寿ぎ | 翌暁 【 相聞 】

 

 

「信じられない」

寝台の中、掛布の下で小さく身を丸めたこの方が囁いた。
「外にみんないるのよね?」
「・・・皆では」

下衣をつけて寝台から立ち上がると上衣を羽織る俺へ向かい、この方が寝台の掛布の小さな山の中から不満気な声を上げる。
「叔母様がいてチュンソク隊長たちがいたら、みんなと一緒よ。
新婚初日の朝に布団から出て来ないなんて、それだけでもう充分礼儀知らずじゃない!」
「礼儀」
「そうよ!例え何があっても、親族や婚儀でお世話になった方にはしっかりお礼をしなきゃ」
「・・・それは追々」
「そうだけど、だけど!せめて新婚第一日目の朝ご飯は私が作るとか、身支度を整えて王様や媽媽や叔母様に御挨拶に行くとか。
そういういろんな手順が」
「手順」

誰より愛おしい女人と縁を結ぶ、それより大切な手順があるか。
俺にはそんなものはない。
肚の中で独り呟きながら、寝台の山の中からの声に曖昧に頷く。
正直に口にすればこの方は怒り出すだろう。

寝台の脇に立ち、息を吐いて掛布の小さな山をじっと見る。
昨夜月の中に白い肌を晒しながら、今朝はこうして隠れて衣を身に着ける。
この方の気持ちが計り知れん。
「イムジャ」
「なあに?」

小山の中からの籠った声に問うてみる。
「着替え難くはないですか」
「それはもちろん、着替えにくいけど」
「ならば何故」
「絶対に無理、あなたの前で恥ずかしいじゃない」
「・・・恥ずかしいですか」
「そりゃそうよ!」

ようやく衣を身に着け終えたか、小山から乱れた亜麻色の髪が覗く。
肌を晒して衣を身に着けるのは恥ずかしく、乱れた花の香の髪を見せるのは恥ずかしくないのか。
今も判らん。天界の則は。

ただ判るのはその髪が乱れるのを目にする度に整えたくなる事だ。
櫛があれば梳いて。無いならばこの指で。
細く踊る亜麻色の髪に触れ、整えた後でもう一度この指で乱してみたくなるだけだ。

寝台から立ち上がったこの方を部屋の中、小さな手を引き鏡前へと連れて行く。
「髪を整えてから」
共に大きな銅鏡を覗き込みこの方の脇で言う俺に、鏡越しの鳶色の瞳が微笑んで頷いた。

髪を整える姿を横に、何気なさを装い声を掛ける。
先程上げそうになった悲鳴がどうにも胸に痞えている。
「・・・体は」
「え?」

この方が櫛を片手に、銅鏡から視線をこの眸へと移す。
「大事、ないですか」
「・・・あ、ああ、うん。だ、大丈夫よ」

耳朶まで真赤に染めて俯くのを見れば、忘れている訳ではないはずだ。
互いに素肌だった理由。しかしそれならば
「何故大声を」
「大声?」
「この脈を取った折に」
「あ、あれはね。あれは・・・あれは」

言いにくそうに口籠る声が、細く尻すぼみに消えていく。
「ほら、だって驚くじゃない。そりゃあ今までずっと一緒だったけど、でも」
「驚いたのですか」
「そりゃそうよ。だって何だか急に・・・こう、一気に距離が縮まって、何だか、目のやり場にも・・・」

いつもであれば言いたい事を歯切れ良くおっしゃる方が、言葉を探しながら呟く。
成程、こうした色事に慣れておられぬことはよく判った。
「・・・ねえ、ヨンア」
「はい」
「1つだけ、私も聞いていい?」
「ええ」

真摯な瞳に頷くと、この方は俺の眸を捉えて小さく聞いた。
「私、合格?」

 

鏡に向かって髪を直してる私に、横のあなたが問い掛ける。
「・・・体は」
単刀直入な質問に、思わず息を呑む。
「え?」
「大事、ないですか」
そう気遣ってくれるのは嬉しい。本当に嬉しいけど。
「・・・あ、ああ、うん。だ、大丈夫よ」

恥ずかしい。思い出したくもない。
そりゃあ元気いっぱい、問題なしってわけにはいかないわ。
昨夜だってそうだった。
あなたの苦しそうな顔を見ればどうにかしたいって思うけど、全く知識のない専門外分野だもの。
どうしてあげようもない。
あなたに任せるのに精いっぱいで、何をすればいいかも分からない。

「何故大声を」
「大声?」
こうして目が覚めるほど、どんどん蘇って来る。
そうよ、何か身に着けるゆとりなんてなかった。
「この脈を取った折に」
いつもなら察してくれるはずのあなたが、容赦なく質問を浴びせる。

