春草摘 | 辛夷(後篇)

 

 

あなたが私を膝から降ろすと、廊下を降りてコブシの木に歩いて行く。
そして下からその木を見上げて、長い腕を伸ばすと幹につかまった。
様子を見て長い脚を幹の分かれ目に掛けたと思ったら、特に反動もつけずにひょいと木の上に昇る。

次に幹から腕を離して枝に伸ばすと何度か揺らして、今度は幹を握らずにぴょんと地面に飛び降りて。
見てるこっちが呆気に取られてるうちに何事もなかったかのように悠々と、雪の残る庭を戻って来る。

「これが辛夷の春待芽です」
大きな手のひらを私の目の前で開くと包んでいた白緑色の小さな塊を、私の差し出した手のひらにそっと乗せてくれる。
「ほんとに毛が生えてるのね」
「ええ」

手のひらに乗せられたつぼみの甘い香りに、思わず鼻を近づける。
「すごくいい香りがする」
「辛夷は枝が折れても香ります」
「そうなの?」
「はい」

あなたは何でもないように頷いて、私の手のひらのつぼみを見た。
自信がなくなるのはこういう時。
どれだけ現代医学の知識が詰まってても、コブシの花の香りも知らない自分。
心配で手当たり次第に薬草や薬木を植えるのに、収穫する事も出来ない自分。
あなたを守りたいのに、こうしてあなたに頼る自分が悔しい。

「その程度の開き具合です。使えますか」
「うーん、明日の朝トギとキム先生に見せて聞いてみるわ」
「はい」
どれくらい開いても薬効があるのか、それすらもまだ分からない自分。
判断がつかずに言うと、あなたが困ったみたいに頷いた。

 

廊下でじっと此方を見ていたあなたの、小さな掌に春待芽を渡す。
最初は嬉し気に掌で転がし、指先で愛で、そして鼻先で香りを確かめた顔がふと曇る。
辛夷の枝を折っても香ると伝えた途端に。

先の世界に辛夷があるのかどうかは知らん。
ただそんな顔は見たくない。そんな顔の為に木に登ったわけでは無い。
「イムジャ」
「・・・なぁに?」
「辛夷の花の香を知る者は少ない」
「え?」

突然告げた声に、この方が蕾から目を上げる。
「高い処に開く花故、香を知る者は少ないのです」
「そうなの?」
「はい」
「でもヨンアは知ってたじゃない」
「戦の時は林に身を潜める事もあります。木を折って香れば、敵に勘付かれます」
「なるほどね。そこまで考えるの?」
「はい」

周囲に気配を悟られるな。己の香を撒き散らすな。
そう教えられ、闇の中の影のように過ごして来た。
だからこの方の、花の香に惹かれたのかも知れん。
生きている事の明るさと輝き、そのもののようで。

 

慰めてくれようとしたのは分かってる。私の変化に誰より敏感だから。
こうしてあなたの過去を聞くたびに、やっぱり胸が痛くなる。
木を折る事もしないように、武士として生きる為に得た知識。
そこまでして、息をひそめて、戦いに明け暮れて来たあなた。

だからあせる。どうにかして追い付かなきゃと思う。あなたに心配かけてる場合じゃないわ。それじゃ本末転倒だもの。
「ヨンア」
「はい」
「コブシのつぼみはね、鼻づまりに効くのよ」
「・・・は」
「鎮静や鎮痛効果もあるから、頭痛にもいいの」
「はい」
「頭が痛くなったらすぐ煎じてあげる」

そうよ、私だってだてに死ぬ気で勉強してるわけじゃない。
あなたがそんな風に息を殺して生きなくてもいいようにここにいるの。
心にも体にも、どんな傷を負っても私がすぐに治療が出来るように。
あなたの体が心配で、守りたいから戻って来た。その心が心配で、一緒にいたくて戻って来た。
そして何よりただあなたを愛してるから、永遠に一緒にいたくて帰って来たの。

