2016 再開祭 | 金蓮花・丗参

 

 

迎賓館の表門、敷石を踏んで近付く小さな足音を耳が捕らえる。
間違える筈も無い、待ち焦がれた大切な足音が。

一日千秋どころか一刻千秋だ。

早く出て来てくれ。門の敷居を一歩此方へ戻れば高麗。
高麗にいる限り俺の手が届く。俺の手が届く限り必ず護る。

足音が近くなる。近くなる度心の臓が痛くなる。

あと三歩、二歩、一歩。

衣の端がその門扉をひらりと超えた刹那、そのまま腕を攫う。

待ち侘びたあなたの無事な姿。緊張していたのか白く強張る頬。
それでも腕を掴んだのが俺と判ると、細い指を二本、顔の横で立ててみせる。

鳶色の瞳、勝気を装い引き結んだ唇。
少なくとも見る限り、手荒に扱われた様子はない。

秋の陽に透ける亜麻色の髪に指を滑らせ、安堵の余り息を吐く。

帰って来てくれれば良い。それ以外は望まない。
あとは全て俺の役目だ。俺に任せておけば良い。

 

*****

 

「捜索の軍を全て退く」

手裏房の酒楼の非公式の軍議。
其処に呼んだのは、禁軍護軍のアン・ジェと武閣氏隊長の叔母上、そしてチュンソク。
「チェ・ヨン」
「正気か」
「隊長」

銘々から上がる声の中、離れた卓に座るあの方だけが深く頷いた。
あなたの瞳だけがあれば全て信じられる。この判断に間違いは無い。

「医仙が徳興君に揺さぶりを掛けた。天の手帳でな。奴は相当に焦っている。更に大きな揺さぶりを掛ける。
兵を退けば、奴は医仙が何かしらの動きを起こしたと見るだろう。其処が狙いだ」
「それは良いが・・・」

叔母上の声の途中で、最後の演者を呼ぶ。
「マンボ」
「何だい」
この非公式の軍議に臨時参列する珍客へ声を掛ければ、マンボは面白そうに頷いた。

「手裏房の奴らは張り込んでるな」
「ああ。裏も表も内も屋根裏も水一滴漏れないくらいに張ってるよ。安心おし。後でお代は確りもらうよ」
「王様にお願いする。但し王妃媽媽が御無事で見つかればだ」
「忘れんじゃないよ」

動きがあればすぐに此処へ人が走る。 恐らく徳興君本人は動くまい。
動くのは手下だ。後を尾ければ判る。
「すぐに兵を退かせろ。なるべく目立つようにな」

それ以上の反論はない。
叔母上もアン・ジェも無言で椅子を立つと、それぞれ大路を走って消える。
続いて此方へ頭を下げ、飛び出そうとしたチュンソクを呼び止める。
「チュンソカ」

役目では滅多に呼ばぬ名に驚いたよう、奴はすぐ足を止め振り返る。
「は」
「医仙を連れて皇宮へ戻れ」
「隊長はどうされるのですか」
「いつ徳興君が動いても不思議はない。此処で報せを待つ」
「判りました。医仙」

その声に、離れた卓のあなたが立ち上がる。
真直ぐ見つめる瞳に頷けば、判っていると言いたげな笑みが戻る。
「トルベを寄越します、隊長。共に動いて下さい」
「ああ」
「では参りましょう、医仙」

総てが動く。此処まで三日。膠着した戦は動き出せば早い。
仕掛けは済んだ。相手は此方の肚裡を読む間もあるまい。
たとえ読めたとて尻に火が点いている。必ず動くしかない。

チュンソクが周囲を警戒しつつあの方を守り、大路を皇宮へ戻って行く。
陽射しの中に遠ざかる小さな背を送り、ほんの一瞬眸を閉じる。

後は皇宮で断事官相手に、王様が何処まで御志を貫けるか。
何処まであの方を大切に思って下さるか。信じるしかない。

 

*****

 

「ドチヤ」

再び招集した都堂会議。断事官から突き付けられた返答の日。
康安殿の卓の上を整えつつ、背後に控えるドチに呼び掛ける。

「はい、王様」
「報せは」
「・・・未だ」

こうして条件を突き付けられる情け無き王。
王妃を攫われ、企てた相手が判っておろうとも、その男を殺す事すら出来ぬ情けなき王。
その男に一度はこの国まで明け渡そうとした、分別も思慮も矜持も足りぬ不甲斐なき王。

このままで良いか。
こんな王で、チェ・ヨンはもう一度寡人の民になると悔いなく言ってくれるか。
その時自分は胸を張り、あの男の声を受け入れられるか。

出来る訳がない。だから成らねばならぬ。

あなたの残した面紗。あの初めて逢った元の宮殿で交わした声。
共に自由に空を飛びたいと願った唯一人の方。
誰にも見せられぬ弱った肩に、その柔らかい両手を置いてくれた。
そんな風に寡人を慰めて下さった初めての方。

あの離宮で寡人を待ちつつ、花冠を被り少女の如く笑っておった。
愛おしい妻を見る男の想いを教えてくれた方。

そうして過ごしたこれまでの刻の全てが、ただ胸に押し寄せる。

「戻るか」
「必ずや」
「今はあれこれ思うまい。ただ吾子に、このような屈辱は決して味わわせぬ。それだけを思おう」
「・・・はい、王様」

握り締めたあの方の香の残る面紗を箱へ戻し、黙って康安殿の階を降りる。

都堂会議へ。チェ・ヨンに、そして医仙に救って頂いた心だけを頼りに。

 

 

 

 

1 個のコメント

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    緊張しまくりで 出てきたウンスを
    心配、ただただ心配のヨン
    無事を確認したときの 嬉しそうな顔。
    ウンスも精一杯 おどけて報告!
    王様…まっててね(。•́ωก̀。)グスン

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