寿ぎ | 17

 

 

この方を送るだけのつもりだった。
いや、そもそもは送るつもりすら無かった。

ただ寒くて眠れずに、宵闇の庭へと駆け出した。
典医寺のあの部屋の外から扉越しの気配を確かめ、宅へ戻るつもりだった。
安らかな寝息の気配を感じられれば、明日の朝までまずは待てると思った。

飛び出した門の外に、あの小さな影さえ見つけねば。
塀に指を掛け自宅の庭を覗き込むこの方がいるなど、まさか夢にも思わなかった。

そのまま典医寺へ送ったものの、人の気配が漂う典医寺の庭でこの手を掴まれるなど。
この方の私室へと引き摺りこまれるなど。挙句の果てに、口づけまでねだられるなど。

男としての面目が丸潰れだ。

離れた唇でようやく告げる。
「・・・夜明け前には、帰ります」
この方は紅い唇で美しく笑んで頷き、そして手を引いて初めて訪う衝立の奥へ誘った。

「じゃーん!これが噂の羽根布団ベッドよ」
「べっど」
「うん、えーっとね、異国風の寝台ってこと」

見た限りは、高麗の寝台と何ら変わりはない。
確かに王様のご厚意で誂えた水鳥の羽根の詰まる掛け布団は、見るだけでも嵩高く膨らんでいる。
しかし俺達の寝屋の寝台と取り立てて大きく変わる事も無い。

寝台脇の衣装掛けを横目で確かめ安堵したように息を吐き、この方はべっどとやらに飛び込んだ。
軽い体は布団で跳ねて、布の擦れる音がする。
そのまま掛け布団の中へと潜り込むと、この方は端を持ち上げ俺に向かって大きく笑んだ。

「はい、どうぞ」
・・・どうぞと言われて、どうしろというのだ。
立っているのも他人行儀、しかし誘われるまま潜り込むのもまるで待っていたようではないか。

招かれた布団の端と、嬉し気なこの方の笑顔とを交互に見遣る。
初めて訪うこの方の寝台に、いきなり潜り込むのは気が引ける。
この方は俺の顔をじっと見つめ、動きを待っていてくれる。
その端を上げるこの方の手が少し震えるのを見て取り、中庸の策でこの方の脇、羽根布団の上へ腰を下ろす。

仕方ないと諦めたのか、それでもそれで妥協したのか。
特に駄々を捏ねもせず、腰を下ろした俺の半身に凭れるようこの方が寄り添うと、その両腕がこの腰へ回される。

「ああ、やっと逢えた」
その嬉しそうな深い吐息が耳を刺す。
「・・・はい」

こうしてまた逢えた。俺達は何度でも巡り逢う。
たとえ一日の中でも幾度となく互いの胸に呟く。
また逢えた。ようやくまた、こうして逢えたと。

「あのね、あなたにお願いがあるの」
嬉し気な息を繰り返し、ようやくそれが落ち着いたところでこの方は凭れていた体を起こし、腰に回した腕を解く。

離れた小さな重みが恋しくて、追うように少しだけこの身をずらし、羽根布団の上の手を進める。
それに気付いたこの方が、枕の方へとにじり上がる。
ふざけている訳ではないのだと、俺は再びそれを追いかけもう少し深く体を倒す。
この方が楽しそうに笑いながら、逃げるように体を躱す。

あなたがおっしゃったのだろう、願いがあると。
だから訊こうとしているのに、なぜ逃げるのだ。
「・・・イムジャ」
「なあに?」
「願いとは」
「お願いがあるって言ったのは、それは本当」

この方は嬉し気に懐から何やら書きつけた紙を取り出す。
何だと伸ばしたこの指先が届く寸前、この方はその紙をもう一度懐へと仕舞い直して、大きく首を振る。
「大事な手紙だから、あなたに内容を教えてほしいの」
「ならばお貸しください」
「だから隣で読んで、秘密の手紙だから」
「秘密、とは」
「秘密は秘密。トギが教えてくれた大事な秘密なの。叔母様もあなたなら読めるからって、読んでくれなかったし」

