2016 再開祭 | 婆娑羅・18

 

 

「朝からずうっと、訓練してたわよね?」

細い腕で体を支え凭れた出入扉。
其処から動かぬまま、あなたの偽りの穏やかで優しい声が続く。
「・・・はい」
「今は何時か知ってる?」

次に異変に気付いたのは、この方と付き合いの長いチュンソク。
突然刻を尋ねるその声に不安そうな顔で俺を振り返る。

狭い兵舎内で、わざわざ刻を報せる法螺は鳴らさない。
先刻歩哨の交代を知らせる声が、兵舎の中から届いた気がする。

庭に立ったまま頭上の真冬の空の色と星の場所を仰ぎ
「酉の刻頃かと」

俺の答に頷きながら、この方は続いてカイを見る。
「さすがヨンア。分かってるのね。カイくん、スマホのバッテリーがまだあったら、時間確かめてみてね?今夕方の5時過ぎくらいだから」
「・・・う、うん」
カイもこの方の様子が何処か妙だと感じたか、首を傾げて頷いた。

「それで本題なんだけど。3人とも、ご飯は?」
その声に互いに顔を見交わす。チュンソクは首を振り、カイも同じだ。
そうだ、昼飯。すっかり忘れていた。

「・・・鍛錬に、熱が」
「ふうん、鍛錬に、熱が。だけどカイくんはこの前、本当に熱が出たんじゃなかったっけ?」
この方の声にカイは慌てたように顔の前で掌を振り回す。

「ウンスさん、それはね?」
「ヨンア、私、お願いしたよね?ぶり返したらいけないから止めてって」
「・・・はい」
「止めてくれるのかなー、いつかなーって、兵舎の中で待ってたの」
「はい」
「あ、あのねウンスさん。でも俺達時間がないんだよ?教えるって約束したし、俺だっていつあの仏像から帰るか」
「カイくん、薬は?」
「・・・え?」
「ご飯食べなきゃ薬湯飲めないって、私言ったわよね?熱が出た時に。
だからカイ君、食欲ないのに、頑張ってお粥食べたのよね?」

静かに言いながら扉の木枠に突張っていた腕を降ろし、あなたは雪の中を此方へ歩いて来た。
「うん、ごめんなさい」

カイは早々に尻尾を巻いて、近付くこの方へ頭を下げた。
「せっかくウンスさんが心配してくれたのに、ごめんね?許して」

この方はそのまま、チュンソクへも目を向ける。
「チュンソク隊長は止めてくれるって信じてた。少なくても1回くらいは休憩挟んでくれるかなって。
チュンソク隊長が言ってくれれば、この人も気付くかなって」
「申し訳ありません、医仙、自分もすっかり夢中で」

チュンソクもこうして言われて、初めて思い出したのだろう。
昼飯すら喰わず、一日中鍛錬していた事を。
本当に申し訳なさそうに眉を下げ、ついでに頭も深く下げた。

「いい?カイくんは病み上がり。ヨンアもチュンソク隊長もこんな寒い雪の中で昼ご飯も食べずに訓練してたら、いつ誰が倒れてもおかしくないの。そう思わない?」
宵の帳の中、篝火に揺れながらその声と姿が段々と近く寄る。

「今、すぐ」

俺達の眸の前まで辿り着いたこの方は細い指で篝火の向こう、兵舎の出入扉を真直ぐに勢い良く指した。
「今、すぐ、兵舎に帰って。お風呂に入って、ちゃんとあったまって。
終わったらすぐ、ご飯を食べなさい!カイくんもチュンソク隊長も、もちろんヨンア、あなたも!
カイ君はその後、必ず薬湯を飲むこと!!」
「判った!」
「はい!」

声が終わるや否や、カイとチュンソクは深く頭を下げて雪の中を一目散に出入扉へ駆け戻る。
この方は肩越しにそれを確かめた後、怒りの籠る瞳で俺を見上げた。
「ヨンア」
「はい」
「ご飯だよって、呼んだの気付いた?」
「・・・はい」

