2016 再開祭 | 婆娑羅・13

 

 

部屋に戻り、最低限の荷物を詰め込んだディパックを背負って家を出る。
もう帰って来る事はないかもしれない部屋。でも、俺が選んだ道だから。

振り向く事はないし、最後に確かめる事もしない。不自然だから。
窓から母さんが見てれば、一発で様子が変だと気付かれるだろう。

好きとか嫌いじゃないんだ。ただ一度でいいから認めて欲しかった。
俺が選んだ道、決めた事、何故興味があるのかを聞いて欲しかった。

そしたら素直に言えた。俺の中には父さん母さんの、それぞれの爺ちゃん婆ちゃんの、またそのご先祖様の血が流れてる。
それを知りたい。どこで生まれてどんな風に生きて俺まで辿り着いたのか、流れを逆に辿ってみたい。
そしてその時俺の生き方に、母さんが望んでる道に納得できれば、また話し合ったって遅くないだろ?

そうしたかったんだ。納得できるまで。例え遠回りでも知りたかった。
これから軍隊にだって行くし、その間は時間もある。
全部終わってから道を決めたって、まだ父さんも母さんも引退には程遠いし、その引退の日を待ってセカンドでいたくなかった。
結婚だっていつかするだろう。だけど相手は親が見つけた人じゃない。
俺の心の中で、今は静かな影みたいに気配だけを感じてる君。

髪も指も、その目も笑顔も香りも知ってるのに顔が見えない君を、いつか必ず迎えに行くから。

だけど俺は甘すぎて、何も判ってなかった。
知らぬ間にレールは前へと敷かれて、脱線なんて許されない。
俺の考えや望みは、レールの上の石と一緒。
邪魔だから、危ないからって理由で簡単に取り除かれるんだ。

ひとまずタクシーを捕まえる。今から空港に行くのは早過ぎる。
最後に一番思い出の場所を見ておこうと向かったCOEXアクアリウム。
ガキの頃から大好きだった。自分がすごく小さい奴だって気がして。

水槽の壁にぺったり手をつけて、しゃがみ込んで中を覗き込む。

その中にいるのは、目立つ大きなきれいな色の魚だけじゃない。
下の砂の隅の方に、ちっちゃい海老みたいな奴とか変な貝みたいな奴がいる。
一生懸命砂に腕を突っ込んで何か食ったり、岩場の石を這ってたり。
時々でかい魚がすうっと寄って来て、砂ごとぱくんと口に入れて、慌てて吐き出されたり。
吐き出されてまた何事もなかったみたいに、砂を掘ったりしてる。

ガキの頃初めてそれを見つけて、すげえ、生きてる!って思った。

誰も注目しないかもしれないし、壁のボードに名前は張り出されてないけど、でもすげえ、あんなとこで生きてる。
誰かが餌をやらなくても、誰も注目しなくても。
そんな海老とか貝の方が、華やかな熱帯魚より目を引かれた。

そうだ。俺はそんな、ちょっとヘンテコなガキだった。
だけど親が金持ちってだけでいつも周りに人がいて、何だか知らないけどチヤホヤされて。
水族館の片隅の海老や貝じゃなく、デカデカ名前が張り出されて注目を浴びるような魚扱いで。
海老や貝より熱帯魚の方がエラいなんて誰が決めたんだよ?って思うような、ちょっとひねくれたガキだった。
それは今も変わんないし、変われない。

それを確かめる為に来たのかな。
そう思いながらしゃがみ込んでた床から立ち上げり、水槽の前から歩き出す。

アクアリウムを出て、強いビル風の吹く横断歩道で止まる。
信号は赤。冬の風が金髪をぐちゃぐちゃに乱して過ぎて行く。

あったかいカリフォルニアに移ったら、こんなクソ寒い冬のソウルも北風も懐かしいと思うようになるかな。
まあ今日の風は懐かしく思うには、ちょっと激しくて強すぎるけど。

信号が青に変わる。俺はそのタイミングで乱れた金髪を後ろで束ねて、手首に嵌めてたゴムで結びながら思った。
ああ、俺ナメられてるよなあ。

ゆっくりゆっくり髪を束ね終える。目の前の青信号が赤に変わる瞬間。
俺は通りに走り出て、横断歩道を一息に向こう側へとダッシュした。
俺の真後ろ、ものすごい音でクラクションが鳴り響くのを聞きながら。

平日のアクアリウム。夢みたいにキレイな贋物の海の底。
水槽の磨き上げられたガラスの壁に映ってた、見慣れたスーツ姿。
そのスーツ姿が今、走る車の河を挟んだ向こう側で右往左往してるのを、最後にチラッと確かめて。

