向日葵 【終章】 | 2015 summer request・向日葵

 

 

白絹を広げた卓を囲んで賑やかしげに、ああでもないこうでもないと、大きな声で話す他の女人方と離れた店の隅。
歩を止めて振り返るとこの顔を見上げる、キョンヒ様の嬉し気な目にぶつかった。

この方を見るたびに、何処かで思う。
俺を見るキョンヒ様の顔が、何かを思い出させると。
それが何か思い出せぬまま僅かに膝を折り腰を曲げ、小さな背のこの方に正面から目が当たるよう向かい合う。

「何があったのですか」
「え」
膝を折った俺の真正面からキョンヒ様が驚いたように声を上げる。
「何故急に、聞きわけが良くなったのですか。昨日まではお一人で御衣装を決めると張り切っていたのに」
「うん」
「どうしたのです」
「あのね」

いつもなら気まずくなれば目を下げて逃げるか、大声を出して此方を驚かせていた方だ。
膝を折って向き合ったせいで、逃げ場も無いと思われたのか。
それとも本当にそのお心に何かあったのか。
キョンヒ様は逃げも叫びもせずに、ただ優しい声で呟かれた。
「ハナが教えてくれたのだ」
「ハナ殿が」
「うん」

離れた処、医仙の横にいらっしゃるハナ殿を振り返り、キョンヒ様はもう一度此方へ目を戻した。
「何でもチュンソクに聞くようにと。そんな事でチュンソクは私に呆れたり、嫌いになったりしないからと」
「・・・当然でしょう!」

思わず折っていた膝を伸ばして小さく叫ぶと、キョンヒ様の丸い目が下から俺を見上げた。
いかん。思い直しもう一度膝を折ると、正面から目を合わせ直す。

「キョンヒ様が何を尋ねようと、決して嫌いになどなりません。何故そんな事を考えたのですか」
「だってチュンソクは大人だから。私が下らない事ばかり言って何も知らない事が判れば、物知らずの子供だと呆れるかもと」
「そう考えたのですか」
「・・・うん。何でも決められるのだと、思ってほしかった」

ようやく正面から見詰められたはずが、キョンヒ様が口を結んで俯いたせいでまた隠れてしまう。
その赤いままの丸い目が。
「キョンヒ様」
「・・・なに、チュンソク」
「よく聞いて下さい。覚えておいて下さい」

ああ。まさか仕立て屋の、離れているとは言え人目もある処で、こんな事をお伝えする羽目になるとは。
それでも駄目だ。この機会を逃しては駄目だ。
この方は一つ一つその度にいつでも、時間をかけてお伝えしなくてはならん。
そしてお伝えすれば必ずすぐに飲み込み、二度同じ事はされん。
お若いこの方は何でもすぐに覚え、そして忘れずにいて下さる。
これほどまでに俺の好む事、嫌がる事を覚えて下さる。

まるで鴨の子のようだ。初めて見たものを親と慕う。
ただ願わくば俺を親とは思って頂きたくはない。
俺は曲がりなりにも、この方の許婚なのだから。

俺の色しか知らず染まっていくこの方が愛おしく、そして心苦しい。
申し訳なく思う。俺が居なくなった後のこの方を思うだけで。
それが理由で嫌われるべきは、本当ならこの俺であるはずが。

「何を尋ねようと、絶対に嫌いにはなりません」
「・・・うん」
「嫌なのは俺の意見を聞いて下さらない事です。お一人だけでどんどん先走るのは、俺は苦手です」
「うん」
「年の差がある事は初めから承知です。それが理由で嫌う事は絶対にありません」
「うん」

こうしてただ素直に、まるで花が水を吸うようにこの声だけを聴き、嬉し気に頷く。
そして花のような笑顔を浮かべるこの方が愛おしくて。
俺の去った後、染まってしまったこの方を残すのだけが申し訳なくて。
「キョンヒ様は、婚儀を挙げたいのでしょうか」
「え?」
唐突な問いにキョンヒ様が目を瞠る。

