比翼連理 | 12

 

 

「大護軍、酒です」
水を浴び、汗を落として、濡れ髪のさっぱりとした様子で縁側に座るチェ・ヨンに向け、戻ったテマンは大きな酒瓶を二本差し出した。
「悪かったな」
チェ・ヨンはテマンから酒瓶を受け取りそう告げた。
「いえ、そんなことないです。他には」
「今日は帰れ」
「え」

まだ陽の残る夏の夕空を見上げてテマンは首を振る。
「まだ早いです」
「帰れ。門衛士も連れ帰れ」
「でも、それじゃ」
宅の衛が薄くなると案じたテマンが思わず声を上げる。

「テマナ」
重ねて告げられたチェ・ヨンの声を聞き、テマンは頷いた。
「分かりました」
そして頭を下げ
「明日は」
「別口の用向きがある。何かあれば、宅に居る。遣いを飛ばせ」
「はい!」

頷いたテマンは最後に深く頭を下げると、庭を出て行った。
チェ・ヨンは縁側から腰を上げた。
居間へと入り、そこから続く厨への扉を開け、中のウンスに向かって声を掛ける。
「始めましょう」
厨の中で菜を器に盛っていたウンスは振り向いて
「はあい」
そう返答し、菜の器を盆に載せた。
その盆をヨンへと手渡しながら
「でもちょっと待ってて。汗かいたから私もお風呂に入りたい」
盆を受け頷いたヨンを確かめると、ウンスは湯屋へ駆けた。

 

*****

 

遅い夏の宵闇がようやく訪れた庭。
縁側へと抜ける風に長い髪を梳かせ、ウンスは横に腰掛ける顔を盗み見る。

チェ・ヨンは酒で満たした杯を口元を運びながら
「何ですか」
振り向くでもなく、横顔のままで呟いた。
「ううん、静かだなって」
慌てて言い訳するウンスに、むっつりと不機嫌な顔のまま
「俺は呑む時は、いつもこうです」
そう言ってなみなみと満たした杯を、一息で煽る。
「そうなの?話したりしないの?」
「しません」
そして手酌で大きな酒瓶から次の酒を注ぐ。
ウンスは両手で酒瓶を持ち、自分の杯を満たす。その酒瓶はかなり軽くなっている。

この人が、ほとんど飲んだのよね。
顔色も口調も態度も、全然普段と変わらないけど。

ウンスにしてみれば、21世紀の焼酎とは比べ物にならないほど強い。
ただ酔う目的で滅多矢鱈と濃くした味だと、口の中の酒を飲み下す。
何かで割るでもない。ロックですらない。ストレートの濃い酒が、喉を焼くように滑って行く。
何杯も飲めるものではない。

その杯をぐいぐいと空にしていくチェ・ヨンを見ながら、息を吐く。
「ねえ、ヨンア?」
「はい」
短い返答。またしても一息で杯を空け、次を注ぐ手許を見つつウンスはおずおずと口を開く。
こんな強い酒をそれ程の早さで、それ程の量で飲んだら、明日の二日酔いは絶対免れないんじゃないかしら。
心配になり、杯を口へ運ぼうとしたヨンの手に指を掛ける。

「少し話そうよ。全然食べてないじゃない。そんな飲み方したら、 胃にも悪いわよ」
「・・・おかしなことをおっしゃる」
ウンスの細い指を杯を握る逆の手で静かに解きながら、チェ・ヨンは横顔の片頬で笑む。
ウンスの指から自由になった杯を口に運んで一息に流し込み
「おっしゃったでしょう。見ぬから、知らぬから不安だと。
普段と違う俺を見せても仕方ない。隠すなど面倒です。
今のうちによくよく見ておかれた方が良い」
「それは、でも」

確かに言ったと、ウンスは俯く。
ただ怖かったのだ。
不安で仕方がなくて、そんな時に笑わされて甘やかされて、言わなくても良い事、言うつもりがなかった事まで勢いで言った。
悪い癖だと、ウンスは唇を噛む。
売り言葉に買い言葉、弁が立つから必要のないことまで口が滑る。

チェ・ヨンが自分の言葉をどれほど真っ直ぐに、真摯に受け止めるか、言葉にどれ程の重きを置いているか、知っているのに。
21世紀のあの頃と、高麗の今とでは言葉の重みが違う。特にチェ・ヨンはそんなタイプだ。判っているのに。
言葉を、約束を、誓いをあれ程忠実に、その命も名も懸けて遵守する、そんなタイプだと誰より分かっているのにと。

「ねえ、ヨンア?」
「はい」
「あのね、さっき言ったのは、勢いで、その」

チェ・ヨンはウンスを見る事なく空になった杯を縁側の床に置くと、酒瓶を直接大きな手に握る。
握った瓶をそのまま口へ運び、咽喉を反らして中身を流し込む。
流し込んで空にした瓶を床へ戻し、息をつく。
「勢いで」
「うん、そうなの。だから本気で思ったわけじゃ」
「俺の酒癖も、女癖も、閨の相性も」
「うん、だから、そんなにやけになんないで?」
「自棄」
ウンスの言葉に笑いが込み上げる。
チェ・ヨンはようやく首を振り向け、横のウンスを静かに流し見た。