金髪はこんな時に困る。何しろ目立つし隠れようがない。
だけど今ここでディパックからニットキャップを取り出して被れば、今度はそれを目印に追って来られる。
目の前でタクシーに乗り込んでも、ナンバーから足がつけば意味がない。

そのまま奉恩寺への大門をくぐる。この広い寺の中で撒くのが得策だ。
掴まえられるなら掴まえてみればいい。ガキの頃からかくれんぼは得意なんだ。

昼間の奉恩寺は観光客やら信者の人やら、結構な人が行きかってる。
この寒さにも信心は折れないんだな。そう思いながら奉恩寺のシンボル、弥勒菩薩へ走る。
信心深いどころか仏教徒ですらないけど。

神にもすがるってこんな気持ちなんだな、いや、困った時の神頼み?
正面の大きな香炉や石灯籠の近くにはやっぱり人がいる。
俺はその目を避けるように、菩薩像の脇に回り込んだ。

そこで背中のディパックを降ろして、素早く開けて中に手を突っ込む。
指先に触ったニットキャップを引っ張り出すと目深にかぶる。
はみ出た金髪を全てその中にたくし込んで、念の為に機内の着替え用に入れてたパーカーに着替える。

これで少なくとも印象が変わって欲しい。すぐには判らない程度に。
ディパックを背負い直して、ニットキャップの上からパーカーのフードまでかぶって、リップスティックを抱えた時。
「・・・坊ちゃん」

聞こえる筈のない声にパーカーのフードの縁を直してた両手が落ちる。
「行きましょう。美容院までお伴します」
「何で」
「坊ちゃんはかくれんぼがお得意ですが」
秘書は困ったみたいに笑いかけた。
「私は坊ちゃんがお小さい時からずっと鬼役だったので。隠れ場所は見当がつくんです」

そうだ。この人とはそんな長い付き合いだった。
小さい時は年の離れた兄さんみたいな気持ちだったのに。
今俺の気持ちを伝えれば、この人だって仕事と情との板挟みだろう。

「さあ」
そう言って差し出された手に、一歩後退る。
「見逃して?・・・って言っても無理だよね?」
「申し訳ありません」
「詳しくは説明したくないんだ。困らせたくないよ」
「・・・判ります。坊ちゃんは昔からそんな子でした」
一歩踏み出す秘書の革靴に、俺のスニーカーがもう一歩下がる。
「でももう、かくれんぼや水族館は終わりにしましょう」

そうやって終わりに出来る奴もいるだろう。道を変えて歩いて行くのを成長と呼ぶ人もいるだろう。
でも俺には出来ない、少なくても今はまだ。自分の心の中にあるものを、どうにか形にするまでは。

「ダメだ」
「困らせないで下さい」
秘書はそう言ってスーツのポケットからスマホを抜いた。
「そうでなければ今ここで、奥様に連絡しなければなりません」
「ダメだって!」

その手のスマホを取り上げるか、それとも一か八か走って逃げるか。
「ごめん!!」
そう言って出来る限り緩い力でスマホだけ狙い、爪先で蹴り上げる。
秘書の手にあったスマホは高い放物線を描いて冬の空へ飛んで行く。

「坊ちゃん!」
秘書も本気になったんだろう、まずはスマホを無視して俺の腰へと強いタックルを掛ける。
「ケガするよ、まじで止めろって」
ここで前蹴りなんて出したら、正面から突っかかって来る秘書の顔面にクリーンヒットだ。
鼻や歯でも折れたらシャレにならない。
じわじわ退きながら腰を捻ってタックルを振り切り、もう一度走ろうとした瞬間。

確かに俺と付き合いが長いだけはある。テコンドーでは足を殺すのが大切だってよく判ってる。
秘書は思い切り俺の両脚目がけて、もう一度突っ込んで来た。

それを避けたのは確実に覚えてる。揉みあって足元が滑った事も。
そして忘れてた事も思い出した。ガキの頃にこの人が言った言葉。

僕はね、学生時代フットボールの選手だったんだよ。

フットボールって何?そう聞いた俺に言った。

テコンドーは足を使うだろう?フットボールもそうだ。ボールを持って走る選手を、みんなでタックルして止めるんだ。

揉みあって足許が滑って、そして俺は倒れ込んだ。もの凄く眩しい光の中に。
受け身を取ろうと体を捻って衝撃に備えた。
弥勒菩薩の周りって石段だよな。この勢いで打ち付けたらケガする。
石段の角に頭でも打ったらケガで済まないかもしれないし、背中から行ってディパックの中のラップトップが壊れても困るな。

妙に冷静にそう思った。そして確かに無様に転んだ。

硬い石段の上でもアスファルトの上でもなく、とても冷たい土の上に。

 

 


 

 

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