「あ、あれはね。あれは・・・あれは」
昨夜の2人っきりの時間。
意識してリラックスするように息を吸って、吐いて、そして思い出した。
インターンで専攻を決める前、あちこちの科を回ってた時の事。
産科で立ち会ったペイン・コントロールの実習を。

基本は腹式呼吸。大きく深く吸って、しっかり吐いて。痛みを逃す時には短く浅く。
こんな時に役立つなんて皮肉だわ。
そんな事を考えながら、最初は覚えた教科書通りに息をしてたのに。
すぐに考えるゆとりもなくなって、呼吸法はどこかにすっ飛んだ。

「ほら、だって驚くじゃない。ずっと一緒だったけど、でも」
「驚いたのですか」
「そりゃそうよ。だって何だか急に・・・こう、一気に距離が縮まって、何だか、目のやり場にも・・・」

次に呼ばれて気が付くまで、ぐっすり寝てたはず。
気を失うように眠るって比喩は聞いた事があったけど、本当にそんな風に眠る事なんてあるんだって、自分自身に呆れた。

まさかこんなに愛してる人の前で、醜態なんて晒してないわよね?
この人が新婚初夜からうんざりするような姿、見せてないわよね?
新婚初日はせめてって思ったのよ。薄くメイクして旦那様を起こすとか、しっかり朝食を用意するとか。
相手のご家族にしっかり御挨拶して点数を稼ぐとか、いろいろある。
恋愛経験って1つが明らかに欠落してるんだもの、他の部分で補わなきゃってこれでもかなり意気込んだ。
研修医時代からどこででも寝られる事には自信があったけど、でもまさかこの人に起こしてもらうまで寝過ごすなんて考えもしなかった。

そう考えれば考えるほど、頭がこんがらがって来る。
ちゃんとできたの?この人をがっかりさせなかった?
覚えてないものを思い出そうとしたって無理なのに。

嫌よ、あれだけ事前に言ったんだもの。がっかりしても知らないわよって。
それが原因で新婚早々すれ違いなんて絶対に嫌。
「・・・ねえ、ヨンア」
「はい」
私の声にあなたが頷く。
「1つだけ、私も聞いていい?」
「ええ」

私の目をじっと見つめる黒い瞳に、思い切って聞いてみる。
「私、合格?」

あなたの奥さんとして。 これから一生一緒にいるパートナーとして。
薄化粧で起こす事が出来なかったのも、朝ご飯作れなかったのも、叔母様が来てるのに寝過ごすのも。
そして昨夜の・・・ゆとりもないまま、過ぎた時間の事も。
まだまだ足りないけど、でも合格?見込みはありそう?

尋ねる私に、黒い瞳が大きくなる。
ああ、だから嫌。こういう瞬間。
学生時代から試験は腐るほど受けたけど、本当に今までで一番緊張する。
どうにかその大好きな瞳をじっと覗き込んで、答えを待つ。
自分の呼吸の音と、心臓の音しか聞こえない時間が過ぎる。

「大科殿試首席です」
あなたが次に優しく笑って、そう言って頷いてくれるまで。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。


にほんブログ村

4 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    ウンスさん合格でよかった~
    ってゆうか、さらんさま、ここ数日の「寿ぎ」。
    幸せで、喉も胸も詰まってしまって。
    やっと夫婦になれた。
    宴の片隅から私もむせび泣きながら、見ていた気分です。
    超幸せです、この章だけではモチロン無いですけれど
    ホントに「寿ぎ」、幸せです。

  • SECRET: 0
    PASS:
    ウンスの理想とする
    初夜のあと… はじめての朝の迎え方が
    あったのね ( ´艸`)
    残念… とほほほほ
    でも ヨンの一言で
    そんなことも 吹っ飛んだかな?
    合格ですって (/ω\)
    よかったね ふふふふふ

  • SECRET: 0
    PASS:
    ウンスさん可愛い~
    可愛すぎて笑ってしまいました(^^)
    ヨンから首席合格もらって
    幸せですね(*^^*)
    『相聞』
    互いに相手の様子を尋ねる恋の歌❤
    さらんさん素敵です~❤

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん♥
    お風呂に浸かりながら拝読させて頂いていた私…、甘い朝の二人のお話を拝読し、すっかりのぼせてしまいました。
    ゼイゼイ…(-。-;)
    婚儀後初めての夜に…ウンスったら、もしやラマーズ法を試しておられたのでしょうか?
    うん、うん、わかるよ…と、ほんのり赤い頬で頷く読者のお姉様、お嬢様も多々おられるはずです。
    (〃∇〃)
    それにしても、「合格?」と問われた時のヨンの答えが「大科殿試首席」とは、何とも揮っているではないですか!!
    ウンスが何をしても、しなくても、ヨンにとっては合格に決まっていますよねえ。
    まさに不戦勝、戦わずにして勝ちの黒星知らずです。
    さらんさん♥
    明日は天気が悪くなりそうですね。
    お風邪を召しませんように。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です