瓶ごと一気に酒を飲み干したチェ・ヨンに横目で見詰められ、ウンスは自分の膝の上、揃えた指先に目を落とす。
この人が怒っても仕方ない。私の言い方、ひどかったもの。
「自棄になど、なっておりません」
「その言い方が、やけっぱちに聞こえるんだってば!」
「ではどうすれば満足するのですか」
チェ・ヨンの声に指先を見詰めていたウンスの目が上がる。
「見ぬから不安と言われる。見せれば自棄だと言われる」
「だからもっと、自然な態度でこう」
「自然です」

言えば言うほどドツボだわ。ウンスは頭を掻き毟る。
「そうじゃなくて、ああもう」
その小さな手を、大きな掌が緩やかに握って制した。
「何がそれ程」

チェ・ヨンはようやく正面から、その黒い瞳でウンスを見て問うた。
「怖いのだ」

言わなければいつまでも堂々巡りだ。ウンスは唇を噛む。
あのイ・ソンゲが起こすだろう未来を知っていて、方法が見つからずに袋小路に迷い込んで、結局いつでも行き詰るように。
けれど言えば、この男は無言で悩む。
目の前の誰より愛しいこの男はいつでもそうだと、ウンスは息をつく。

私の事を想う事も、表現するのも不器用で。近くにいたい、抱き締めてほしいと思っても、手も伸ばさない。
これって時代のせいなの?それともこの人の性格?どっちもなんだろうけど、手がかかるったらないわよ。
きっと今も私の心の中を考えながら、私より怖がって心配してる。
そんな目をしてる。だけどそうは言わない。ただこうやって短く尋ねるだけ。

未来を変えたいのに、方法が分かんなくて怖いの。
変えられなかったらあなたを失う、それが何よりも怖いの。
そう吐き出せたら、どんなに楽だろう。でも知れば、余計にあなたを悩ませる。
今回は知らなかったじゃ済まされない。
双城総管府でイ・ソンゲを助けろと、私にはっきり言ったあなたは、きっと悩む。苦しいくらいに。

あなたにそんな思いをさせるなら、言いたくないの。
絶対にどうにかして見せる。たとえ何と引き換えでも。
もし出来なかったらこの胸にだけ隠して、お墓まで持って行きたいの。

「結婚って、何だろうね」

ウンスの呟きに、チェ・ヨンが首を傾げる。

「私が大勢参列してほしいのは、皆に言いたいから」
夏の宵、さらりとした風に吹かれて、ウンスの声が流れる。
「あなたが私のものだって。そして私があなたのものだって。この男を傷つけたら、私が許さないって宣言したいから」
如何にもウンスらしい物言いに、チェ・ヨンは低く笑った。
「ええ」
「指輪が欲しいのは」
ウンスはにこりと笑って首を竦めた。
「約束だから。覚えてる?ダイアモンド」

ああ、あの折にも言っていたと、チェ・ヨンは頷く。
天界の、光って固く高価な石だと。
「ダイアモンドはねえ、先の世界で一番固い石の一つなの。割れない。欠けない。曇らない。
それを磨いて光らせるには、同じダイアモンドで磨くしかないの」
割れず、欠けず、曇らぬ。だからかとチェ・ヨンは合点がいった。
「故に、永遠の愛の証とするのですか」
「そうよ」

ウンスは満足そうに頷いた。それでは翡翠や水晶では駄目だ。
チェ・ヨンは小さく首を振る。
翡翠や水晶は確かに固いが、割れぬ程、欠けぬ程の強さではない。
「この世界では、金剛石とも言うはずよ」
「金剛石」
ウンスの言葉に、驚いたようにチェ・ヨンが声を上げる。
「ど、どうしたの」
「だいあもんどとは、金剛石なのですか」
「うん、確かそんな風に言ってたはずよ」
「何故もっと先に」
「え」
「当てがあります。ありますが」

其処まで言ってチェ・ヨンは惑う。
「イムジャ」
「なに」
「天界では本当に金剛石で、指輪を作るのですか」
「ああ、厳密にはダイアモンドを金とかの指輪の、真ん中に飾るのよ」
不得要領なチェ・ヨンの表情に少し笑うとウンスは縁側を立ち、居間の机に置かれた筆と紙で簡単な絵を描いた。
それを少し離れた縁側から、チェ・ヨンが肩越しに振り返り見ている。

描き終えたウンスは紙を持ち、縁側へ戻った。
「こーんな感じよ」
嬉し気にチェ・ヨンへとその絵を差し出すウンスは、口調も足取りもそろそろ酔いが回ってきているようだ。
「ここに、ダイヤを飾るの」
絵の中のぐるりの輪の中、大きめの白い丸に細い指が当たる。