確かにそんな声が聞こえた気もする。
しかしカイもチュンソクも俺も、碌に注意を払わなかった。

ひたすら考えていた。覚えねばならん。一刻も早く。
カイも同じだろう。教えねばならん。約束した以上。

この方を護る為に、兵を無事に返す為に、こんな珍しい天界の武技を学ぶ好機を逃したくなかった。
俺とチュンソクで其々覚えれば、後は各軍の長に教えられる。
併せて武芸書が残せれば、各軍の鍛錬も足並み揃えて行える。
それだけを思い詰め、確かに熱は入り過ぎていた。
この方がその無茶に医官として怒るのも無理はない。

「ご飯を抜いてまで覚える事だったの?」
「はい」
間髪入れずに頷いた俺に、その瞳に籠った怒りが薄れる。
呆れたように細く吐くこの方の息が、薄闇の中へ流れて消えた。
「私は、あなたの体が一番心配」

嘘ではない。先刻のような怒りを抑えつけた瞞しの声ではない。
それが証にこの方は深々と冷える庭で俺の手を強く握ったから。
「ご飯だけは必ず食べて。どんなに時間がなくても。約束して?」
「努力します」
「食べてってば!体壊してテコンドー覚えても意味ないでしょ?」
「刻が無い」
「どうしてそう融通がきかないの?!」

堪え切れなくなったように、この方の声が爆ぜる。
申し訳なく思っても、それでも嘘は吐きたくない。
「カイに飯や薬湯を抜かせた事は申し訳ない。チュンソクもです。
但し俺は一食二食抜こうが、先に跆拳道を覚えたい」
「明日もこの調子でやるつもりなの?」
「カイが戻るまで」
「じゃあ明日から、ここにお昼ご飯を運ぶ。そうしたら食べる?」
「あなたが其処までする事はない」
「だって私も病人が出ない限りは、カイくんの年表を見るくらいしかやる事ないし。
あなたが今日みたいにご飯を抜くより、何倍もいい」

言い出したら退かぬ方だ。其処まで心配を掛けた申し訳なさもある。
渋々頷く俺に、ようやく怒りも呆れもなくなった瞳が笑いかけた。
「私が運んだら、食べてくれる?」
「・・・イムジャ」
「食べやすいのはキンパかな。でもノリが手に入るか分からないし、どうにか食べやすい形にする。絶対に食べてね?」

この手を握る細い指先がこうしている間にも冷えて行く。
それを握り返すと言葉も無いまま、出入扉へと急ぐ。
「まずは、あなたも風呂に」
「うん、入る」
「温まって」
「うん、温まる」
「その後は飯・・・」

其処まで言って出入扉に伸ばしかけた手が止まる。
「イムジャ」
「うん?」

中途半端に扉を押し開け突然手を止めた俺に、あなたの不思議そうな視線が当たる。
「飯は」
「え?」
「あなたは、昼飯は」

出入扉前で向かい合ったまま、白い頬が膨らんだ。
「食べないわよ、待っても呼んでも来てくれないし!一人で食べるのイヤだったもん。
国境隊長さんもいないし、他のみんなはまだあんまりよく知らないし」
「・・・今までですか」
「ヨンアに怒られたくないわよ、私の気持ちが分かった?」
「腹が減ったでしょう」
「ペコペコだってば!それがイヤなら、明日から一緒に食べて」

思い至るべきだった。刻の無さよりも先に考えるべきだった。
武芸書や鍛錬の進み具合の前に、この方を案じるべきだった。
一人で飯を喰うのを嫌う方だと。俺が喰わねば絶食もし兼ねんと。

思わず出た舌打ちに、この方の目が三日月に緩む。
「反省、した?」
「はい」
「じゃあもういい。今日は許してあげる。明日から約束守ってね?」
「はい」

まずはこの方に飯を抜かせる事の無いように。
少なくとも己が理由でこの方が飢えぬように。
俺が無理でもチュンソク、若しくは国境隊長。どちらかを脇へ置き、飯は絶対に喰って頂く。

己に腹を立てながら扉を押し開ける勢いに、この方は目を丸くした。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    ヨンアもウンスもお互い思いやってていいですねー(//∇//)舌打ちが出るのがそことは!
    ところで、前にもちょっとん?って思ったんですが‥漢方は基本食前投与ですー(*´∇`)
    まあ、個人的には食後でも効能は然程かわらんと思いますが、前にワンゲママにお重頂いたときも?と思ったので一応お知らせまでですー。
    失礼しましたm(_ _)m

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