2016 再開祭 | 桃李成蹊・16

 

 

まるで鏡の向こうから見られてるみたいでバツが悪い。

その目に何もかも見透かされるみたいで居心地が悪い。

それでも。

「ありがとうございます」

しっかりお礼は伝えたい。どんなに話す機会が少なくても。
ここに移って来てもらってからゆっくり話せたのは、最初の夜の一度きりだったから。

それ以来俺は専任ドクターの往診以外、部屋でグッズにサインをしたり、台本を覚えたり、もらった資料やスケジュール確認したり。
ヨンさんは俺の代わりにトレーニングへ行く以外は、ウンスさんと2人で部屋にこもってる事が多い。

外にだって出たいだろう。
だけどウンスさんと手を繋いで2人きりで出掛ける事は出来ないって、俺達の誰も何も言ってないのに判ってくれてる。

少なくとも表面上、一番自然なのはウンスさんだ。

ヨンさんが家にいる間はまるでヒヨコみたいに、ヨンさんの後ろをついて回ってる。
きっとこの2人はここじゃなく、2人きりの時もそうなんだろうなって思うくらいに飾らない。

整形外科のドクターで、だけど相当長い時間仕事に行く気配もなく、それを心配する様子もない。
たまにヨンさんの留守中にリビングで行き合うと、ニッコリ笑って
「ミンホさん、痛まない?」

俺の腕を見た後にそう言って、その後
「カルシウムは摂ってね」
とか
「ビタミンDと日光浴も一緒にね?外に出られないから、部屋の窓を開けておくだけでも良いのよ。日焼けしないように」
とか、必ずそんな一言を添えてくれる。

ヨンさんの身代わりを早く終えたいからって感じでもない。
ただ俺の体を、本当に心から心配してくれてる気がする。
この状況を利用しようとか、後々何かしようとかいう気配もない。

第一スマホだってここに来る時さっさと契約解除しました、って言った後、この人自身が一歩も外に出てない。
それじゃあ新しい契約だってしようもない。
ポケットの中に録音機器を入れている気配もない。
部屋にはPCも電話もあるけど、外部と連絡を取ってる様子もない。

ないないばっかりだ。

10日後に迫った海外ロケ。
パスポートが獲れない事情のヨンさん。
外部と一切連絡を取らないウンスさん。
最初の夜見せてくれたヨンさんの、腹にあった大きな傷。

判らない。判らないけど、聞いていいのか?

口ごもった俺にヨンさんが不思議そうに目で問い掛ける。

この人と俺の、一番の違いはその目だと思い知らされる。この人は何でも目で語る。めったに笑うことはないけど。
この人みたいに目で愛まで語れればどんなにいいだろう。どれ程離れた場所にいる人にも視線で気持ちが伝われば。
それが出来ない俺は、こうやって口で聞く事しか出来ない。

「話したい。ヨンさんと2人きりで。良いですか?ウンスさん」
「え?」
「いい?社長」
「それは・・・」
俺の声にソファに差し向いの社長とウンスさんが顔を見合わせた。

 

*****

 

「何だ」

この男らしい。碌に知りもせぬのに思う。
通されたその寝屋は白一色に溢れている。

滑りそうな程磨かれた床に足を取られぬよう部屋内を進み、
「座って下さい」
男が掌で示した白い長椅子へ腰を下ろす。

体が沈み込むほど柔らかい。高麗の硬い椅子が懐かしい。
床も椅子も寝台もこれ程柔らかければ、俺の腕枕も膝も用無しだ。
あの方を抱き締める名目が一つ減る事になる。

「海外ロケ前に、聞きたかったんです」
「何を」
「ヨンさん」

男はやけに真摯な目をして、角向こうの繋がる椅子に腰を下ろす。

「影武者のまんまで満足ですか?」

藪から棒の声に眉根を寄せ、眸の前の男の顔を見る。

「今のままじゃ、あなたの名前はいつまでもクレジットされない。俺の名前が残るだけだ。本当にそれでいいんですか?」

ミンホは卓上に置いた飴色の封筒を取り上げ、中身を引き摺り出して順に並べる。
其処にいるのは総て俺だ。先般の武術の鍛錬時に纏った衣姿で、とれーなーと組み合う姿。
乗馬でチュホンとは違うやけに線の細い若駒を宛がわれ、どうにか諌めその鞍に跨った姿。

「先生から言われたでしょう?どこでトレーニングしてたのって」
「調べたか」
「そうじゃないです。調べてたんじゃなくて」
「心配するな」

憂は傷の治りを遅くする。あの方の望む事の邪魔は出来ん。
あの方は示す。幾度でも繰り返す。笑え、明るい道を行け。
此方が尻込みしようが、手を振り払おうが。
その笑顔で心裡に入り込み、その花の香を周囲に振り撒き、その声でどれ程遠くからも呼ぶ。

だから気付けば探すようになる。向けられる笑みを。香を。声を。
そして真直ぐ怖れ知らずに、己の眸を覗き込むその鳶色の瞳を。

まさかな。俺の妻だと眸の前の男は知っている。
同じ顔で同じ女人に懸想されては立つ瀬がない。

「密偵の心得はある。そう簡単には露見せん」
「・・・密偵?」
首を傾げた男の声に舌を打つ。
ああ、天界では何と言う。何と言えばこの男に伝わる。

「密偵、身代わり、何でも良い。露見せねば万事うまく運ぶ」
「だけどあなたは?あなたはそれが終わったらどうするんですか?」

この答に何故か苛立つように、ミンホが声を荒げた。
「おかしい。俺の体を心配するだけのウンスさんも、何も要求せず俺の身代わりを務めてくれるヨンさんも。おかしいでしょう?」
「何処が」

醒めたこの声に逆らうように、奴の声が熱を帯びる。
向いの椅子から乗り出すようにした体が此方に迫る。
「金なら理解出来ます。これを利用して脅迫するっていうなら判る。あなたたちの本音が判らない。俺はそうされたって仕方ない。
あなたを誘拐したのは本当なんだし、今ここまで協力してもらってもう隠してる事もないんだし、全部バレてるんだし。
まして実力がないならともかく、ウンスさんはドクターだし、ヨンさん、あなたは」

この男もか。こうして答を求める。
唯一無二の男でいるとは、これ程周囲を懼れるのか。
返す言葉が変わらぬ事に、自分でほとほと呆れ返る。
それでも変わらん。遠からず離れる天界であっても。

「既に王を頂きながら、それ以上に何を望む」
「ヨンさん」
「自負や矜持は天からは降らん。這って探せ。その手で掴め。俺はお前の・・・」

民ではおかしい。この男は国を治めている訳ではない。
家臣と言えばこの間のように怒鳴り返される事になる。

何故こんな面倒な思いまでして言葉を探さねばならん。
腹を立てつつ最も近かろう一言をこの舌に乗せてみる。

「・・・朋になる」

此度毒気を抜かれたのは奴だったらしい。呆気に取られた顔をして
「友・・・」

向かい合ったミンホは俺の声に、低くそれだけ呟いた。

 

 

 

 

1 個のコメント

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    何も見返りを要求されないのは
    気味悪いわね~
    だけど 
    困ってる人 ほっておけない
    ウンスと ウンスの為ならエンヤコラ~
    他人とは思えない 何かを感じ
    これも縁、 友だって 
    友が困ってれば 助けるよ

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