トギも叔母上も御存知の手紙。この方には読めず俺ならば読める。
「漢文ですか」
「そんな難しいものじゃないみたい。花言葉なんですって」
「花言葉」
「うん。明日のブーケを選ぶのに、トギにお願いしたの。いい意味の草花だけでブーケを作って欲しいって。
それをトギが調べて、教えてくれたの」
「ならばお読みします」
「だから隣で読んでってば、2人のブーケなんだから」

これ以上譲って下さる気は無いらしい。
頑として言い張るこの方に頷くと、俺はこの方が逃げた分の隙間が空いた寝台の端へ上がり足を伸ばした。
寝台の頭を支える木板に凭れ背を幾つもの枕で支え、横のこの方へと眸を投げる。
「これで良いですか」

この方は嬉し気に頷いて懐から件の紙を取り出し、俺の掌へ手渡した。
枕元の揺れる油灯の光の中、指先で紙を開く。

「印が付いてるのが、今回トギが選んでくれた花よ」
その書付の紙を、順にこの眸で追っていく。
「秋桜」
「うん、花言葉は?」
「・・・調和とあります」

調和。矛盾や衝突を善しとせず、互いが和し纏まること。
人生の長い時間を共に過ごす上で、これ程大切な事も無い。

「小菊」
「うん、それはどうしても入れて欲しかったの。私にとってはあなたとの思い出の花だから。花言葉は?何だった?」
「・・・・・・」

読み上げる前に思わず笑み崩れる。正にこの方に相応しい。
心に咲いた一輪だけの黄色い花。 無言で瓶に詰めた俺だけの花。
こんな意味のある花だったのか。
「純情、元気、真実、だそうです」
「そうなの?」
「はい」
「ああ、いい意味で良かった!あの時は何も考えずに渡したけど、嫌な花言葉だったら困っちゃうとこだったわ」

あなたが下さった花に、悪い意味などあるわけがない。
例えあったとしても、込められていた心を知っている。
俺は片手で紙を押さえ、もう片手で横のこの方の手を握る。
この指が髪に挿したあの花に、悪い意味などある筈がない。

「そして万年竹」
「うん、花言葉?葉言葉?」
「吉祥木です。表すのは長寿、開運、希望・・・」

そこへ続く言葉を読み上げられずに、唇を引き結ぶ。
突然黙った俺に、横のこの方の目が当たる。
「それだけ?もちろんそれだけでも十分縁起いいけど」
「いえ・・・」
「じゃあ、後は何?」
「長寿、開運、そして希望」
「それから?」
「・・・いろいろと、幸運を表す吉祥木です」
「それさっきも言ってたわよ、ヨンア」
「・・・はい」

思えばこのあたりから、風向きが変わって来ていた。
婚儀の祝花、縁起の良い草花を選んでもらったのは喜ばしい。
しかし続く言葉が幸せな恋、幸福が訪れるなどでは、さすがに己の口から出すには少々気恥ずかしい。

「・・・そして管丁字は、不屈の精神と」
「と?」
「・・・その他、諸々」
愛の誠実。どの面下げて言えというのだ。

「待って、ヨンア。諸々って何?」
「山茶花は」
「ちょっと待ってってば」
「山茶花は、困難に打ち勝つ」

そしてひたむきな愛、謙遜、愛嬌、理想の恋。

「ヨンア、私は漢字苦手だけど・・・もっとたくさん書いてない?」
横のこの方が、この指先の書付を覗き込もうと身を乗り出す。
その視線から隠すよう、俺は紙を持つ指先を遠ざける。
「最後に美花蘭は、飾らぬ心」

