【 桃 】
「媽媽!!」
康安殿、そして坤成殿へ続く皇庭の、往診に向かう道。
日増しに暖かくなる庭の中、満開の桃の花びらが明るい陽射しに透ける。
そのきれいなピンクのカーテンの向こう、王様とお2人で仲良く並んでゆっくりこっちに近寄って来る媽媽。
お2人の左右には、あの人と叔母様の姿が見える。
そしてその後ろには迂達赤のみんなと武閣氏オンニたちが。
「王様、ヨンア、叔母様!!」
大きく叫んで背伸びをして手を振る。私の横のキム先生が足を止めて、丁寧に頭を下げる。
私の声に媽媽が優しく微笑む。
その笑顔は今皇庭に咲く、どの花よりも最高に眩しくてきれい。
そして王様がゆっくり頷いた。
あなたは行儀の悪い私の様子に、困ったみたいにこっちを見る。
そして叔母様は無表情を崩さないまま、と思ったら、あ、違う。
こっちに下げたお顔から上目遣いで私を見て、頭を下げろというように尚宮服の陰で小さく指先を動かした。
「お散歩ですか?」
近付いていらっしゃるお2人に駆け寄ってお尋ねすると、媽媽が頷いて横の王様をご覧になる。
「はい、医仙。雪も解け、今日は暖かいので。王様に春の気配をお楽しみ頂きたく」
媽媽はおっしゃって、桃のカーテン越しの柔らかい水色の空を気持ちよさそうにご覧になる。
本当に、本当にきれいな媽媽。
いつもおきれいだけど王様の横にいらっしゃる時の媽媽は特別にお美しくて、抱き締めたいほど愛らしくて、でも凛としていて。
私が王様でも、これは放っておけないだろうなと思う。
王様がご生涯、一途に媽媽だけを愛されたって歴史を、こういう時にいつも思い出す。
だから助ける。そのたびに心で繰り返す。
媽媽を、王様を、そして誰より大事なあなたを。ましてあの不思議なお坊さんがもしもシンドンならなおさら。
王様は媽媽を失くされた数か月後に、般若って側妃がお産みになったお子様を得てるって授業で習った時の違和感を思い出す。
本当はどっちなのかしら。
医学部受験には全く関係ない国史の授業中、春の教室の窓際の席で必死に睡魔と戦いながら思ったものよ。
やっぱりイ・ソンゲが李氏朝鮮を興す正当性のでっち上げのために、恭愍王の次の王禑をシンドンの子供だって事にしたのかしら。
本当は恭愍王の子なのかしら。 だとしたら王妃を愛してるって言いながら、恭愍王も所詮は男ね。
でももし本当にシンドンの子供だったとしたら、どいつもこいつも相当な食わせ者よね。
自分の子を恭愍王の子供だって嘘ついて、王にしちゃうんだから。
恭愍王だって、自分の子じゃないって分かってて王にしたの?
可哀想なのは廃位された、王として名も残らなかった恭愍王の次の王様よ。
たとえ恭愍王の子でもシンドンの子でも、被害者はその子なわけでしょ?
だいたい李氏朝鮮になって両班制度がこの国をダメにしたのよね。
身分と財産を世襲制にして、一度失墜した身分はよっぽどの事がなきゃ回復させないようにして。
きっと財産没収のために、無実の罪を被せられた人もたくさんいるだろうし。
この狭い国の中で何度も戦争を繰り返して、経済や流通の基礎を限られた奴らで奪いあって、これじゃ上位1%の基礎が出来るわけよ。
おまけにイ・ソンゲが正当な後継者って、この人だって反乱で李氏朝鮮を興してるのに正当もクソもないじゃない。
そういう意味では外敵を排除して、今だって戦艦の名前にもなって、昔から続いて来た名家の出身だったチェ・ヨン将軍の方が、よっぽど王家の血筋に近いんじゃない?
ああ、そうか。だからイ・ソンゲはチェ・ヨン将軍を殺したのね。今私が考えるみたいに、当時だってそういう意見があったはずだし。
そこまで思い出して、大きく息を吐く。
頭の中の懐かしい春の教室の光景が、ぼやけて消えるように祈る。
ダメ。ダメよ、これ以上今は考えない。
まだ何も起きてない。あのお坊さんがシンドンかも分からない。これからどうなるのかは誰も知らない。
さあ顔を上げて。媽媽と王様が見ていらっしゃる。
そして誰より、大切なあなたがそこに立っている。
今ここにいてくれるんだから。それだけは紛れもない真実だから。
大丈夫よ、ウンス。イ・ソンゲからもらった書簡もある。私のお願いを何でも聞くって書いてあるんだもの。
将来この国を腐らせる基礎を築いたとしても、それでも500年続く李氏朝鮮を興した太祖が最初から腐ってたとは思いたくない。
取引の為なら平気で嘘をついて、利権のためなら誰でも裏切れる、芯から汚い卑怯な男だったなんて思いたくないもの。
この人にあんな風に大切にされて、武将として大切な事をたくさん教えてもらって、そして私が二度も手術で救った。
一度目はキチョルとの駆け引きのため、二度目はこの人のため。
許さない。もしもこの先歴史通りにこの人を傷つけたら許さない。高校の頃あの春の教室で、私が思った通りの男だったら許さない。
目を上げた瞬間、目の前のあなたが何か言いたげに唇を薄く開く。
安心させようとその黒い瞳にどうにか笑って見せる私に
「・・・医仙」
媽媽が心配そうに、首を傾げてお声をかけて下さる。
「御体の具合が悪いですか」
「いえっ!」
私が笑って首を振ると、媽媽は王様と御顔を見合わせる。
「医仙、確かに顔色が優れぬようだ」
「大丈夫です。寒さで肌がくすむんですよ。御存知ですか、媽媽」
「いえ、それは」
「春になってヨモギの蒸気で温めると冬の間のくすみが抜けます。自然ってよくできてますね。
媽媽にもお持ちします。温めるのは媽媽の御体にもとってもいいですから」
「お待ちしております」
私の説明で納得して下さったのか、媽媽は華やかに微笑んで頷いた。
上手にごまかせたかしら。安心した私は念のために、もう少し話を続けてみる。
「血行促進にはこういうお散歩もすごく良いですよ。春になったし、なるべくお2人でお出かけ下さい。
王様はお忙しくて毎日は無理かもしれませんが、お時間がある時」
私の声に、横に立っていたキム先生も桃色のカーテンの中で頷いた。
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