「・・・王様」
王妃の私室でゆったりと目を閉じ椅子の背に凭れ、窓からの夏の夜風に吹かれていた王は、その声にふと目を開ける。
「どうされた」
姿勢を正した王に、その寛ぎを邪魔したと申し訳なさげに眉を下げた王妃が、王と斜めに差し向う椅子へ静かに腰を下ろした。
「医仙のご様子が、気に掛かります」
王が王妃へと向き直る。
「御体でも悪いのか」
「いえ、そうではなく」
王妃にもまだはっきりとは掴めない。何かおかしいと感じる。
普段はどんなことも歯に衣着せず物を言う医仙が、婚儀について歯切れ悪く、言葉を詰まらせるのが気に掛かる。
「大護軍は、いつもとお変わりないのでしょうか」
自分の惑いをどう伝えて良いか判らず、王妃は聞いた。
「ああ、明日は暇を欲しいと申しておったが」
「暇、でございますか」
不安げに低く落ちた王妃の声に、王は安心させるように笑んで見せた。
「ああ王妃、そういう事ではないのだ。ただの私用だ。明後日には戻って来る」
「よろしゅうございました」
息をつく王妃へ向け、
「そういうわけで、あの大護軍は全く変わりはなかったが」
王は眉を寄せ卓に肘を突くと、考え込むよう顎にその拳を当てた。
「大護軍が普段通りで、医仙の様子だけがおかしいというのも、考えてみれば妙であるな」
「さようでございますね」
「あの二人の事、また医仙が御一人で何かせねば良いが」
思い当たる節のある王は、言いながら僅かに顎を下げる。
この世界にいらしてより、天啓をお告げになり、寡人の先そして王妃の先を読み当てられ、徳成府院君の先を宣じた。
国の先も、そして世の動きの先も。
そんな方であるが故に、医仙のみの知る先の事で、大護軍に言えず何かお悩みであれば。
大護軍に止められるが故に、伺う事は出来ぬ。
それは医仙を己の駒として利用する事になる。
しかしもしもそれがこの国の根幹を揺るがす事になるのであれば、寡人はこの国の王とし如何すべきなのであろうか。
王はそう思いながら、目の前の王妃をじっと見詰めた。
王妃の為に、我が高麗を強き国に。元に負けぬ国として立たねばならぬ。
双城総管府を落とし、帰る場所を失わせたあなたのために、元に負けるわけにはいかぬ。
寡人と共に空を飛ぶ、あなたのために。
何処までも共に行こうと誓った。倒れる時も共になる。
途半ばで倒れる訳にはいかぬ。負けるわけにはいかぬ。
それに関わる天啓を医仙がお持ちなのであれば、誠心誠意を尽くし大護軍に尋ねるしかなかろう。
大護軍ならば判ってくれると信じる。寡人があの大護軍の言葉が判るように。
己の為でなく、民の為に、愛しき者の為にそうする時には。
搦め手や浅知恵でどうなる男ではない。正面より正直に尋ねるしかないであろう。
目の前の王妃は考え込む王の様子を、真っ直ぐに背を伸ばし、静かな目で見つめていた。
こうして向かい合う王様の御心の中が判る気がするのは何故であろう。
悩まれていらっしゃる、恐らくは医仙の事で。
王様が医仙の事で悩まれるとすれば、天のお告げのことなのだろうか。
─── 百年は、一緒にいられないでしょう?
あの頃医仙は、そうおっしゃいました。
けれど医仙。
妾は今、王様と百年と言わず、千年でも共に居りたいのです。
医仙に教えて頂いたお言葉を、萬年でもお伝えしたいのです。
王様をお一人で悩ませるのが、苦しくて堪らぬのです。
何も出来ぬ己が、口惜しゅうて情けのうて、遣り切れませぬ。
王様が背負わる荷の、御心に留める荷のほんの僅かでも、分けて頂ければ嬉しいものを。
だから医仙に伺うのです。
大護軍とお話されましたか、お気持ちは伝えましたかと。
離れていた間の、隙間を埋めて頂きたいから。
御二人には、分け合う事が許されるから。
共に相手を守るために、闘うことを厭われぬから。
妾のように奥に籠り、ただ守られるだけの、情けない者ではないから。
分けて下さい、そう伺うことすら王様の御心を悩ませると思うと、差し出がましく口を挟むことも出来ぬ。
ただその御手にこの手を伸ばし、包むように触れてみる。
どうかこの掌から、王様のお悩みが少しでも妾に伝わるように。そう願いその御手を我が頬に当ててみる。
王様、妾が居ります。何もお助けできずとも。いつでも此処に、そして最後まで共に。
「次に医仙にお会いした折に、聞いてみましょう」
王の手を自分の頬に当てたまま、静かに微笑んで王妃が囁く。
王は頬の温かさを掌に感じながら、その優しい声に、頷いた。

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