帰郷【終章】 | 2015 summer request・里帰り

 

 

「・・・荒れておるな」
父上が俺の横、静かに歩み寄りながら、部屋の方から響くウジュンの叫び声に苦く笑われた。
「私が兵舎へ戻るのに腹を立てたようで」
「誰よりお前に懐いておるからな。淋しいのだろう」

父上の声に俺は頷く。
餓鬼の頃からヒョンと呼んでは後を追いかけて来た甥っこだ。可愛くないわけがない。
そしてどれ程戻って来られずとも、父上の事も勿論大切だ。
気にならんはずがない。なかなか戻れんからこそ。

「父上」
俺の遠慮がちな呼び掛けに、父上がちらりと此方を流し見る。
「・・・母から聞いたか」
「はい」
一緒に茶を頂いた折の事は、もう父上のお耳にも入ったか。
突然ウジュンを表に出すなど母上らしからぬと思ったら、父上の具合が思わしくないと相談された時には、この胸も潰れる程に痛んだが。

「どれ程お悪いのですか」
「まだまだ大したことはない」
「痛みなどは」
「そんなものはない」
「どうか無理はなさらず。皇宮にう・・・優秀な医官がいらっしゃいます。
兵舎へ戻ったら隊長に相談してみます」
「そんな事はするな」
「父上」

父上は黙って俺を睨み、一度だけ首を横に振った。
頑固な方だ。こうなれば絶対に俺の話など聞き入れて下さらん。
「チュソク」
「はい」
「お前の御役目は、私に御医者を見つける事ではない」
「しかし」
「お前が御役目に尽くせば、それだけで私の寿命も延びる」
「・・・分かりました」
「心配せずともお前が迂達赤で尽くせば、百まで生きてやる」

俺は恐らく泣き出す寸前の餓鬼のような顔をしたのだろう。
今まで大きいと思っていた父上が、急に小さく見えて。

そうだ。俺が餓鬼の頃、父上は何処までも高く大きく、超えられん山のよう、対岸の見えぬ河のように見えた。
この人のように強くなりたいと心から願い、俺は最初に剣を握った。
そして今は、あの隊長の半分でも強くなりたいと、剣を握り続ける。

俺は幸せだ。人生の中で二度もそんな方に師事できた。
心から憧れ尊敬し、この人の為なら命も惜しくないと。

「辛ければ、すぐに言ってください」
「分かった」
「隠したり我慢はせずに」
「しつこいぞ」
「・・・はい」
「心を残すな。残せば剣が惑う。一意奮闘というであろう。
父の事など気にせず、ひたすらチェ・ヨン殿に学べ。良いな」

さすがにでかい図体で、いい歳をして手放しで泣くわけにもいかん。
それでも小さく見える父上が悲しくて、俺は慌てて目を背ける。

そんな俺の事などお見通しの父上は餓鬼にするよう、俺の頭にその手を置くと、ぐしゃぐしゃと撫でた。
幼かった俺に、よくして下さった様に。
頭を揺さぶるその掌すらあの頃に比べると薄く小さくなった様で、頭を揺らされつつ俺は半泣きで笑んだ。

*****

「・・・ウジュン」

翌朝早く。 まだ東の空が鴇鼠に霞む刻、奴の部屋前で声を掛ける。
中からの返答はない。眠っているのだろう。
無理に起こす事も無いかと息を吐いて、部屋前から踵を返し、俺は居間へと歩を進める。

居間にはこれほど早いのに、父上と母上どころか、兄上も義姉上も待っていて下さった。
その面々の前、俺は床に膝をつき、座布団を避けると深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
そう言って息を吐き、顔を上げる。

「またすぐに、戻っていらっしゃい」
母上がそう言って居間の座卓の上、大きな包みを差し出す。
「戻れば皆さんで召し上がって頂戴」
「・・・有難く頂戴します」
そう伝え、もう一度頭を下げる。

「体に気をつけてな、何かあればすぐに報せろ」
兄上がそう言って、俺に大きく頷いた。
「兄上も体にお気をつけて。父上と母上をお願いします」
「心配するな。お前こそ、達者でな」
「はい」

俺とは違い、剣の道には興味を示さなかった兄上。
だからこそ安心してお願いできる。
俺のよう戦場には立たぬ人だからこそ、この家の行き先を。

二人きりの兄弟が何方も戦場に向かうようなことがあれば、母上はきっと心労が絶えなかったろう。
もしかしたら。と思う事もある。
兄上は、俺の為に文官の途へ進んで下さったのか。
餓鬼の頃から剣に勤しんだ俺の分まで、この家を守る為に。
しかし正面から尋ねて、そうだと言う人ではない。だからただ頭を下げる。感謝を込めて。

「気を付けて下さいね。ウジュンには、必ず伝えておきます」
「義姉上も、どうぞお元気で」
こんな気難しい舅の居る我が家へ嫁がれた義姉上にも、恐らく見えぬ気苦労は多いだろう。
嫁を持たん俺が気を回すのも可笑しいが。
そして最後に俺は向き直り、正面から父上の顔を見る。

ただ何も言わぬよう真直ぐに唇を引き結び、黙って目を合わせ、万感の思いを込めて深く頭を下げる。
山より高い、海より大きいと思っているのは変わらん。
たとえどれ程年月が経ち、どれ程隊長に心酔しても、俺にとって最高の師は目の前の父上だ。
御年を召され病を得ても、父上ならばきっと乗り越えて下さる。

