2016 再会祭 | 待雪草・結篇(終)

 

 

「トクマン君、ハナさん!!」

俺の足は長いし、平地なら負けない。
東大門から市中に駆け戻ると、儀賓大監の御門前に飛び跳ねる小さな影、そしていつも横を守る背の高い影が並んでいた。
小さな影は俺達の名を呼びながら、こちらに向けて駆けて来る。

「う、い」

駆け続けて息が切れ、碌に挨拶も礼も出来ない事など一切気にせず、医仙は判っていると言うように頷きながら
「本当にお疲れさま。大丈夫?もうちょっと、キョンヒ様のとこまで、行けそう?」
俺とハナ殿の顔を確かめ、等分に尋ねて下さる。

その間に素早くハナ殿の脈を取り、顔色を確かめ、そして
「ちょっとだけ、ごめんね?」
声を掛けながら俺の首元のハナ殿の指先を丁寧に見て、長衣の裾を控えめに捲り、傷跡を慎重な指先で確かめる。
「治癒熱だと思う。風邪はひいて当然。凍傷も骨折もないし、傷はいざとなったら縫合できる。
これで済んで本当に良かった。ただしこれからきちんと治療を受けて、ご飯を食べて、ちゃんと寝てね?
帰って来られたんだもの、それが一番大切よ」

俺とハナ殿が同時に頷くと大護軍が先頭に立つ。お邸の御門は声を掛ける前に大護軍の目前で大きく開かれた。
大護軍を先頭に、実の生らない木や花の並ぶ美しいお庭を抜ける。
待雪草の白、水仙の黄、蠟梅の象牙色の中、さっきのハナ殿の声を思い出しながら。

だから御一家の為なら、私も母も何でもします。

これからも何度でも金柑を探しに行くだろう、きっとハナ殿は。
自分よりも大切な姫様の為、大恩ある儀賓大監のご家族の為。

始まりが冗談だったわけでも、悪ふざけだったわけでもない。
でもこうして知るたびに、心の中でどんどんハナ殿が大きくなる。
いつでも何か出来るとは思わない、でも何かしてあげたいと思う。

「ハナあっっ!!!」

戻った俺達一行を殿前で出迎えた姫様が、雪を抱く庭に一言叫んだ。
ここまで間近でお目にかかるのは初めてだ。俺はハナ殿を背負ったままで、駆け寄る姫様に頭を下げる。

「ハナ、ハナ。聞こえるか。聞こえてるか、聞こえたら」
「ひめさま」
「どうしてこんな、ああいや、まず殿に」
「いけません」

熱に浮かされている筈なのに、ほぼ丸二日呑まず食わずだろうに、ハナ殿は頑固に言い張った。
「ハナはへやに、もどります。ひめさまは、おへやに」
「何言ってるんだ、私だって終いには怒るぞ!!」

・・・いや、もうとうに怒っていらっしゃるのでは。

姫様と呼ばれる高貴な方が涙を流し、地団駄を踏む姿を初めて見た。
廃位されたとはいえ王様に連なる尊い姫様の取り乱し方に、どうして良いか判らない。
何しろハナ殿を背負っているから、姫様は俺の目前で怒鳴っておられるし。

しかし隊長は勿論、大護軍も医仙もそんな姫様に慣れているのか。
特に驚くわけでもなく、姫様を静かに遠巻きにしているだけだ。
「キョンヒ様」

隊長は穏やかな顔でハナ殿に吠え掛かる姫様を宥め、腕の中でもまだ暴れている肩を静かに抑えた。
「トクマニ」
「は、はい隊長」
「ハナ殿を一先ず、キョンヒ様の殿に。こっちだ」

何事もないように前に立って歩いて行く隊長は、殿前の家人らしき女人に
「儀賓大監と銀主翁主様に、ハナ殿が帰ったとお伝えを。それから乳母殿をお呼び頂けるか」
と、ごく自然に話しかけた。

隊長の堂々とした物言いに、大護軍が肩を竦める。
「慣れたな」
「・・・ええ、ここまで来ればもう否応なく」
諦めたような隊長の声に医仙は吹き出し、大護軍の手を握った。

ああ、そうか。
医仙が怯えたり、驚いたりしておられないから大護軍はこれほど穏やかでいられるんだ。
そして姫様が取り乱しておいでだから、隊長は前に出てあれこれ指示を出しているんだ。
何だか良いな、こんな時なのに俺は思う。

無言で互いが互いの心の支えになって、足りないところは補って。
ハナ殿を背負って御部屋にお邪魔すると、姫様はご自身の席だろう卓向うの座椅子を指しておっしゃった。

「済まぬがここに、ハナを寝かせてくれるか」
その声に襷掛けの荒縄を解き、示された場所にハナ殿を降ろす。
姫様はその間にも慌ただしく御部屋を走り回る。

「布団、布団は」
「ひめさま」
「ハナは良い!静かにそこでウンスの診立てを。ああチュンソク、その間だけ申し訳ないが殿方は表に、いや、先に父上にご報告を」
「キョンヒ様」

動揺する姫様を見ていられなくなったのか、隊長が姫様をハナ殿の卓向いの座布団へ誘うと、ゆっくりと座らせた。
「乳母殿がいらっしゃるまで、座って待って下さい。ハナ殿もその方が楽になれます」

