2016 再開祭 | 貴音 ~ 留守居・漆

 

 

「ヒドヒョン」
勇んで離れの床の水を拭き終え、東屋へ戻ったチホが首を傾げる。

その東屋で皆の戻りを出迎えたヒドの、不自然な程伸びた背筋。
そして微動だにせず床板を踏みしめる足許。

「何だ」
「おめえ、姿勢が変だぞ」
師叔が不思議そうに告げると、ヒドは相変わらず蚊の鳴くような囁き声で吐き捨てる。

「煩い」
「もう少し楽にすりゃいいんじゃねえか、ヒョン」
シウルがヒドを思っての言葉すら、斟酌するゆとりはないらしい。
ヒドは目前の三人を睨みつけた。

「起きたら如何する」
「いや。お嬢ぐっすり寝てるし、起きそうもねえよ」
「判るのか」
「まあ俺からは寝顔が見えるし。本当によく寝てる。可愛いな」
「起きぬとお前に判るのか。絶対か」
「絶対って聞かれりゃ、そりゃ判んねえけど」
「ならば黙っていろ」

ヒドの鋭い一喝に余計な言葉を吐いたと悔いるよう、チホとシウルが肩を落とす。

秋の昼は短い。昼寝も精々一刻程度。
その間に夕餉の支度を整え喰わせ着替えさせ、夜にはまた寝かせる。
「ヒド」

この声に直立不動のまま、うんざりしたような視線だけが向き直る。
「お主まで何だ」
「離れに寝かしつけに行く。来てくれ」
「動かして良いのか」
「背負ったままでは辛かろう」
「・・・いや」

素直に行くと思ったヒドが、何故かそのまま顎だけを振る。
「負っておく」
「良いのか」
「構わん。起きてしまえば可哀想だ」

こうなれば何をか言わんや。俺の言葉で気持ちが変わる訳も無い。
「・・・頼む。その間に飯を拵える」

それだけ残してヒドをその場に、己は厨ヘ入る。
せめてもう少し背を曲げてくれれば、見ている此方は楽だがな。

 

*****

 

「ヨンア」

厨の竈に新たな薪を燃べ、熾火から火を移す。
その間に菜を切り、あの方が厨に残した夕餉用の惣菜の包みを取り出した。
そこで掛かる入口からの聞き慣れた声に振り向く。
「・・・叔母上」
「何をしておる」

鬼剣の代わりに庖丁を握る俺に呆れたように息を吐き、厨を進みながら叔母上が中を見渡す。
「叔母上こそ何だ」
「役目が終わったのでな。寄ってみた」
「王妃媽媽の御様子は」
「ああ、ウンスが御拝診を終えて出掛けた。御体の具合が悪い事も無い、が」
「が」

中途半端に途切れた声に続きを眸で促せば、叔母上は言い辛そうに口籠る。
「どうやら・・・ご不興をかったようだ」
「ご不興」
「何故医仙の留守中に、大護軍は娘御を連れて来ぬのかと」
「王妃媽媽がおっしゃったのか」
「・・・媽媽と王様と、御二人からの御言葉だ」

思わず咽喉奥で上がりそうな唸り声を殺し、黙ったままで頷く。
「明日御詫びする」
「そうしろ」

悪い事をしているとは思えん。
そもそも吾子は気軽に皇宮へ上がれる身分ではない。
一臣下の娘、唯それだけだ。

それで何故俺が頭を下げるのか、理由は未だに判らん。
判らんが、王様と王妃媽媽のお気持ちだけは判る。
叔母上とて同じ気持ちの筈だ。

吾子が可愛くて顔を見たくて、わざわざ皇宮を出て此処へ来たのだろう。
師叔やヒドやシウルやチホだけではない。
畏れ多くも王様も王妃媽媽も、吾子に会いたいと思って下さる事だけは。
その御気持ちに応えられない事に対して、頭を下げねばならん。

他の皆が可愛がるよう、王様と王妃媽媽も大層可愛いと思って下さる事は判る。
吾子の安全を慮り、御自身でお気軽に呼べる御立場ではないからこそ。
俺が吾子を連れて伺う事を、心から望んで下さっている事も判る。

だからと言って今の吾子を皇宮へ連れて行き、飯だ風呂だと騒ぐ訳にはいかん。
百歩譲って迂達赤兵舎で済ますなら、あいつらに俺のこの姿を見せる事になる。
そんな姿を晒した日には、翌朝どんな面で奴らに鍛錬をつければ良いのか。

吾子が皆に可愛がられる事は嬉しい。待たれる事も嬉しい。
多くの家族に囲まれて、伸び伸びと育って欲しいとは思う。

しかし俺にも父としての顔だけでなく、迂達赤大護軍としての面目がある。
あの方を愛おしむ姿を見せられぬのと同様に、父としての顔を晒す事は出来ん。

一体俺に如何しろと云うのか。
頭を抱えたい心持で、一先ず庖丁を握り直す。

師叔が研いだ庖丁を振り、あの方の持たせた魚の頭を迷い無く一刀で切り落とす。
その刃先の勢いに、叔母上は首を振り腕を組む。
「ところで」
「・・・何だ」
「ヒドは何故、あそこで棒を呑んだように突っ立っておる」
「奴に聞いてくれ」

取り付く島もない素っ気ない返答に肩を竦めると、叔母上は踵を返し黙って厨を出て行った。

 

 

 

 

4 件のコメント

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    ヒドヒョン 優しいな
    はやく降ろしたいなんて 
    言わないんだ。
    むしろ 起こしたらかわいそうだって…
    ( ´艸`)
    吾子は癒しのパワーがあるのね。
    ヒドを癒してあげてな~

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    あら~~
    叔母さまもいらっしゃいましたね(^^)
    ヒドが、棒を呑んだように立っている姿を、想像するだけで笑いが込み上げてきますね(*^^*)

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    叔母様が言った、ヒドヒョンの棒を飲んだ様な姿って・・ o( ˃̶͈̀▽˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ も、腹痛い。(ノД`)ツボリました。
    昨日に続き、ヨン以上に想像が(°▽°)

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    もお~~ヒド可愛すぎる~♪(*^ ・^)ノ⌒☆
    笑いすぎてお腹痛いですが~~どうしましょ( ´艸`)
    少しくらい前かがみにならないとねえ吾子もきつい!!爆
    起きたらどうする・・・(起きないって笑)
    吾子に黒手甲の我が手を洗われて・・ヒドの中で何かが吹っ切れたんでしょうか(泣けました)
    師叔の突込みにも負けず纏わりつくチホ&シウルも何のその
    ヨンにさえ渡さない可愛い吾子ちゃん!!
    可愛くって可愛くって。その内吾子目の中に入れてしまうかもプッ!
    おっと!!出ましたよチェ尚宮!!何やかや言いながら吾子見たさはバレバレです(`∀´)
    更新が楽しみな超人気シリーズですね「貴音」!!
    一遍一遍をきっちり「起承転結」で見せていくさらんさん
    脱帽&拍手です(o^-')b

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