春花摘 | 桃・4

 

 

横の大護軍が顔色の悪い医仙を慮るよう、黙ったままで見ている。
何れにしろ医仙も侍医もいらした。そろそろ切り上げ時かと判じ
「医仙、王妃の往診ですか」

声を掛けると渡りに船とばかり、医仙が寡人の声に頷かれた。
「はい」
「では、そろそろ戻ろう」
そう言って踵を返す。
寡人の脇の王妃が続き、それぞれの脇を大護軍とチェ尚宮が守る。
医仙とキム侍医がついた後ろを迂達赤と武閣氏が囲む。

出来る事ならこの美しい春の陽の中、王妃と二人で歩きたいものだ。
決して叶わぬと知りながら、その光景を夢に見る。

ほんの数刻で良い。誰も寡人を知らぬ、あなたを知らぬ場所で共に。
二人で笑い合い、手に手を取って自由に歩き、桃を愛でて草を摘み、空腹ならばふらりと市井の店に入って過ごしたい。

チェ・ヨンならばともかくチェ尚宮は決して許してくれぬだろうと、口端で小さく笑う。
判っているのだ、己の立場も、何を成さねばならぬかも。
そしてその道に邁進する事が己の国、己の民を守るのも。
実の父がそして兄が、甥たちが継いできたこの玉座を守り切る事が使命であるのも。

そこに座る為に元の地で屈辱に耐え、敵は容赦無く断罪し、そして今ようやくあの叔父を幽閉するところまで来た。
寡人の代わりにその手を血で穢し、心すら殺して寡人に従ってくれたこの男、チェ・ヨンを始めとする寡人の民達の功績で。

だからこそ赦す事は無い。
寡人に弓引いたからでは無い。寡人を膝まづかせる為に吾子を弑し、母である王妃の心と体に生涯癒せぬ疵を負わせた男。
最初の民チェ・ヨンを陥れる為に医仙を利用し、一度ならず毒を含ませた男。
寡人を貶める為に周囲の者たちを悉く傷つけた叔父、徳興君。

玉座とは血塗れているのだと、そこに就き続ける為に真先に狙い追い落とすべきは己の血縁者なのだと、骨の髄まで思い知らせた男。

けれどそんな愚かな争い事は、寡人で終わりにしてみせる。
王妃と次に授かる吾子には明るい世を引き継がせてみせる。

「・・・王様」
ふと昏かった目の前に、春の色が戻って来る。
顔を上げるといつの間にか固く握り締めていた拳を、柔らかく白い優しい手がそっと包んでいる。

それ以上の声は掛からない。そうだ、寡人にはこの方がいる。
飛ぼう、何処までも共に。
初めて会ったあの元の宮殿で、誰とも知れぬこの方に心で叫んだ。
飛ぼう、何処までも共に。
称えられる時も誹られる時も、栄えるも滅びるもこの方が共にいる。
寡人一人であれば耐えられぬ時も、横で黙ってこの手を握るこの方がいらっしゃるからこそ、途中で諦める事など考えぬ。

全て知ってみせる。国母になる筈だった王妃にどんな罠を仕掛けたか。
全て吐かせてみせる。そして首級匣に納め、奇皇后へ突き出してやる。
寡人と共に羽搏く翼の片方を穢した罪は、必ずその命で償ってもらう。

チェ・ヨンは怒っている、当然だ。
命より大切な医仙を傷つけられ、その上ようやく落とすはずだった首を直前で寡人に取り上げられ。
だがな、チェ・ヨン。
決して口に出す事は許されぬその言葉を、もう一度胸に繰り返す。
寡人も怒っているのだ。ただ普通に弑すだけでは飽き足りぬ程に。
判ってくれていると知っている。
だからこそ互いの胸にどうにか収め、互いの場所で待っているのだ。
全てを知った後、あの男の首を落とす日だけを互いに夢に見ながら。

 

*****

 

