比翼連理 | 55

 

 

「おはよう!」

窓外から冷えた礼成江の風が吹き抜ける。
まだ夏の陽に灼けていない乾いた朝の風。
その涼風が運ぶ、刻を惜しみ啼く蝉の声。

何も変わらない礼成江の夏の朝だとヨンは宿窓の外を見る。
礼成江の碧の流れ。まだ早い朝空は、淡い水浅黄色に靄う。
昨夜の寝苦しさも、止まっていた風も、聞こえなかった蝉の声も、まるで何事もなかったようにいつもと変わらぬ夏の早朝。

「・・・おはようございます」
「今日は白絹を探しに行くのよね?」
「・・・はい」
「楽しみ!見つかるといいわよね。見つかるまで付き合ってね?」
目覚めたヨンは普段と変わらぬ、寧ろ上機嫌のウンスの笑み。
寝台の上でまだ半ば茫とした頭を振る。

「・・・イムジャ」
「なぁに?」
「昨夜は」
「ああそうだ!汗かいてたし、拭いただけだから。水でも浴びてくる?」
「それは後でも」
「じゃあ、背中流してあげようか?」
「いえ、それは」
「じゃあ、顔洗って来て?朝ごはん食べに行こう。はい手拭い」

夢か。あれ程に生々しい夢があるか。
背にも顎にも首筋にも、汗の流れた感触が残っている。
固く抱き締めた、この胸に押し付けた小さな体を覚えている。
それでも夢であれば良いものを。
あれ程に思い出すならば、搔き乱されるならば、夢であれば良いものを。

ウンスの小さな手で差し出された手拭いを受けヨンは寝台を立ち、宿の部屋の外へと抜ける。
これ程の早朝にウンスが目を覚まし、そうして明るく立ち居振舞うおかしさにすら気づかずに。

 

*****

 

「白絹を探している」

訪うた店先の女人へと、ヨンは声を掛けた。
ウンスは嬉しそうに店の中へと入り込み、そこに掛かる衣の類を指先で触れ、腕に当てて具合を確かめる。
「白絹でございますか」
「ああ、白い絹だ。あるか」
「絹は取り揃えておりますが、白は・・・」

その声を聞いた途端、ウンスはにっこりとその顔に笑みを浮かべ
「判りました。どうもありがとうございます」
そう言ってヨンの手を掴み、入った時と同じようにすたすたと迷いなく店を後にした。
市の大路をウンスに手を引かれ、半ば引き摺られるように歩き始めたヨンは途の隅へと寄り、目立たぬようにその手を解いた。
「イムジャ」

払われた手を気にも止めぬ様子で、ウンスはヨンの眸に笑いかける。
「なぁに?」
「いや、手を」
「うん」
「こうして一件ずつ回るのですか」
「もちろん。見つかるまで付き合ってって言ったじゃない?」
平然と笑うウンスを目の前に、ヨンは首を傾げる。

手を払われて怒りもせぬ。それどころかそれが当然のように。
何処かがおかしい。
何処とも言えぬ曖昧な己の胸裡の声に釈然とせぬまま、ヨンは脇のウンスを護り市の大路を歩き始めた。

 

「白絹は置いてあるか」

もう何件目か判らぬ店に入り、既に倣い事のように、ヨンは同じ言葉を店先で繰り返した。
「御座います」

店の女人の声に同じく慣習のように店の中へ入り込んでいたウンスが
「え?!」
小さく叫び、店の奥からヨンの許へと駆け戻る。
そしてヨンと対面している店の女人に掴みかからぬばかりの勢いで
「あるんですか?ほんとに?」

そう言って体を揺らす。店の女人は穏やかに笑み頷いて
「はい。ちょうど先頃、入って来たばかりで」
確りとウンスとヨンへ向かって言った。
「ご覧になりますか」
ヨンが何かを言う前に、ウンスは幾度も大きく頷いた。
その髪がふわふわと夏の陽に遊ぶ様子を見つつ、ヨンは大きく息を吐く。
助かった。
どれ程にこの方を慕おうとも、やはり買い物は俺には向かぬ。

