春花摘 | 桃・5

 

 

「侍医」

康安殿を出たところで呼ばれて足を止める。
「はい」
「あの男の体、本当に問題はないな」
「はい」
「判った」
「親鞠の件ですか」

私が問うとチェ・ヨン殿は凛々しい眉を顰めた。
「それもある」
「それもとおっしゃるなら、他にもありますか」
「今は聞くなと言ったろう」

それ以上の返答は頂けないらしい。
チェ・ヨン殿は渋いお顔で先に立ち、大股で殿の回廊を歩き始める。
「あの男の体を診る以上、少なくとも何か憂いがあるのかだけは教えておいて頂きたいのですが」
「その時は教える」
「あの僧も絡んでおりますか」

食い下がる私の声にうんざりした様子で、チェ・ヨン殿が息を吐く。
「侍医」
「はい、チェ・ヨン殿」
「医官とは皆そうか」

突然変わった話の矛先について行けずに首を傾げる。
「そうとは、どういう事ですか」
「何でも知りたがる」
「・・・ああ。成程」
ようやく思い当たり、私は深く頷いた。

「そうでしょうね。そうでなくば医官を目指しはしないかもしれません。
人は何故ここで生きるのか。何故魚は水の中で生きられるのか。何故鳥は空を飛べるのか。
体が違うのか。そう思って骨や筋や内腑を学びます。私の場合は父が医官でしたので、家業を継いだという面もありますが。
御存知ですか、鳥の骨は人と比べてまるで竹のように空洞が多いのです。飛ぶために体を軽くしたのでしょう。
魚は肺腑の代わりに浮袋があります。しかし元で見た鱶にはなかった。では鱶は魚ではないのか。それなら何故泳げるのか。
どうなっているのか。そんな益体もない事を延々と考えているのが、医官の頭の中というわけです」

ふざけ半分の私の言葉に、チェ・ヨン殿が呆れたように口を開きかける。
そうだ、この人は私が毒を学んだ経緯を知っている。あの男を弑す為。
君を失った後の私の、唯一とも思える生への最後の執着の為だったと。

殺してやる。君にあんな死に方をさせた男を草の根分けても探し出し、この手で絶対に殺してやる。
その思いだけが、そして君に使った以上に残酷な毒を学ぶ事だけが、あの頃の私を崖の上でどうにか生へと繋ぎ止めていた。

君の吐いた血の倍の血を流させてやる。
君の倍の痛み、倍の苦しみを味わわせた後で、ゆっくりとじわりじわりと死ぬような毒薬を学んだ。
誰にも知られず、痕跡を残さずに。毒蛇、毒魚、毒貝、毒草、毒石、そして毒煙。
何でも良い。この怒りさえ収まる何かを用いて、確実に殺せるのなら。

目前のチェ・ヨン殿をはぐらかすように微笑みかけ、そして諦める。
何しろ唯一全てを知っている人だ。君の事を、そして私があの男に何をしたのかを。
誰かに知って欲しかった。君が生きていた事、そしてあの男の所為で犠牲になった事。
その後も生きている私はまだ君の虜で、こうして思い出している事を。

「それでももう、殺めようとは思わない」
自分の小さな声に哂い出したくなる。自分自身が嫌になる。ウンス殿のあの時の言葉が蘇る記憶力が。

可哀想、彼女が可哀想。

それは私に向けた声でもあり、もしかしたらチェ・ヨン殿に向けた心の声だったのかもしれない。
自分の為に心を痛めて、人を殺めたりしないでほしい。
たとえ今世は離れても、次の世を信じて生きてほしいと。

いかにもウンス殿の考えそうな事だ。そして今の私は願っている。
この天下無敵の武技に遣い手、誰より不器用で真直ぐなチェ・ヨン殿。
この方には絶対に明るく心を癒すウンス殿が必要だから、共にいて欲しい。
そして私も次の世で逢いたい。胸を張り、堂々ともう一度君に逢いたい。

その時は二度と離さない。目の前で困ったようにこちらを見つめるチェ・ヨン殿に教わったように。
あの男の罪さえ判れば、天罰が下る。誰も心を痛めずに、この世の法があの男を裁いてくれるのだ。
だからもう殺そうとは思わない。犯した罪があの男自身を殺めるまで。

「・・・そうだな」
何処まで判って言っているのか。
私の声に頷いて、チェ・ヨン殿は再び明るい陽射しの回廊を歩き出した。
「ところで侍医」
「はい」

横に並ぶ私を見る事なく、まっすぐ前を向いた横顔でチェ・ヨン殿は小さく言った。
「お前もあの方に言え」
「言うとは、一体何を」
「手を振ったりすれば典医寺の品位が落ちると」
「そうでしょうか」
「そうだろう」
「確かにウンス殿は風変わりだが、それはあの方だから許される事です。
王妃媽媽からも王様からも特にお咎めが無いのなら、構わぬのでは」
「構え」
「はい?」
「構え。お前も典医寺の責任者だろう」
「確かにそうですが、ウンス殿が風紀を乱すわけでも無いので」
「お前な・・・」

チェ・ヨン殿は横顔のまま苛立たし気に頭を搔きかけ慌てて手を止めると、ご自身が信じられぬようにその指をじっと見つめた。
そして諦めたように息を吐くと
「もう良い」

去り際に吐き捨ていつにも増して大股で歩いていくチェ・ヨン殿の横に、私は意味も分からぬまま無言で従った。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    男同士
    秘密を共有してるし
    同志だな~…
    鼠男の天罰を待つ
    なんだか だいぶ?
    信用できるようになったかな~
    叔母様でもなく
    ウンスに対して
    お小言を(典医寺の責任者としてだけど…)
    言え だなんて~ ( ´艸`)

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    まだまだ侍医の心には許嫁の肩がいらっしゃるんですね。
    ずっとそういう風に忘れられず思っていくんだと思います。
    でもウンスに言われた事、あの時は分からなくても今ではちゃんと理解しているみたい。
    ウンスはヨンだけではなく皆の太陽ですね♪
    うふふ( ´艸`)夫婦似てきましたねw
    イライラすると頭掻き毟るウンスと似ちゃったー❤️

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    さらんさん♥
    今日も素敵なお話をありがとうございます。
    まったくお茶目な野郎ですね、ヨンは…(*´з`)
    侍医が「構わぬのでは…」と言ってるのに
    「構え」って……。ぷぷっ( ´艸`)
    悋気たっぷりなのに、素直には言えず
    しかも「典医寺の品位が落ちる」だなんて
    とってつけたような言いがかり…。
    あ~お腹痛いわ、儂(ノ^^)八(^^ )ノ。
    あまりにも可愛くて、お茶目過ぎて
    「ウンスには言えないくせにぃ~」
    「同じことを、自分以外の人が言ったら
    鬼のように怒るくせにぃ~」と
    揶揄いたくなります♥

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