2016 再開祭 | 孟春 外伝・結 前篇

 

 

記憶を辿り、灯を落とした廊下を昼にも訪れた水刺房に向かう。
薄明りの廊下は擦れ違う者もない。
何故宮中というのは、何処も彼処も同じような景色なのだろう。
朱柱も、翡翠色に塗られた天井も。

こうして廊下を歩けば、開京の皇宮にいるような錯覚に陥る。
回廊の隅に見慣れた鎧姿や顔がないのに、妙な気分に襲われる。

奴らはしっかり務めているか。そんな事をふと思う。
不在の不安はない。その為に日頃から死なぬ程度に鍛えている。
チュンソクがいる。そして組頭がいる。奴らに預ければ安心だ。

温宮よりも北の開京、こんな夜は骨まで悴む寒さの中で歩哨に立つ事になる。
隊服上に着込んだ鎧の重さ。そこに打った鉄の星が凍りつく。

それでも王様と皇宮を守ると、その一心で夜を超える。
横にいる朋を信じているから、長い冬夜を乗り越える。

その兵を束ねる長がぬくぬくと温かい屯所に詰めれば、そんな気概も否応なく薄れて来る。
それが兵の分裂を招く最初の一歩という事は、叩き上げの兵ならば身に染みている事だ。

温宮はいざ事が起きれば、捨て駒となる場所だと判っている。
王様が居られればいざ知らず、防げぬ暴動でも起こらぬ限りその可能性は限りなく低い。

それでも此処に生きる民が居り、守る兵が居る。
そんな者らが無事に生き延びる方法。
行き場を失った民を全員開京に抱え込むわけにはいかぬ。
そんな判を下せば人は溢れ物資は足りず、結局全員が共倒れになる。
温宮への骨休めの旅でこんな事に頭を悩ませるとは夢にも思わなかったが、備えておくのに越した事はない。

こうして兵の様子を目にする度に、他軍であっても首を突込むのは悪い癖だ。
そんな事をするからあの方の機嫌も損ねる。
判っておっても今更退く訳にいかず、俺は水刺房への足を早めた。

 

*****

 

「訊きたい」
昼に続いて一人きり厨に現れた俺の姿に、水刺房の尚宮から甲高い声が上がる。
水刺房という女所帯に男が現れた悲鳴と思ったが、どうやらそれも違うらしい。

尚宮らは目を輝かせ、前触れなく現れた俺の顔を凝視している。
そんな尚宮らを奥へ追いやり、先刻の年嵩の尚宮が前へ進み出た。
「何かございましたか、大護軍様」
「ああ。夕餉の残りはまだあるか」

その声に尚宮は、厨の台を目で示す。
其処に今宵あの部屋に運ばれた皿に盛られていたのと同じ料理が、堆い山を拵えていた。

「兵の食堂へ運んでくれ」
「畏まりました」

処分するには忍びないと思っていたから、そうしていたのだろう。
異論を唱えるかと身構えた俺に、年嵩の尚宮は拍子抜けするほどあっさりと頷いた。

「・・・済まんな」
「いえ、どなたかに召し上がって頂ければ何よりでございます。
大護軍様医仙様にお作りしたお料理ですので、大護軍様がお許し頂けるなら、夜食に供します。
兵らも喜びますでしょう」
尚宮はそう言って、今は部屋奥から興味深そうに此方を見詰める若い尚宮らに振り向くと
「聞こえたであろう。お運びせよ」
と声を飛ばした。

指示に一斉に動き出す若い尚宮らの中、厨を後にしようと背を向けた俺に尚宮が呼び掛ける。
「大護軍様。明日から、本当に食堂で兵らと食事をお取りになるのですか」
「無論」

頷く俺に年嵩の尚宮は大きな息を吐くと、思わせぶりに呟いた。
「大護軍様はそれで御心が晴れましょうが、医仙様は」
「・・・医仙は」
「いえ、何でもございません。年寄りの邪推で御座います。お忘れ下さいませ」

妙な含みを持たせた物言いに、思わず眉が寄る。
「何だ」
「失礼致しました。本当に、どうかお構いなく」

他の事なら構わん。しかしあの方に関わるとなれば話は別だ。
忙しなく立ち働く尚宮らの波から一歩外れ、俺は年嵩の尚宮へ改めて向き合った。
「医仙が何だ」
「いえ、本当に。私如きの思い過ごしをお耳に入れるなど」
「回りくどい事をするな」

新兵なら震え上がるような一喝にも、尚宮は顔色一つ変えず平然と頭を下げた。

「高麗一とも謳われる大護軍様の美丈夫ぶりに、尚宮らは浮かれております。それは兵とて同様。
天界の美しさを初めて目にすれば、邪な気にならぬとも限りませぬ。
その医仙様と共に、兵の屯する食堂でお食事をお取りになるのですか」
「何が言いたい」
「懼れながら」

紋切り口上とは裏腹にまるで懼れても居らぬ声音で、年嵩の尚宮は微笑んだ。
「若い兵には目の毒だと申しておるのです。あのような美しき医仙様を、その目の前に晒すのは」

・・・まさかそんな事がある訳がない。俺の娶った女人と知りながら。
そう思いながらも心の何処か、黒雲が凄い勢いで渦を巻き始める。

確かに迂達赤ならそうだろう。俺を裏切って何が起きる訳もない。
但し他軍の奴らは知らぬ。
俺達の間に起きた事も、俺がどのように待って来たのかも。

あの方を一人残した部屋。その周囲を守っていた、廊下に並ぶ兵。

俺は此度こそ本当に何一つ言わず、そのまま厨を飛び出した。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    年の功なのかな…
    若い尚宮さんたちが、素敵なヨンに、ぼう~としているのに気付き、美しいウンスは、ここの兵士たちの憧れの的になるかもしれない…ってことを、あの、大護軍ヨンを目前にして言い切ったもの。
    迂達赤じゃないものね、ここの兵士は。
    部屋にいるかな?ウンス?
    明日の朝餉は、どこで食べるの?ヨン?

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