「チュソク」
頭を下げたままの俺に、父上の声が掛かる。
「はい」
「忘れるなよ」

昨日の晩の御言葉の事か。
俺は床に伏せたまま、その一言一句を胸の中でもう一度噛み締める。
「はい」
「ならば良い」

父上らしい。俺はようやく顔を上げ、深く頷いた。
「すぐにまた戻ります」
「度々戻る方が心配だ」
「では程ほどに」
「そうせよ」

兄上が困ったように笑み、母上と義姉上が泣き笑いを浮かべる。
だから困るのだ。戻るたび、出る時のこの愁嘆場が辛い。
俺の事で、家族のどなたが泣くのを見るのも辛い。

想いを振り切るよう、母上が出して下さった荷を風呂敷へ入れて纏めて包む。
「では、参ります」
そう言って最後に一礼し声を掛けると、父上が腰を上げた。
「気をつけてな」
「父上も、どうか」

ついつい滑りそうな口を慌てて閉じる。
言えば言うほど、意固地になられるだろう。
黙った俺に最後に満足げに頷くと、父上は先に立ち、廊下を玄関へと歩いて行かれる。
俺は黙してその背に従った。

「ヒョン、行ったのか」
部屋から出た俺が玄関の門先でそう言うと、ヒョンの後姿を見送っていたオモニとハルモニが驚いたように振り返った。
「ウジュン、起きてたの」
「うん」
「それなら叔父さんを見送って差し上げるのが礼儀でしょうに!」
「良いんだ、次に帰って来た時で」
「全く・・・早く仲直りしなさいね」
「次に帰ってきたら、ちゃんと謝るよ」

俺がふくれたままそう言うと、オモニとハルモニは息を吐き
「ハラボジに朝のご挨拶に行きなさい」
そう言って、家の中へ戻っていく。

家の門から伸びる、木立に囲まれた真直ぐな朝の途。
そこに小さくなっていく、振り向かないヒョンの後姿。
「・・・ヒョン」

俺が小さく呟く声なんて届くはずもない。
それでも追いかけて抱き付きたい俺がいる。
このままあの姿が見えなくなってしまいそうで。

ヒョンは言った。言える時に言っておく。
兵だから、次にいつ会えるか分からない。
「ヒョン」

俺はその後姿を目で追いながら門前で呼んでみる。
大好きな、大好きなチュソクヒョン。
俺より、ハラボジより、チェ・ヨンの方が好きでもいい。
俺は此処で頑張って家を守るから。
ヒョンに言われたことを、きちんと守るから。
だからすぐに帰って来てくれよ。
「ヒョン!!」

俺が大きく叫ぶと、ようやく聞こえたんだろう。ヒョンの足が止まり、大きな背中が振り向いた。
「ヒョーン!!」

走ってはいけない、今日は帰るから。走って纏わりついて、しつこくしちゃいけない。
ヒョンを困らせちゃいけない。
「チュソクヒョーーーン!!!」

俺の声にヒョンが大きく手を上げる。
「またな、ウジュン!!」
離れた処から、ヒョンの声が確かに返る。

「またなーーー、チュソクヒョーーーーン!!」
俺はヒョンの上げた手に応えて、両腕を上げて大きく振る。

「ごめんなーーーっっ!!」

離れて、その顔は良く見えない。でも今ヒョンは笑ったはずだ。
最後に大きく手を振ると、もう入れと言うようにその手を払って、ヒョンがこっちに背を向ける。

きっとすぐに帰って来てくれるはずだ。
俺がこうして待ってるって知ってるんだから。
ハラボジもハルモニも、アボジもオモニも待ってるって、ヒョンは誰より知ってるんだから。

きっとまたすぐ会える、その時には剣を教えてもらおう。
そして言ってみよう、俺も迂達赤に入りたい。
ヒョンに教えを請いたいんだ。俺が尊敬して、この人の為なら命を捨てるって思える人に。

次にヒョンが、この家に戻ってきたら。

小さくなっていくヒョンの背中が米粒程の点になっても、俺は門の前で、いつまでも手を振り続けた。

 

 

【帰郷 | 2015 summer request・里帰り ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    さらんちゃんのところでなら
    チュソクの悲劇はなくなるような・・
    そんな気さえおきる帰郷のお話。
    ペンの力を感じる素敵なひとときです。
    お願いしますだぁ~~~~
    チュソク助けて貰えませんかね?
    ついでにトルベも。
    えぇ!!本気のお願いなんですけど。
    それにしても3巻いつになるやら・・・・ねぇ?(笑)

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    なんて
    なんて 素敵な家族なんでしょう!
    古き良き時代の殿方たちはほんとに、、、なんて かっこいいんでしょう(*꒦ິㅂ꒦ີ)

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    さらんさん、此度のお話もとても切なく…、色々と想いを馳せながら拝読させて頂きました。
    ありがとうございます。
    あの凛々しい外見からは想像できないほど、優しいチュソク。
    本編では王様のために敵をひきつけ、実に悲しい最期を遂げましたが、この「里帰り」がそこに繋がるのでしょうね…。
    ああ、ウジュンにもう一度「ヒョン」と呼ばせてあげたかったです。
    チュソクにまとわりつき、剣術を教わり、隣り合わせで寝させてあげたかったですね。
    それに、お父さんやお母さんにも…。
    いや!まだ、お別れ直前と決まったわけではありませんよね。
    いつか、お父様の病を、ウンスに治療させてあげてほしいです(*_*)。
    さらんさん、涼しくなってきましたね。
    お風邪に気をつけてくださいね。

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    チュソクの行く末を知っているだけに、読後は泣けてきました。刀に倒れた時は、後悔は無かったでしょうが、きっと父や母や家族の顔が思い浮かび、先に逝くことを心の中で詫びながら息を引き取ったのだろうと思いました。

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