春花摘 | 桃・9

 

 

「あれ、旦那」

あの方を宅へ送ったその足で、テマンと共に出た開京の城下。
真直ぐに向かった手裏房の酒楼の門をくぐる。
一斤染の夕暮れの中、俺を目敏く見たシウルが手を上げた。
「久し振りだな、どうした」
「師叔は」
「奥にいるよ。また何かあったのか」

腰掛けた石段から立ち上がり俺が陣取った東屋へ足早に寄ったシウルは、横のテマンにも笑いかける。
「ヒドヒョンもいるぞ。呼ぶか」
「頼む」

頷いたシウルがヒョン、頭、と騒々しく呼びながら奥へと駆けて行く。
その消える背を肩越しに見遣り、視線を戻す俺をテマンが見た。
「遍照から繋ぎはあるか」
「いえ。二日に一度は顔を出してるけど」
「そうか」

確かに何かあれば、こいつは真先に俺の耳に入れる筈だ。
届かないのはテマンに繋ぎがない証。便りが無いのが良い便りか。

仁徳殿に遍照を迎えて以来、増えていく一方の厄介事に溜息が出る。
どんな男か碌に知らぬ奴が次の王様の父親かもしれんなど。
叔母上に会わせるべきだった。そしてもっと早く調べるべきだった。
あの方に聞いた時点で。

会うたびに思う。根拠のない勘だとしても。
全て嘘で塗り固めた者とは違う。何処か信じられると思う。
確かに余りに巧過ぎる。
時折此方側でなく徳興君に付いたのではと思わせる程、真に迫った芝居をかまされようとも。

東屋の椅子に掛けたまま、大きく伸びをして眸を閉じる。
考えても答の出ぬ時は、考えんに限る。

「勝手に押しかけて寝てんじゃねえぞ、ヨンア!」
その声に眸を開き、振って来た師叔の手を間一髪で避ける。
「いきなり叩かないでくれ」
「避けたんだから良いじゃねえか。で、何だ」

俺と師叔の遣り取りに呆れるように、続いてヒドが東屋へ踏み込む。
「疲れておるな」
「ああ」
「遍照か」
「手裏房で何か掴んでいるか」

問い掛けにチホとシウルが迷わず首を横に振る。
「旦那に言われて皇宮の辺りに人を放ってるけど、何も引っかかって来てないぞ。
罪人に会いに来る奴もいねえし、間者に近づく奴も」
「俺もチホもちょくちょく確かめに行ってる。間違いないよ」

接触がないからと安心は出来ん。それでも全く動きが無いならひとまずは静観するべきか。
「遍照について調べて欲しい」

改めたその声に、最初に応じたのはヒドだった。
「怪しいのか」
「そうではない。ただ気になる事がある」
「何だ」

己が仲立ちしたせいか、ヒドは珍しく話に喰い付いてくる。
「奴は還俗について、何か言った事はあるか」
記憶を辿るように眉を顰めてしばらく考え込み、
「少なくとも俺は聞いた事が無い」
俺に向け、ヒドは断言した。
「そうか」
「還俗したいと言い出したか」
「いや、そうではない」
「何だ何だ、はっきりしないねぇ!」

奥から酒を運びながら、マンボが大声で話を蒸し返す。
「言いたい事があるなら吐いちまいな、ぐじゃぐじゃ言ってないで」
「俺にもまだ判らん」
「判らないなら話を持って来るんじゃないよ、聞いてる時間が無駄だ」
そのマンボの一喝に尤もだと頷く。
確かに考えても判らん事は考えるだけ、まして話すなど刻の無駄に違いない。

「だから調べて欲しいんだ、奴の事を。特に血縁と還俗について」
「そりゃ構わねえが、ヨンアよ」
マンボが音高く乱暴に卓へ置いた酒瓶を握り、手酌で杯を満たしながら師叔が俺の顔を横目で見遣る。
「たまには天女を連れて来い。おめえとテマンだけじゃ華がなくっていけねえよ」

俺のあの方に酌婦代わりをさせる気か。
ふざけるなと叫ぶ声を寸前で咽喉で殺し、黙ったままで首を振る。
今はあの方だけが知る、シンドンという還俗名とその男の行く末。
遍照が本当にその男なら、その時には手裏房にも伝えねばならん。
何も判らぬうちは話さない。時間の無駄だ。マンボの言う通り。
何かが判る前に連れて来てこの話になれば、いつあの明るい声がさらりと言わぬとも限らん。

もしかしたらあの人が、次の王の父親かも。

その当て推量がどれ程厄介事を呼ぶかを、あの方は知らぬ。
何の根拠もなく放った小さな一言が世を乱す事があるのだ。
今は裏になった駒が表に返り、全ての手駒が揃うまで。
揃えばそこに絵が見える。盤上をどう進めれば良いか判る。
それまであと暫し。

「判り次第伝える。血縁と、還俗だな」
ヒドの声に頷くと、俺は卓上の酒瓶を掴み上げる。
先ず師叔の杯を、次に眸の前のヒドの杯を、そして残りの空の杯を次々満たす俺に皆の目が丸くなる。
「飲もう」

ヒドへ杯を渡し、テマンへ、そしてチホとシウルへと眸を投げる。
これから手裏房の手を借りる事も多くなる。その情報網が頼りだ。
あの方ほど先は読めずとも、隠れている事が見つかるかもしれん。

ヒドが手に受けた杯を覗き込み、テマンは急いで首を振り、チホとシウルがそろそろと杯へ手を伸ばす。
「ヨンア!」

マンボが大声で俺を呼ぶ。振り返った俺に喜色満面で頷きながら
「酒代はもらうからね、いいね」
「好きにしてくれ」
その声に頷いて、杯を一息に煽る。

俺は笑顔を振り撒いて他人の心を掴むつもりは無い。
ただ鬼剣を振り回し戦場で生きる事しか出来ん。
それでも護ると誓うあの方がいる。力を貸してくれる奴がいる。

櫻花にはまだ早い春、考えるのは駒がそろってからだ。
桃花の許、たまには呑まねば息も詰まる。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    厄介事ばかりで
    ヨンも気の毒な…
    ウンスもね 口は災いのモト。
    厄介事のはじまりは ウンスの口から
    飛び出た 一言ってことがあるからね~
    もうなんとも
    これ以上 増やしたくないもの
    お疲れお疲れ~

  • SECRET: 0
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    ヨンそうですよ!
    たまには息抜きしないと
    身体も心も悲鳴をあげますよね(^^;
    さらんさん❤
    画像投票の終了時間が迫ってますね。
    どのお話を書いていただけるのかと
    今からワクワクしてます❤
    楽しみです~~(*^^*)

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