比翼連理 | 54

 

 

「いつでも、連絡してください」
「・・・期待はするな」
「しますよ。いつまでだって待ってます」
「ムソンといったな」
「はい」

夕焼けの迫る宿の前、ムソンは大きく頭を下げた。
「失礼なのは判ってる。だけど会いたかったんです。
大護軍様の出陣のたび気付いちゃくれないかと手を振って、大声で叫んでたんだけどなあ」
ムソンの声にチェ・ヨンは首を振った。
「蹄の音で消されたな」

そんな思いで手を振る者がいる。気付いてほしいと声を上げる者が。
その前を無言で駆け抜ける己は、気付きも振り向きもせず行く己は、恨まれて然るべきか。

「大護軍様、これ」
ムソンはそう言って懐から小さな筒を取り出し
「今研究してる新しい火薬です。ただし絶対落さないで下さいね」
その筒をゆっくりとヨンへと手渡した。
「落とせばどうなる」
ヨンは大きな掌の中に筒を受け、確かめるように天へ翳す。
「どかん、ですよ」
ムソンはようやく緊張が解けたか、己の握った拳の両指をヨンの目の前で弾いて開いて見せた。

「成程な」
ヨンは頷き、小さな筒を己の懐深くへ仕舞い込んだ。
「注意しよう」
「突然すいませんでした。話せて良かった」
ムソンはヨンへもう一度頭を下げる。

「市の奴に火薬屋っていやあ、誰かが知ってます。いつでも連絡を」
「ムソン」
「はい」
「・・・守りきれずに、済まない」
「大護軍様」
「お前の家族も、友達も」
「大護軍様、何言ってんですか!」

ムソンは心底驚いたように大きな口を開け、目を丸くしてヨンを見た。
そして頷いて大きな声で言った。
「いつだって感謝してるんですよ。だから良い火薬を作りたいんです。
ちょっとは助けになりますよ。いや、俺の力なら、かなり」

最後に大きく笑うと
「だから言ったでしょ。俺達が大護軍様に、あの頃の赤月隊にどれ程頼ってたか、感謝してるか。
本当のところは大護軍様にも分からない」
「ムソン」
「今だって変わんないんですよ。大護軍様が生きててくれて良かった。
生きてる限り感謝するし、俺が出来る事は何だってする。
先に逝った皆だって同じですよ。倭寇を心底恨んじゃいるが、赤月隊と大護軍様にはお礼と感謝しかないんだ」
「・・・もう行け」
「判りました!」

ムソンは夕陽で紅く染まり始めた宿の前の途を歩き出す。
何度も振り返り、此方へ向かって大きく手を振る影法師。
あの帯の月のように紅く染まる途を。
そしてまた夜が来る。あの黒い夜が。

分からないんだ。ヒョン。
忘れてたはずなのにこうして揺り起こされる。何度も何度でも。
その度に塞がったと思う傷口の瘡蓋が毟られる。見えない爪で。
あの忠恵への恨と憎しみが、その傷口から膿のように流れ出す。

分からない。判らないんだ、ヒドヒョン。

 

******

 

ヨンア。

呼んでいる。
眸を開けてやらねば、見せてやらねば。

ヨンア。

俺は此処だ、此処にいる。何処にも行かせない。
大丈夫だから。背負うから。重荷なんかじゃないから。

振り返る叢、靡く黒い髪。

違う、俺のあの亜麻色の髪は何処だ。

ヨンア。

俺の眸を覗き込み、黒い瞳だけが笑う。

違う、体中で笑う俺の鳶色の瞳は何処だ。

「ヨンア」

跳ね起きた夜中の寝台。
夜着が張り付くほど濡れた背は蒸し暑さのせいだけか。

「魘されてた」

腕の中から抜けたこの方が寝台に座り込み、眸を覗き込んでいる。
額から流れ落ちた汗を手の甲で拭い、両掌で顔を覆う。

普段ならば吹き抜ける礼成江からの風は止んでいる。
行く夏を惜しむよう啼くはずの蝉の声も聞こえない。
窓外、射し込む月の斜めの縞が寝台の足許に掛かる。

息を整え、顔を覆った両掌を下ろし、ヨンは目の前のウンスを無言のままでじっと見つめた。
己の顎へ流れ落ちる汗を拭った手をウンスの頬へと伸ばす。
ヨンの堅い掌を頬に当てられ、ウンスの手がヨンの頬へと伸びる。

顔色を確かめ、ウンスの手が次に頸へと降りる。
汗が流れるままの首筋に、ウンスの指が触れる。

その指を感じ、ヨンは眸を閉じる。

月と微かな行燈の灯の中で、ウンスの指がヨンの手首の脈を取る。
ヨンは微動だにせず己の鼓動をその指先へ全て委ねる。

この頬に触れられれば、その指に触れてもらえれば、大丈夫だ。

触れたままの頬から項へと掌を移し、そのまま強く胸へ引き込む。
寝台の上で姿勢を崩し、ウンスはそのままヨンへと倒れ掛かる。
勢いを受け止め両腕を回し、ヨンは胸に落ちたウンスを固く抱く。

大丈夫だ。

深夜の寝台の上。
固く抱き締められたウンスは何も言わず、ヨンの大きな背に細く白い両腕を回して撫でた。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    ヨンの心の奥に納めたはずの幾つもの心情。
    あれだけの悲劇をかかえながら生きてきて、ウンスとの出会いがその氷のような心を溶かし、今に至る。そうであっても、それであっても。。
    優しく振り返り、見ることなんてそんなに簡単じゃないということですね。
    人は人に支えられて生きていく。ウンスはヨンのために、ヨンはウンスのために命与えられたのだとあらためて思います。
    この二人の深い心の行き交いをこれからも描いていらしてください。

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    若い頃の大切な仲間との、不幸な別れはテホグンをしても、魘される夜をもたらしますか。
    ひとり魘された夜を過ごしたあの頃とは、違います。
    今は柔らかく暖かい愛しい人がそばにいます。
    あの53がふたつあります。

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    思い出すと辛い記憶,ウンスがそばにいてくれて良かったですね。
    ウンスと出逢わなければ,笑う事すら忘れていたかも。
    お互い,唯一無二の存在です。
    チェムソンって火薬の武器を発明した実在の人物でしたよね。
    近い将来,ヨンの助けになるんでしょうね。楽しみです^^

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    さらんさん、今日も素敵なお話をありがとうございます。
    氷に閉ざされた、色の無い世界から一歩も動けずにいたヨンを救い出したのも、ウンスでしたね。
    何も聞かずに黙って抱きしめてくれ、何も言わずとも抱きしめることのできる相手がいるって、すごく尊いことですね…。
    さらんさん、このシリーズのお話にも、夏をイメージするワードがちょいちょい出てきますね❤︎
    ワクワクします(≧∇≦)

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