誠実な愛情の一語は、敢えてお伝えせずにおく。

ありがたいとは思う。しかしこうした言葉遊びは、女人同士で楽しむのが良さそうだ。
俺は急いで紙を折り畳み、この方にはお返しせずに己の懐深くへ仕舞いこむ。

「あ、ちょっとヨンア、返してってば」
「十分でしょう。読みました」
「もう一回読むから、後で読み返すから返してってば」
「後ほどお返しします」
「いつ?」

いつ。
いつこの方は、真の心を知って下さるのだろう。
花に籠められた吉祥の祝いの言葉の羅列より、この心が幾倍もこの方を恋い慕う。
この重い口の方が、余程多くの声にならぬ恋慕の告白を繰り返している事を。

愛している、愛していると、あの天界の言葉を。
短い一言に想いの全てを乗せ、呟いている事を。
ただ伝われ、正しく届けとだけ祈り。

明日の婚儀を控えても、俺の恋慕は終わらぬらしい。
愛しているという天界の言の葉は、重みを増しこの心を、それを乗せる唇を震わせる。

愛している。あなたを愛している。
この心の全てを籠め、生涯伝える。

あなたを愛している。

容易に抜き取れぬよう書付を今一度深く懐へ差し込み、ようやく安堵の息を吐く。
柔らかく暖かな初めての寝床に包まって、俺は横のこの方を抱き締め直した。

「一晩中起きているおつもりですか」
「ううん、寝なきゃね」
腕の中で嬉し気に笑んだ後、この方は鳶色の瞳を閉じる。
「お休み、ヨンア」
「・・・はい」
「あなたも少し眠って。寝不足は美容の大敵よ」
「はい」

その声に誘われ眸を閉じる。
この方が腕の中にいれば何処でも眠れる、心から安堵して。
そして夢の中でまた逢える。曙光の中でもう一度逢う前に。

「明日起きたら、あなたは旦那様になるのね」
「あなたの夫に」
その声に、嬉し気に胸へと摺り寄せられる頬。
「何だか不思議。私たちは何も変わらないのに」
そう呟く甘く高い声、嬉し気に忍び笑う吐息。
「・・・はい」

そうだ。何も変わらない。
あなたがそうして困らせるのも。俺が困りながらあなたを追うのも。
きっと生涯倖せ過ぎて困りながら、俺はあなたを追い駆ける。
そしてあなたは悪戯に笑みながら、俺の先を走るのだろう。
時に立ち止まり振り向いて、ついてくるのを確かめながら。

静かな典医寺の初めての夜。
引き入れた悪戯なこの方は、もう半ば夢の中にいる。
逢いに来てくれ、そして呼んでくれ。例え夢の中でも。
いつか枯れ落ちる草花よりも、俺の言葉を聞いてくれ。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    婚儀前夜のふたり‥
    幸せオーラに満たされてますね❤
    「・・・その他、諸々」に
    笑いが込み上げてきます(笑)
    さらんさん
    プライベートでもお忙しかった今年。
    そんなときでも、お話を書いて
    私たちに幸せな時間をくださって
    本当に嬉しかったです(^^)
    ありがとうございましたm(__)m
    来る年も、さらんさんのシンイに
    どっぷりと浸らせてくださいね❤
    楽しみにしております。
    さらんさん~
    良いお年をお迎えください~(*^^*)

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん♥
    高麗の鬼神ヨンは、ウンスのおねだりはほぼ100%
    きいてくれますが、女子の好きそうな甘い言葉は
    そう簡単に口にしてはくれませんね。
    心の中では誰よりも饒舌に囁いているのに~(〃∇〃)。
    でも、私は甘甘の言葉を始終使う男性よりも
    ここぞという時や思いもしない時に
    ドカンとぶちかましてくれる男性のほうが♥
    あ、私の好みなど どうでも良いのです。
    フカフカの羽毛布団の中で、ピッタリ横にくっつき
    トギからの素敵な手紙を読む…。それだけでもう…
    ♪あったかいんだから~♪ ← 古っ(・Θ・;)
    さらんさん♥
    寒い師走に、ぽかぽかになるようなお話をお届け頂き
    ありがとうございます。

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