2016 再開祭 | 天界顛末記・廿捌

 

 

「チュンソクお兄さん・・・」
大きく柔らかそうな枕の山で上半身を支え、寝台の上に身を起こした小さな体は、そこに埋もれてしまいそうだ。
寝台の枕元の卓上に盆を置き、覆いの布を取る。

話さねばならん事は山積みだ。しかしまず熱いうちに生姜湯を飲んで頂かねば困る。
「チャン御医から、生姜湯を飲むようにと」
「え」

覆いを取った瞬間に漂う生姜の香りに、ソナ殿の顔が不安に曇る。
「辛いの苦手で・・・韓方もあんまり飲んだことなくて・・・」
「蜂蜜があります」

茶碗の横に添えられた蜂蜜の小皿を取り上げるとようやく安堵したか、その顔が明るく晴れる。
「入れれば飲めますか」
「はい、多分」
「それなら」

小さな木匙で重い金色の蜜を掬う手許を、黒い丸い瞳がじっと見る。
その視線に微かに緊張しながら、掬い取った匙ごと生姜湯に入れてよくよく混ぜる。
底に沈んだ蜜が生姜湯の熱で溶けたのを見計らい、茶碗を小さな両手にそっと握らせる。
「飲んで下さい」

ソナ殿は素直に椀を口元へ運び、一口付けて
「・・・もうちょっと」
そう言って椀から口を離してしまう。

仕方ない。御医が添えたという事は入れても薬効は変わらんだろう。
一旦椀を引き取るともうひと掬いの蜜を溶かす。

もう良いかとソナ殿を見れば、その頭が遠慮がちに横に振られる。
「もうちょっとだけ」
「まずは一口飲んで下さい」

まるで幼子との根競べだ。呆れたようなこの声に
「じゃあ全部飲めたら、ハチミツ」
ソナ殿は丸い瞳のまま俺の返答をおとなしく待っている。
「・・・飲んでからです」

渋々返した声に、丸い瞳が嬉し気に笑んだ。

 

*****

 

「御医」
ソナ殿の部屋から早々に退散し、戻った部屋の中。
掛けた声に厨に立つ御医が、粥の湯気の中から振り向いた。
「はい」
「伺って良いですか」

御医は頷き天界の竈の火を弱めると、満足気に頷いた。
初めて見た時は驚いた。自由自在に強くも弱くもなるその竈の火。
薪も不要、風を送らんでも燃え続け、熾火を気にせず好きな時に着火出来る。
天界にはこれ程便利な竈があるのかと。

御医も相当お気に召したのだろう。
暇さえあれば厨の中で竈前に立っては、何やかやと弄っている。
今もその火を弱めると掛けている粥の鍋を覗き、ようやく卓へと戻って来た。
「どうなさいました、副隊長」

卓向いに端座され尋ねられて、いざとなればどう切り出すべきか。
己ですら判らん事を、御医に伺って判るのか。
それでもどう考えても腑に落ちん。

「見た事もないものが懐かしいと思うのは、変ですか」
「・・・それは、どういう」
脈絡のない突然の問いに、御医の眉が怪訝な様子で寄る。
それでもそれが事実だから、そう尋ねるしかない。

「聞いた覚えのない声を、懐かしいと思う事はあり得ますか」

俺が何か病を得ているなら、迂達赤の役目や隊長、そして王様への御迷惑となる。
それが怖いのもある。
「見聞きした事のないものが懐かしい・・・」

唐突な問いに御医は首を捻ると、閉じた瞼を長い指で軽く押さえた。
「元に伝わる古書に、周公解夢全書というものがあります」
「はい」
「夢占の解夢書なのですが、以前夢で見ていたのを忘れていらして、懐かしいと思われるような可能性はあるかと・・・」

御医がこれ程曖昧な答えを返すのも珍しい。
病だとすればいつものよう迷いなく診断すると思ったから伺ったが、こうして自信なさげな声を聞けば尚更に迷う。
「病の可能性は」
「それは低いと思います。念の為、脈をお読みして良いですか」

抗わず手首を預けて黙る俺に、指先の脈に集中するよう無言で目を閉じていた侍医は暫くの後目を開ける。
「失礼します」
続いて俺の両手の爪を確かめ、押して色を確認し、目の下を広げ、両耳をじっくりと確かめて首を振った。

「気滞気虚は見られません。気の病は体に火熱が籠って起きますが、脈は穏やかです。
悩は脾、悲は肺、驚は腎、怒は肝に現れますが、それらの内腑の脈にも異常はなく。
此処で数日共に過ごさせて頂きましたが、浅眠や過眠も見られず。
まあ・・・昨夜は別ですが、理由はお判りでしょうから」
「では、思い込みでしょうか」
「医の領域ではありませんが・・・」

相変わらず歯切れの悪い侍医は、考えながら声を続ける。
「例えば前世の深い縁があれば、そうした事もあるかも知れません。もしくはこの先で逢うべき方か」
「この先、ですか」
「周公解夢全書にも予知夢の章があるそうです。この先起こる事や出逢う方を夢に見る事も、ごく稀にあると」
「先の夢・・・」

聞けば聞く程に混乱する。出口のない迷路に迷い込んだように。
病でもなく、けれどこの逸る心が思い込みとも思えず。
「あまり思い詰めず気楽になさって下さい。もしも予知夢とすれば、結果はこの先自ずとついて来ます」

御医の声に頷きながら窓外に積もる雪に見入る。
どれだけ待てば答が出るのか、どうすればそれが正解だと判るのか。

その時開いた部屋の扉。俺達が同時に眼を投げる。
肩に雪を乗せた隊長が顔を覗かせると、低い声で言った。
「チュンソク、居たか」
そして俺の顔を見ると、顎をしゃくって
「来い」

それだけ言って返事も待たず再び扉を閉める。
相変わらず言葉は少な過ぎ、肚裡を読むにも一苦労だ。

それでも今は、立ち止まって考える時間は欲しくない。
渡りに船とばかり、俺は隊長の声に腰を上げた。

 

 

 

 

1 個のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    ソナには 嬉しい時間ね
    チュンソクには 緊張しっぱなしだたかしら?
    お兄ちゃんに 甘えるように
    きっと ソナのお兄さんも
    こんな風に 看病してくれたんでしょうね
    やっぱり ソナとは 縁があるのでしょうね。
    あ~ 侍医にガスコンロをあげたいわね
    薬湯を作るのに
    さぞかし便利でしょうね~

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です