩のテマン。
だが奴にも奴の持ち味があり、奴にしか出来ぬ戦い方がある。
今からお前に見せてやる。
俺達よりも体が柔らかく動きの早い、未見の型を用いる、しかし俺達よりも小柄な相手との戦い方を。
体から無駄な力みを抜き、肚から深く息を吐く。
俺は絶対に負けない。
それだけを思いながら、軽く両肩を廻してみる。
あの方が待っている。
最後に一つ、唇の先から小さく息をして目前の男へ頷く。
托克托の戦士は待っていたかのように、小さく頷き返す。
まるで礼儀正しい武人同士が戦場で最後の刃を交えるように。
「始め!」
俺と鹿皮履の男の目が合い呼吸が整った刹那、観衆のどよめきに負けぬように大きな声が飛ぶ。
その瞬間を逃さぬよう、相手が前に出る前にこの足を飛ばし相手の内股に掛けて態勢を崩す。
同時に腕を思い切り伸ばすと相手の袷の襟を握り込んで身を屈め、前へ出ようとした相手を肩へ担ぎ上げる。
そのまま半身を捻り、肩に乗せた勢いのまま何の力加減もせず地へ投げ飛ばした。
身幅は相手の方がある。それを武器に当たられれば当たり負けせぬとも限らん。
俺達の武器。手足の長さで相手が懐に入ってくる前に動きを封じ、先に掴まえてしまえば良い。
身の丈が優に三寸以上違う。その分俺達の手足の方が長い。
奴らが触れる前に絶対に相手を掴まえられるのが最大の強み。
奴らより上背のあるコムが勝てなかったのは、偏にこなした場数の所為だ。
体のでかさや手足の長さでは優位だったが、速さに於いては日頃の鍛錬が物を言う。
型など二の次だ。
まずは相手の足を止め、袷でも袖でも掴める処を掴んで力の限りぶん投げろ。
鍛錬であれば伝えも出来るが、広場で講釈を垂れる訳にもいかん。
基本に忠実な攻めの手。相手が突込んで来ようとした勢いを利用した速攻。
托克托の戦士は太刀打ちする術もなくこの肩から地へ叩きつけられ、乾いた地に転がった。
「決まり!」
審判の大きな声に、観衆は割れるような歓声を張り上げる。
その声に応えるかのように、曇空の遠い処で雷音が轟いた。
*****
「トクマニ」
その声に固めた両拳を見ていた視線を上げると、
「見てたな」
高い影が腰掛けたままの俺の前を通り過ぎざま、低い声で言った。
取組前に俺に頷いてくれたのは、気のせいではなかったようだ。
「はい、大護軍」
その声に大護軍は満足してくれたのか、見えるか見えないかくらい唇の両端を上げると、砂埃の舞う風の中を歩き出す。
雨が降ってくれればこの埃も落ち着くだろう。
その代わり一気に涼しくなるだろうし、足元がぬかるむほど降れば戦いにくくなる。
決勝戦までどの取組も、あまり長引かせるわけにいかない。
「大護軍」
歩き出した背が止まり、肩越しに振り返った視線に
「俺は負けません。奴らを一人でも減らします。だから、大護軍」
そうだ。決勝で当たれれば最高だけど、きっとそれは無理だろう。
負けたくないが、実力は知っている。そこまで己惚れは強くない。
ヒド殿がいる。あの人が本気になったらどこまで強いか判らない。
けれど俺は大護軍の兵だ。俺の大護軍が恥ずかしくないように。
そして大護軍の前に立ち塞がる敵が一人でも少なくなるように、出来るところまで。
俺の声に肩から流した大護軍の視線が、観衆の中の医仙へ向く。
いや、違うか。医仙を見る時の大護軍の目はもっと穏やかだ。
その視線は医仙の近く、あの人の方を見て顎をぐいと上げた。
「負けるなよ」
あの人は姫様の横、そんな俺達には気付かないのか、隊長とお話をしている姫様を静かに見守っている。
別に構わない。俺を見て下さっても、そうでなくても。
俺は大護軍と医仙と、迂達赤の名誉と、そして勝手にあの人の為に戦うまでだ。
見て下さいとは言わない。でも思うだけなら。一方的でも心に描いて、支えて頂くだけなら。
「はい!」
構わないよな。無理に心を押し付けないなら。
誰も彼もが俺の大護軍のように勘が鋭いわけでも、相手の肚を読む眼力が備わっている訳でもないだろうから、俺の心の中でだけ。
そう考えながら長椅子から立ち上がり、俺は勢い良く頭を下げる。
「行ってきます!」
大護軍は最後に俺の顔を肩越しに確かめて、小さく肩を揺らすと今度こそ振り向かずにヒド殿の隣へ戻って行った。
その大護軍と入れ替わるように、俺は広場の中央へ進み出る。
そして反対側からは長髪を後ろで結んだ俺よりも小柄な男が。
実力は遥か遠く及ばない。そこまで己惚れられる訳もない。
けれどせめてその影の端にでも追いつけるように。俺の大護軍に恥ずかしくないように。
広場の真中で向かい合うと、俺は相手に向かってさっき大護軍が見せてくれたように、小さく頭を下げた。

皆さまのぽちっとが励みです。ご協力頂けると嬉しいです❤
にほんブログ村
コメントを残す