姫様は隊長の声を聞いてようやくうんうんと頷いて、そこから心配そうな御顔で横たわったハナ殿をじっと見る。
やっと静かになった御部屋の中、聞こえるか聞こえないかの低い声で、大護軍が医仙に言った。
「・・・医仙、俺達は表に」
「うん。外傷の程度によっては縫合になるから、その時はまた声をかけるかも」
「湯、布、蝋燭、油灯ですね」
「まずは診察するわ。心配しなくても大丈夫。慣れない人は血を見ると、実際以上に大量出血に見えるの。
浮脈や孔脈みたいな脈が強く出てるわけじゃないから」

医仙は穏やかに、俺に向けて笑って教えて下さった。
「・・・はい。ありがとうございます、医仙」
「行くぞ」

大護軍の声に隊長が姫様に一礼して続く。
最後に俺はもう一度横たわるハナ殿を確かめ、御部屋の扉を静かに閉めた。
「大事ではない。あの方があれ程落ち着いている」

俺が扉を閉めた途端、御部屋前の廊下で腕を組んだ大護軍が言った。隊長も同意するように頷きながら、苦い笑いを浮かべた。
「ええ。キョンヒ様がハナ殿の事で取り乱すのは仕方ありません」

俺の心から尊敬する二人がこう言うなら、きっと大丈夫だ。
「・・・あの、大護軍。テマンは」
「トギを連れて、薬草を持って来る」
「ああ・・・はい。そうですね」

そしてあいつは、トギと支え合って。足りないところは補って。
「あの、大護軍。隊長」
俺は決意して顔を上げ、腕組をしたままの大護軍と、不安げに扉を見る隊長に声を掛ける。
二人は何だという顔で、直立不動の俺を見た。

「今まで黙ってて済みません。ハナ殿を好いてます。本気です」
「・・・・・・・・・」

大護軍と隊長は長い無言のまま互いに顔を見合わせ、次に怪訝な目が俺に戻った。

「役目はきちんと果たします。今日みたいに無理を言ったり、強引に抜けたりしません。ですから」
「トクマニ」
声の途中で大護軍が俺を遮る。
「今更」
「ですから、今日は本当に」
隊長がその横から、眉根を寄せて俺を見た。
「いや、そこでなくてな。お前がハナ殿を好いているのは俺も大護軍も、とうに知っているぞ」
「え」
「まさかあれだけ大騒ぎして、露呈しておらんと思っていたのか」
「だってお二人とも、何も言わなかったじゃないですか!」
「大の男の惚れた腫れたに、何を口出すものか」

すかさず隊長から返る反論に
「それならせめて、橋渡しを・・・隊長のご家族のようなものだと大護軍もおっしゃったし!」
「冗談が過ぎる。俺は己で手一杯だ。自分でどうにかしろ」

大護軍も隊長に賛同するように、無言のままで頷いている。
廊下で一人騒ぐ俺の前、姫様の部屋の扉が開いた。
「ヨンア、やっぱりちょっと縫っちゃった方が早いわ。トギとテマナは?もう着くかな」
その声に大護軍はすかさず組んだ腕を解く。
「呼んで来ます」
「ううん。今は発熱の処置もしてるし、それが終わってからでもいいの。先に教えておこうと思って」

ああ、やっぱり良いな。
そうやって全く畑違いの役目でも、互いに何でも話せる事。
そして自分の出来る限り、互いに相手を助けようと動く事。

どんなに遠くても、分不相応な目標でも、届かないと判っていても。
俺の大護軍はいつでもやっぱり憧れで、そして指針だから。
武将としてはもちろんの事、男としての生き方や道の全てが。

きっと俺が場違いに羨ましそうな顔をしていたんだろう。
扉の中の医仙と廊下に立った大護軍は不思議そうな顔を見合わせ、目を見交わして首を傾げて、医仙はまた姫様の御部屋に戻る。
「大護軍!俺、頑張ります!」

その唐突な宣言に、大護軍は無言で俺の肩に大きな手を置いた。
頑張れ、という励ましなのか、それとも黙れ、という警告なのか。
俺の大護軍は無口だから、どうもそこ辺りが判らない。

頑張らないと。
ハナ殿はすぐ逃げてしまうし、絶対に俺より儀賓大監御一家を大切に思う人だから、俺が大切にしてあげないと。
「隊長。俺も明日から、役目後にご一緒しても良いですか」
隊長に願い出ると、ものすごい渋面で首を振られてしまう。

「調子に乗るな。本来ならこうして俺達が伺える御宅ではない」
「そうですよね・・・じゃあ門前で待ち伏せでも」
「そんな馬鹿をしてみろ、大護軍の迂達赤の名に疵が付くぞ。俺が絶対に許さん」
「じゃあ、どうやってハナ殿にお会いしたらいいんですか!」

焦りのせいで大きくなってしまった声に、すかさず大護軍の低い蹴りが飛んで来た。
さっきのあれは、やはり黙れの警告だったらしい。
蹴られた脛を押さえて蹲り、奥歯を噛んで痛みを堪え、心の中でもう一度自分に向けて言ってみる。

運命なら絶対どこかで縁が結ばれる。出来る処までやってみる。

姫様の殿に続くお庭。
こっちに向かって近くなるテマンとトギの足音を聞きながら、俺は蹲る廊下からようやく立ち上がった。

 

 

【 2016 再開祭 | 待雪草 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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