「それとも、俺と一緒になって下さるのでしょうか」
「何を言ってる!」
ああ、やはり此処は変わっておられん。
ようやくいつものように大きな声を上げたキョンヒ様に目が緩む。
「チュンソクと一緒にいたい。チュンソクだから婚儀を挙げたい。
何度もそう言っているのに!他の男に嫁ぐなら尼」
「尼寺ですか」

落ち着いて頂こうと声を抑えて言葉を継ぐと、キョンヒ様はしまったという顔をして、無言で頭を大きく上下に振った。
「それなら二人で決めて行きましょう。御両親のお考えを伺いましょう。
誰の真似もする事はない。それがたとえ医仙と大護軍でもです」
「・・・うん」
「判ってくれましたか」
「わかった」

折っていた膝を伸ばして息を吐くと、キョンヒ様はまた下から此方を見上げる格好で、明るい笑顔を浮かべる。
「やはりチュンソクは、大きな男だな」
「背丈ですか」
確かに小柄なキョンヒ様とかなり違いはあるが。
俺が問うとぽかりと開けた丸い目と口が、次に笑み崩れる。
「違う、違う。心が。心が大きい」

その笑顔を見た瞬間、脳裏に浮かぶ風景がある。
ようやく分かったと、膝を打ちたい衝動に駆られる。
「キョンヒ様」
「うん」
その大きな笑顔、真直ぐ此方を見つめ続けて下さる目。
俺が動くたび必ず付いて来て下さる、此方に向かう笑顔。
あれ程長い間俺だけを向いて待っていて下さった、幼かった姫。

「俺が一番好きな花を御存知ですか」
「知らない、教えて!」
「向日葵です」
「向日葵」

そうだ、この方は向日葵に似ている。眩しさも温かさも。
夏の日に花開くあの大輪の花に似ている。
薔薇や芍薬の華美さよりも、向日葵の明るさによく似ている。

「キョンヒ様は向日葵に似ています」
「では、チュンソクが太陽だ」
「は?」
「向日葵はいつも太陽に向かって咲くのだぞ」
「よく御存知ですね」
「うん、ハナが昔教えてくれたのだ」

俺を見上げておっしゃる、明るく得意げな声に頷く。
そうか、俺がこの方の太陽か。それなら沈むわけにいかん。
陽が落ちた後の向日葵は、きっと咲くことを忘れるだろう。
闇の中で、二度と昇らぬ太陽を待ち続けてしまうだろう。
待ち草臥れて、萎れさせるわけにはいかん。
「沈まぬよう、努力します」
「うん、約束だ」
「はい」

俺の向日葵が、風に吹かれ揺れるように首を振って笑う。
大護軍とは違うかもしれん。それでも俺は俺なりに輝くしかない。
照らし続けるしかない。他ならぬこの俺だけの向日葵を。
明るい大きな黄金色のこの花が、咲き続けられるように。

頷いた俺の手を握りたいのだろう。
けれどその柔らかい指はこの手には触れず、ただ忙し気に握られたり開いたり。
そして俺の色に染まっていって下さる。
鮮やかな向日葵の花弁が夏の陽の光で、その黄金色を色濃く深めていくように。

その癖腕に閉じ込めれば、きっとまた泣いてしまうに違いない。
泣いても構わん。何も知らなくて構わん。
年が離れていても、戦場に赴いても、それでも帰って来るしかない。
この向日葵を照らすために。 向日葵が咲き続けられるように。

「教えてくれて、嬉しいな」
「はい?」
「チュンソクの好きな花を教えてくれた」
「何でも聞いて下さい」
「本当か?何でも答えてくれる?」
「勿論です」

俺達はまだまだ、互いに知るべきことが山ほどある。焦る事はない、時間はまだある。
沈まんと約束したのだから、精一杯この方を照らし続ける。夏の陽は西に傾いても、沈むのはどの季節よりも遅いのだ。
「チュンソクの一番好きな花は向日葵」
「そうです」
「では、一番好きな女人は私?」
「・・・・・・・・・」

