2016 再開祭 | 金蓮花・丗壱

 

 

主である王妃媽媽が居られぬ所為か、それとも王様御自身の御心か。
以前幾度か伺った坤成殿の室内は、今までとは全く違う気配がする。

暗い。

抑えた行燈と揺れる仄かな油灯の中、王様が此方をご覧になる。

室内は既に勝手をよく知るあの叔母上が、隈なく探し尽した筈だ。
それでも何も出て来ないとすれば、今更俺が探す事も無い。
部屋を見渡し確かめる事も無く、俺をご覧の王様を見つめ返す。
その視線に王様が御目を逸らされる。

「暇を頂いた者が、心配の余り参じました」

覚悟していた叱責の御声も無い。ただ御目を逸らし続ける王様。

「お聞かせください。徳興君、あの者は何と申したか」

その龍顔には何の感情も浮かばず、何の御声も未だに返らない。

「王様」
「・・・何故戻ったのだ」
御目を逸らしままの王様に掛けられた、思わぬその初めの御声。
「せっかく送り出してやれたのに。去っていればこんな惨めな姿を、そなたに晒さずに済んだ」

変だ。御様子がおかしい。
その表情。憤怒も苦衷も見当たらぬ、何の感情も読み取れぬ御目。
「王様」

暗い部屋の中、王様の座られる卓に手を突きその御目を確かめようと身を乗り出す。
「此方をご覧ください」

それでも御目は戻っては来ぬ。
御心を失くしたような焦点の合わぬ、黒い洞窟のような双の御目。

「最早王妃は助かるまい。手立ては尽きた。この手であの者を殺す事すら叶わぬ。
成す術もなく此処でこうして惚ける以外。この間にも」

御言葉ではなくこうして王様の御顔を、其処に浮かぶかも知れぬ御心の裡を探ろうと。
一瞬の隙も無く見つめていても、何も見えて来ん。
読める御心が全く無い。それはつまり本当にあの方のおっしゃる通り。
王様の御心を壊すと言う薄汚れた鼠の奸計に、王様が嵌ってしまわれたという事なのか。

御心を失くして国を治める事など出来ぬ。
誰より民の心を判る御心を持っておられねば。
痛みを御自身の痛みとし、喜びを御自身の喜びとする志無しで、誰も決して王様の真の民とはならん。
ここ十数年で幾度も挿げ替えられた、王の一人として忘れられていく。
そんな方の御為に命懸けで国を守り、攻め込む万軍を迎えて立ち上がり、戦おうとする民など居らん。

もしも御心を失くされたのなら。
あの時俺が確かに感じ、それ故に最初の民になろうと決めた御心を失くしたなら。

常に迷いの中、御自身の行く末にすら惑い、力もお持ちではない。
しかしその弱さを認めそれを恥じる。恥が何かを知っておられる。
それ故にこの方が恥をかく事なきよう、御守りすると決めた王様。

手を突いていた卓を思い切り横へ払い除ける。
其処に王様の大切なものが、諦める事の決して出来ぬものが載っているのを重々承知の上で。
王様は家臣の俺の面前だと言うのに急いで床へ跪き、其処へと落ちた薄絹の面紗を握られた。

「王様、お立ち下さい」
恥を知る方が、知る筈の方が此処まで。
「王様は決して跪いてはなりません!」

跪いた王様の横、己も床に膝を着き御体を引き起こして今一度、椅子へと座って頂く。
落ちたなら拾えと御命じになれば良い。王様ならそうすべきなのだ。
どれ程に御手ずから拾いたくとも、王様がされてはならぬ事がある。

最早それすら忘れてしまわれたのか。本当にもう終わりなのか。
あの方はおっしゃった。今俺が戻れば王妃媽媽をお救い出来る。
そしておっしゃった。徳興君は王様の御心を壊そうとしている。

あの方を信じる。
どれ程此方の肝を冷やそうと、おっしゃる声は全て怖い程に全て的を射ている。
「王様、徳興君に会い何を話されましたか」

椅子に腰を据えられた王様の御前、俺は床に片膝立てのまま御顔を真直ぐ拝す。
俺の手の中には無い、幾つかの知りたき事柄。
急務は王妃媽媽の奪還、それを成す為にも知らねば動けぬ。
「奴の肚を探ります。徳興君に何をお話になりましたか」

逸らし続けたその御目が、片膝立ちの俺に漸く戻る。
思い出して下さるだろうか。王様が動く事はならぬ。
王様の為に動く者を見つけ、その者に御命じになるのが王様だ。

「あの者は、全て否認した」
「取引などは」
「いいや。取引すらせず不敵に笑っただけだ。余は王位を差し出し、我が国まで差し出し縋った。あの男に哀願したのだ」
あの鼠に哀願した。
その恥すら感じられぬ程、王様は壊れておしまいになったか。

「医仙の言葉に由れば、あの男の狙いは王様の御心を壊す事だと。
王様の御心は壊れておしまいですか。それならば諦めます」

ああ、この方のその御目だ。俺に戻ったその御目。
線細く、頼りなげにも見え、常に惑っていても御自身の正道は諦めぬ。
だから俺は決めたのだ。この方が恥をかく事なきようにお守りすると。

「・・・余は如何すれば良いのだ」
「御命じ下さい」
「王妃を・・・救い出せ」

その御声だ。どれ程力無く萎れても、それでも御命じになれる。
壊れる寸前、最後の一歩で負けまいと踏みとどまるその御声だ。

片膝立ての床から立ち上がる。王命だ。
「承りました」
「隊長」

揺れる御声に呼ばれ、腰掛けた王様の御顔を拝見する。
「よく戻ってくれた」
「戻ったのではなく、参ったのです」

これが終わればまたあの方を連れて出る。 幾度でも繰り返すだろう。
この心の命ずるままに。 そうせねば俺の心もきっと壊れてしまう。
あの方を想い過ぎて、必ず壊れてしまうのが判っている。

心の赴くままに走れる己は、踏み止まった王様に比べれば幸運だ。
少なくとも心のままに動ける。背負うものがこの方とは全く違う。

王命は下った。此処に参じた以上はそれに従う。
俺は頭を下げると、暗い坤成殿から飛び出した。
其処に控え待つ奴らがその歩に合わせ並び出る。
「手裏房に伝えろ、準備して待てと」
「はい!」

回廊を歩く俺の左右脇に広がる奴らのうち、テマンが頷くと疾風の如く走り去る。
「他の迂達赤は」
「全員待機しています」
声に応えてトクマンが伝える。

「奴は王妃媽媽を殺す気だ」

その声で回廊に緊張が走る。
汚れきった奴の肚裡を読む。読んでみせる。間に合ううちに。手遅れになる前に。

 

 

 

 

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