比翼連理 | 57

 

 

「イムジャ」
チェ・ヨンに呼ばれ、ウンスは顔を上げる。
「ごめん、ちょっと」
「昨日から様子が変です」
「うーん・・・」

ウンスは言い惑うよう、唇を細い指先で叩く。
昨日の事なら気持ちは判る。この流れに思いを馳せた事。
ただ今日の事だけは己を気遣う以外にも、何か有りげに考え込む今の様子は明らかにおかしいと、ヨンは首を傾げる。

「ねえ、ヨンア」
「はい」
「今から言う事は、確かじゃないの。ああ、確かじゃないって言うか、史実ではあるんだけど肝心な、誰、ってとこが抜けてるの」
「・・・はい」
「あなたがこれから倭寇を退治する時」
「は」
「え?」
「俺が、倭寇を」
「そうよ。そんな話、王様から出てない?」
「いえ」

ウンスの余りに突飛な話にヨンは首を振る。確かに倭寇は騒がしい。
騒がしいが慶尚や全羅には水使も観察使も置かれ、都巡慰使も廻っている。
己が出るとしてもそれらの後だ。この方がそれを知るとすれば。
ヨンは無言で、ウンスをじっと見た。
「俺が倭寇を殲滅するというのは」
「うん」
「天の書に書かれているのですか」
「私の書いた手帳には書いてない。でも先の世界では誰でも知ってるわ。
あなたは倭寇を退治して、紅巾族を高麗から追い出して、すごーい武功を立てるの。それで高麗一の大将軍になるのよ」
「・・・そうなのですか」
「うん。これは確実」
ウンスが誇らしげに鼻をつんと天に向ける。
その誇らしげな顔に、ヨンは深く息を吐く。

そんな事はどうでも良い。
あなたがいつまで俺と居て下さるのか。あなたにどんな危険が及ぶのか。
俺はそれをどう護れば良いのか、それだけが知りたい。

倭寇を殲滅するという事は、この方は何か倭寇と係るのか。
紅巾族を退けるという事は、この方は何か紅巾族と係るのか。
それを考えるだけで腸が捩れるように熱くなる。
そうでなければ、己がそこまでの武功を立てるとは思えない。

考えても仕方がない。先を懼れても意味はない。
最良の策はいつでも簡単な事なのだ。判っている。
正面から挑む、俺にはそれしかない。
命を捨てる事はもうしない。この方を残してなど死ねない。
それが吉と出るのか凶と出るのか、今はまだ分からずとも。
「とにかく、話を整理するけど」

ウンスの声に、ヨンは意識を戻す。

「あなたはこれから大きなことを、最低2つはするの。
倭寇退治。紅巾族の撃退。これだけは歴史の事実だから覚えておいて」
「・・・はい」
「で、倭寇退治の時、あなたの船には大砲や火砲が積んである。それには絶対火薬が使われてるの。
でも誰が作ったのか覚えてない。今もう火薬はあるし、それを使ったのかもしれないし、違うかも。
それを作るのが、そのチェ・ムソンなのかも」
「覚えておきます」
「それから」
「イムジャ」

先を焦るようなウンスの声にヨンは制止の声を上げる。何故それ程急ぐのだ。
言いたいならば聞く。
聞きはするがまるで今すぐにでも消えてしまうような、何処かへ行くような、そんな物言いは止めて欲しいと。
「焦らず」
「だって思い出した時に」
「時はある。飽くほどに」
「でもね、ヨンア」
「お止めください」

僅かに強めた語気にウンスが黙る。
止めて欲しい。聞きたくない。
聞こうと聞くまいと己は変われぬ。先を知ろうと知るまいと。
ウンスの無事さえ知れれば、他に知りたい事など何一つない。
「あなたの無事さえ分かれば良い。他の事は成るように成る」
「・・・うん」
「あなたに害は及びませんね」
「え?」
「紅巾族も倭寇も、あなたに害は及ぼしませんね」
「・・・うん、きっと大丈夫」
「確かですね」
「・・・うん、きっと」
頷いて、ウンスは顔を上げる。

「じゃあ、あなたの事を教えて」
「俺の」
「うん。昨夜、何であんなに緊張してたの?」
「緊張」
「そうよ、体がカチカチだった」
ウンスは静かにヨンを見た。その黒い眸を。
「どうして?」
「・・・それは」
「うん」
「思い、出したのです」
「そうなの」

PTSDなのだろうかと、ウンスはヨンをじっと見る。
あの時手が震えたように、心の傷が何かしら影響を与えるのだろうか。
検査が出来るわけではない。プロフェッショナルの心理学者ではない。
自分には何も出来ない。ただ抱き締め、手を握り、傍にいる事しか。
自分は嘘はつかず、心に正直にいるしかない。
それがヨンの最良の薬になると信じるしかないのだ。

「ヨンア」
「はい」
「愛してる」
「・・・はい」

夜の寝屋の月の中、腕の中で囁かれるのとは違う。
夏の陽の光の下、河の音を縫って届くこの方の声。
いつも惜しみなく降り注ぐ。
陽のように雨のように、天からの慈しみのように。

伝え続ける。愛してる。私は、あなたを愛してる。
河が流れるみたいに、波が打ち寄せるみたいに。
絶対に枯れないし、いつまでだってそこにある。
始まりも、終わりもない。

「だから、今日は休もう?」
「いえ、仕立て屋に」
ヨンの変わらぬ言葉にウンスは噴き出した。
「どうしてそう、頑固なのかなあ」

ウンスの揺れる髪を見つめ、ヨンは首を振る。
「一刻も」
「ん?」
「早く、婚儀を」
「確かに早く仕立て上げれば、それだけ早く結婚式だけど」
「はい」

ウンスの手を取り、ヨンは河の畔を歩き始める。
逆の手にあの白絹の反物の包みを抱えたままで。
「イムジャ」
「なあに?」
「・・・いえ」

ウンスはつないだ手を大きく振った。
「なあに、途中でやめないで」
「いえ・・・」
「言ってってば、気になるなぁ」
「共に居ましょう」
「え?」
「共に居りましょう、飽きるほど」

ヨンはそう言って横顔で笑んだ。
「偕老同穴と申します」
「かいろう?」
「ええ」
「なぁにそれ?」
「・・・判らねば結構」

ウンスは膨れてヨンへ腕を絡め、繋いだ手を振り回す。
「何よ、教えてってば!」

ああ。この方には本当に覚えて頂く事が多すぎる。
皇宮の仕来り、開京の仕来り、高麗の仕来り。
長恨歌もそして詩経もだと、ヨンは喉の奥で笑う。
共に居ろう。共に過ごし、老いて白髪となり、そして同じ墓に入ろう。
そして来世でまた逢おう。何処に居ようと必ず探すから。

天にあって願わくは比翼の鳥となり、 地にあって願わくは連理の枝となろう。

俺の比翼鳥、そして俺の連理枝。

 

 

 

 

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