 

「・・・綺麗」
目の前に大きく広げられた白いシルク。溶けそうなシルク独特の肌触りと張り。
私はその表面をゆっくりと撫でて、横のあなたを振り返る。
困ってるみたいな顔で、私を見つめてるその黒い瞳。
「これでいいと思う?」
私が聞くと頷きも、でも振りもしない頭を傾げて
「お好きなように」
それだけ言って恐る恐る大きな掌の指先を伸ばして、目の前のシルクをそっと撫でて。
「ただ・・・」

お店の人が口籠るのにあなたはすっと指を引っ込めて
「唯」
そう問い返す。そんな怖い顔をしたら店員さんも言い辛いだろうに。

「ご存じのように白の絹ですので、大変珍しく・・・大護軍さまにこんな事をお伝えするのは心苦しいのですが・・・」
その店員さんの声に、ヨンアが首を傾げる。
「何だ」
「実は、お値段が・・・」
「どれ程だ」
「布貨百疋分で・・・」
「構わん」

あなたの即決ぶりに、横の私は振り向いて
「ちょ、ちょおっと待って?待って下さいね?」
そう言って両手を上げて、店員さんを一旦止める。
待って。布貨百疋って、どのくらいの価値なの?
全然分かんないわよ。
第一貨幣じゃなくて布を布で買う感覚が、未だに私にはピンとこないんだもの。
「よ、ヨンア?」

私がその袖を引いてお店の外まで連れてくと、不思議そうな顔で黙ってついて来てくれたのはいいけど。
「ちょっと聞くけど、布貨百疋ってどれくらいの・・・」
「どれくらい、とは」
「ええと、いくら・・・それと同じ値段で、他には何が買えるの?」
「・・・ああ」

ようやく私の聞きたいことを分かってくれたか、あなたの顔が納得したように晴れた。
「判りやすく言えば、奴婢一人分。買うつもりはありませんが」
「奴婢、ってことは、ひと一人の人生を買えちゃうって事なの?」
「はい」
「だ、だってウエディ・・・婚礼衣装一着よ?」
「ものは良いでしょう。気に入ったなら構いません」
「だけど、だけど」
「何です」
「さっき、いいと思うって聞いたら、何も言わなかったじゃない!」
「ああ」

あなたは私の声に、頷いて笑った。
「女人の衣装には疎いので」
「それだけ?ほんとに?」
「無論」
あなたは何でもない顔をして笑うけど。

ねえ、ヨンア。ほんとにそれだけ?他に何か考えてない?
昨日から、裏道であの男の人と会ってから、あなた変よ。
魘されてた。昨日の夜中だってひどい寝汗をかいて。
何か言ってた。誰かの名前か、それとも譫言か。

言えない。きっと私が触れたらいけない事だから。
だけど変だった。それだけは分かるの。
私を抱き締めて、石みたいに体を固くしてた事は分かるの。
「・・・イムジャ」

呼ばれた声に我に返る。
「ごめん。あんまり高くて、ぼうっとしちゃって」
あなたは私の下手くそな言い訳に、ちょっと眉をしかめて笑って。
「指輪も留守衛も、頑として金を受け取らぬ。婚礼衣装くらいは良いでしょう」

そう言って今度はあなたが私の手を引いて、お店に戻ってくれるけど。
でも変よ。その方が、今の私には気になる。
あんなに着たかった白いシルクのウエディングドレスより、ずっと。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん、日々、お話を拝読させていただき、ありがとうございますm(__)m。
    念願の白いシルク、見つかって良かったです。が、一体だれが買うのか?と思うほど高額なのですね(´・_・`)!
    それを値切りもせず、驚きもせず、「ウンスが気にいったのなら」と即決しようとするヨン、気前がいいなぁ( ^ω^ )。
    いや、ウンスへの「愛」なのですよね❤︎
    でも…、手放しで喜べない雰囲気(´・_・`)。
    ああ、先が気になります(・_・;
    さらんさん、今日も暑くなりそうです。
    ご自愛くださいね。

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