「先日、医仙と共に仁徳殿へ参りました」
「診察か」
「はい」

散策から戻り、チェ・ヨンと侍医と向かい合った康安殿内。
王妃が医仙と共に坤成殿へと退いた後、キム侍医は寡人に向け淡々と報告の声を重ねる。

「まず腕の傷に関しては完治しております。現在は弱った足腰の筋力を戻す為、専任の医官と共に鍛錬しております」
「何れにしろ、あの殿から出さぬのにか」
「はい」
「時間の無駄ではないのか」
「畏れながら、この後は王様の親鞠を執り行うと伺いました」
「確かに」
「自白を終えるまでにどれ程時が掛かるか判り兼ねます。まず体が動かせねば、誰かの手を煩わせる事になります。それを避けるために」
「成程な」
「某が許しました、王様」

チェ・ヨンが無表情のままで告げる。
「いや、責めておるのではない。遍照という僧も居る。これで一先ずあの男が死なぬ為の最低限は揃ったという事だ」
「は」
「してあの男の体は、親鞠には耐えられそうか」
「はい、王様」

キム侍医は何故か苦々しく笑い、確りと問いに頷いた。
「もともと腕以外には特に大事御座いませんでした。いつお始めになっても宜しいかと」
「判った。大護軍は早速親鞠の日を定めよ」
「は」
「侍医は引き続きあの男の体を診るように。全て自白するまで決して死なせるわけにはいかぬ」
「・・・はい、王様」

そうだ。目の前のチェ・ヨンとの約束通り。
この男が寡人の最初の民となると誓い、そして医仙を守ってくれと頼み、それ以来毛筋程もその忠心を翻す事が無いように。
寡人はこの者との約束だけは、交わした誓いだけは、何があろうと必ず守り通さねばならぬ。

チェ・ヨン、そなたに授けると約束した。
その奸計が白日の下に曝され、あの男が用を成さなくなった時には、あの首を与えると。好きにせよと。

チェ・ヨンは恐らく、一日千秋の思いで待っておるだろう。
初めて寡人の為でも国の為、民の為でもなく、己の為に抜刀する日をきっと待っておるはずだ。
そして寡人も待っておる。出来る限る長く生きよと。
寡人が今一度 王妃との間に嗣を成せるその日まで生きよと。
死ぬなど赦さぬ。罪を認め償いながら死より辛い生を過ごすが良い。

その日が訪れるまでは例え美しく長閑な春であろうとも、この心の中に凍った風が悲鳴のような音で吹き荒れている。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    王様も自由がないかただから…
    ほんとに 小さな夢よね
    王妃と2人だけで 自由に街中を歩きたいとか
    あちこち歩き回ってみたいでしょう。
    大きな権力と引き換えに 自由は無いのよね。
    目の上のたんこぶ 毒男
    思うことは1つだけれど…
    生かされて 屈辱を味わせてやるのも
    あ~ 心がないから わからないかな?
    こんなやつの為に 多くの人が
    心を痛めてるのが セツナイな。

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    民から見れば、何不自由の無い
    羨ましい暮らしに思えても
    本当の自由が無い王様と王妃様。
    せめて史実のような悲しい事が
    起こらず幸せになって欲しいです❤

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    さらんさん♥
    偉くなればなるほど、不自由にもなるし
    孤独にも近づくのでしょうね…。
    いくら一流の腕を持つコックが、贅沢な
    材料をふんだんに使って、珍しい料理を
    日替わりで作ってくれたとしても…
    屋台で湯気をあげているラーメンを
    二人並んで ズルズルとすすれるほうが
    余程幸せなのだろうな、と思います。
    しかも、王様や王妃様となると
    御毒見役もいるから、熱々の汁モノなど
    口にできないでしょうからね…。
    ああ、偉くなくて良かった('ω')ノ。
    いやいや、そんな簡単なお話では無く
    それこそ命をも狙われるくらいのお二人。
    この先に、必ずやお幸せがあるようにと
    思わず祈ってしまいます…( ;∀;)。

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