だから今は一緒にこの香りを楽しみたい。今はあなたの居所がばれても困る事なんて何もない。
「安心して」

そう言ってあなたの鼻先にコブシのつぼみを近づける。
「春の匂いがするわ」

あなたはつぼみを見つめた後、高くてきれいな鼻先を近付けて深呼吸するように深く息を吸いこんだ。
いい傾向だ。自分の中のドクターが言う。
深呼吸できるのは心がリラックスしてる、そして肺機能が正常な証拠。
そんな私を知らないあなたは、優しく笑いながら、小さく顎で頷いた。
「・・・はい」

そんなあなたを見ながら私はふざけ半分で、別のつぼみの端っこをかじってみせる。
「イムジャ」
驚いたみたいなあなたの声に笑って頷く。
「大丈夫、毒はないから。でも・・・」

口の中に残ったつぼみを、廊下から庭の隅に身を乗り出して吐く。
「苦いし、毛がささりそう。口の中がイガイガするわ」
「喰って確かめずとも」
「ダメよ、あなたに出す前に何でも試さないと」
「生で喰っても良いのですか」
「薬草として使うのは陰干ししてからだけど、大丈夫でしょ」
「本当ですか」
「毒ではないわよ絶対!・・・お腹こわすかどうかまでは、知らないけど」
「イムジャ!」
「大丈夫。ちょっと苦いだけよ、すぐ吐いたの見たでしょ?」

こうしてあなたに出す前に私が試す。安心して自信をもって出すための臨床実験。
そうじゃなきゃ出せない。万が一にもあなたの毒になるものは。
あなたに関するIF、もしもはない。いつでもSURE、絶対じゃなきゃダメ。

今もこうしてあせる。でも急いだって始まらない。イライラしながらでも一歩ずつ、まるで赤ちゃんの歩みでも。
終わらないと思っていた雪だらけの冬も、いつか春になるように。

笑った私を抱き締めて、あなたの困ったみたいな溜息が聞こえる。

 

この方はいつでもこうだ。
何処までふざけているのか、此方の気持ちなど考えもせず。
勝手に独りで走り、俺の事だけを思い遣って笑って見せる。
早春の庭の中、周囲に春の香を振りまいて。
「頼む」
「分かったってば」
「あなたに何かあれば」
「ないってば!」

春が来る。日毎に朝は早く、日暮れは遅く。
水は温み、庭の根雪は崩れ、氷柱は滴を落とし。
あなたが笑う。何も無かったかのように。
辛夷の春待芽の芳香に包まれて、真直ぐな瞳で。

「コブシのつぼみの後、これから花がたくさん咲くわ」
「はい」
「高いとこだけお願いね」
「また齧るのですか」
「そりゃそうよ、あなたに出す前に」

当然だと言わんばかりに、自信満々にあなたが告げる。
「ならば取りません」
「そんな意地悪言わないでよ!」
「意地悪では」
「じゃあ、かじらないから!それならいい?」

抱き締めた腕の中から返る声。
「約束して下さい」
「心配性ね、わかったってば。かじらない」
渋々頷いた俺に、春の陽のような澄んだ明るい笑みが向く。

「なめるだけにしとくわ」

今は冬の終わり。この方は春を待つ春待芽。
心に焦りを隠し、来る春に備えているのだろう。
焦る事は無い。あなたが進む道に間違いなど無い。
長い冬を耐え、春のどの花より先に開く春待芽。
その強さも気の早さも、この方にそっくりだ。

「必ず俺が居る時に」

春。吐いた息が白く煙って居場所が露見する事は無い。
此方の心の裡が、息からこの方に見つかる事も少ない。
先走る春待芽。咲くなと止めても無駄なら見守るしかない。
出来得る限り溜息の気配を殺し、俺は渋々顎先で頷いた。

 

 

【春花摘 | 辛夷 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

 

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1 個のコメント

  • 本当に目の前でやり取りしているような、それでいて、心の中まで聞こえてくる、読んでいて楽しく一緒に笑い安らぎ、幸せです、ありがとう御座います?

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