思わず崩れ落ちそうな膝を堪え、困ったこの方を見つめる。
此方を真直ぐに見上げ丸い大きな目を輝かせるキョンヒ様はやはりお若くて、衒いも計算も無く、真直ぐ此方へ向かってくる。
判っている。この方が何か尋ねた時には直にその場で一つずつ確りと答えを返さねばならん事は。
「・・・御自宅で、お答えします」
「違うのか」
「キョンヒ様」
「私ではないという事か」
「答はお分かりのはずでしょう」
「でも聞きたい」

若さとは無謀さなのか。それともこの方が我儘なのか。
その時離れた処でがたんと立った物音に救われる。俺とキョンヒ様は同時にその物音へと振り向いた。

「ごめんチュンソク隊長。キョンヒ様もお待たせ、終わりました!あの人は?」
医仙がそう言って席を立ち、ハナ殿と連れだって此方へ向かい足早に歩み寄る。
助かったと息を吐いた俺の向かい、医仙とハナ殿へ目を当てたキョンヒ様が、頬を赤くし小さく叫ぶ。
「ハナ!ウンス!」
急に呼ばれた御二人は何が起きたか判らんまま、膨れたキョンヒ様へ首を傾げる。
「はい?」
「姫様、何か」
そんな視線を当てられながらこの方は駄々っ子のように、店の床を小さな絹沓で踏み鳴らした。
「もう、もう、二人とも嫌い!大っ嫌い!!」

店の中の騒ぎに、扉影から驚いたよう大護軍の横顔が覗く。
「どうされました」
そう言って大きな歩幅で店へ踏み込む大護軍に向かい、俺が何かを言う前に、キョンヒ様が不満げに大きな声で言い放つ。
「大護軍!」

呼ばれた大護軍が、医仙の隣まで歩み寄り歩を止めた。
「は」
「そなたはいつもウンスと一緒に居らねば駄目だ!」
「・・・は?」

いきなり諭された大護軍は僅かに目を瞠り、そのままその眸を横に立ち尽くす医仙へと投げる。
医仙も判らぬまま首を振って、その視線をキョンヒ様へと戻す。
そんなお二人の戸惑い顔を意に介する事も無く、キョンヒ様は紅潮した頬を膨らませて言い募る。

「そなたの太陽はウンスなのだから、離れては駄目なのだ!
ウンスが出て行けとおっしゃっても横にくっついていないと!
いつもいつも追いかけているのに、肝心な時に目を離すから!
そなたが離れていたから、私はチュンソクの答を聞き逃した!」

俺の向日葵は、いつも正しい答を知っている。
若くても周囲を見ていらっしゃる。そして一度覚えた事は忘れない。

此方だけに判る謎かけのようなキョンヒ様の言葉に、吹き出すのを堪えつつ、俺は深く深く頷いた。

 

 

【 向日葵 | 2015 summer request ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    キョンヒさま かわいい。
    せっかく 頑張って 一番聞きたい質問
    したのに…
    チュンソクが 勿体ぶるし…
    空気よめない ウンスとハナ もぉぉぉぉ~!
    ヨンにも トバッチリ!
    でも 幼いながらに わかったことも多いし
    大人だから 見失いがちなこと
    気付かせてくれますね
    キョンヒさまは。
    ぽっぽ 二人きりに なったら
    きっと いってくれますよ ♥
    相変わらず お忙しそうで
    だんだんと 寒くなります
    ご自愛くださいませ。 (*^。^*)

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    シンイ2次小説を色々読ませて頂いていますが、私のイメージに最も合って、最も自然な感じで、かつ、感動します❗
    残念な事は、アメンバー受付が終了してしまっていることです。
    読者になるのが遅かった。

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    いつもはヨンの影の様な目立たない存在の
    チュンソクとキョンヒ様のお話…
    心がキュンとして温かい気持ちになりました。
    大好きです。
    またいつの日か続きを拝見出来たら嬉しいです。

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