「・・・成程」
店先で手に入るものではなさそうだ。絵を見つつ、チェ・ヨンは肚の中で頷いた。
拵えさせねばならん。この方が求めるならば、何が何でも。
割れず、欠けず、曇らぬ証を必ず渡して誓う。
しかし天界の方々は悉く己には理解できぬ風習に沿うて生きておる。チェ・ヨンは首を傾げた。

「ウェディングドレスはねえ」
立ち座りで酔いが回ったウンスは、嬉し気にふふと笑った。
「うぇでぃんぐ、どれすですか」
繰り返すチェ・ヨンにウンスはうんうんと頷く。
「今日、媽媽にもお伝えしたんだけど。白よ白、絶対に白」
「・・・はい」

風義なのだと言い聞かせつつ、チェ・ヨンは辛抱強く頷いた。
白とは高麗の中でも大多数の下々の民の着る色だ。
それは構わぬ。自分たちが特別とは思わぬ。
しかし婚儀の晴れの日に、敢えて白、白と強調されると複雑な気分だ。
ウンスはそんな胸中も知らず、酔った口調で繰り返す。

「絶対白なの。決めてたの。お色直しはしない。だって考えて?」
「はい」
「ウェディングドレス着られるなんて、一生に一度、結婚式だけよ?何で敢えて別のドレスまで、着なきゃいけないのよねぇ。
伝統衣装ならともかく」
「・・・はい」
「だからともかく白なの。白以外は着ないの」
「分かりました」

白の婚礼の晴れ着。間違いなく、仕立てるしかない。
仕立て屋を捜し絹を手配し、手に入って仕立て上がるまで一体どれほどの時間がかかるのだろうか。
チェ・ヨンは頭で素早く計を巡らせた。

「あとこれは絶対。ハネムーン」
「はあ」
ウンスが赤くなった頬を押さえて我慢しきれぬよう笑みを浮かべる。
何かは分からぬがこの様子、さぞ善き事に違いない。
ようやく明るくなったウンスの声に胸を撫で下ろす。
この方が望むならば、もう良い。問わぬ。何でも良いから全て言え。
泣かれるよりも幾倍も良い。今まで部屋隅に放って積み上げた革袋の禄、全て散財するから言ってくれ。

唯一つだけの気掛かりは。
チェ・ヨンはウンスに届かぬように、僅かに顔を背け息をつく。
この方のこの願い全てを叶えるには、此処からまたどれ程に時がかかるか分からぬ事だ。
待つ事も待たせる事も、心が痛くてこれ以上は出来ぬのに。
閨の相性とて確かめたいのは、この方より寧ろ己であるのに。

ただ抱き締めて温かさを感じ、その髪に鼻を埋めて柔らかさを感じ、胸に頸にその静かな優しい息を感じる。
そんな生殺しの夜をあと幾度超えれば良いのだ。
婚儀までだと唱えつつ、黒い慾をようやく宥め押し殺していたものを。
泣いている分らず屋の泣き声を甘い啼き声に塗り替える、その方法が分かっていながら、取れないままに来たものを。

「ハネムーンはねえ、旅行に行くの」
「旅行、旅ですか」
チェ・ヨンの声にうんうんと、ウンスは嬉しそうに頷いた。
「どこでもいいわ。あなたが仕事を忘れて、のーんびりできるとこ。だぁれも私たちを知ってる人がいないとこ。
出来るだけ遠ぉぉくまで、 出来るだけ長ぁぁく」

酔った口調でウンスが言った。
遠くに、誰も自分たちを知らぬ地に。出来る限り長く。
ウンスは逃げたいのだろうかと、ふとチェ・ヨンは思う。
今のこの暮らしから、逃げたいのだろうか。
まだ、心に留める苦しさがあるのだろうか。
この方が我を忘れて取り乱し、怖いと泣くなら俺の事だ。
未だに伝えず、黙っている事があるのだろうか。

チェ・ヨンには妙な確認があった。外れてはおらぬはずだと。

起きるかもしれない、最悪な事を考えるの。

先刻のウンスの泣き声を、胸を刺す痛みと共に思い出す。

イ・ソンゲか。あの男の事か。俺と奴との未来の確執か。
俺が戦場に立つ以上、最悪の状況は起きぬとお伝えした。
俺には生きる理由がある。生きて戻らねばこの方が泣く。
怖いと泣かせるくらいなら、誰であろうと斬る道を選ぶ。

チェ・ヨンにひとしきり話し終えたウンスは幸せそうに口を閉じると体をふらりと倒し、そのまま縁側へひっくり返りそうになった。
チェ・ヨンは瞬時に腕を伸ばし、頭を打ち付けぬよう大きな掌で庇う。

支えたままのウンスの小さな頭を、そっと自分の膝へと乗せる。
膝枕に安心したように何かを呟きながら、縁側の上、チェ・ヨンに寄り添うと体を丸めて、安らかな寝息を立て始めた。

「酒癖が悪いのは、どちらだ」

膝の上のウンスの髪を指先で玩びながら、チェ・ヨンは呟いた。
そうして今宵も過ぎるのだ。相性を確かめるつもりであったものを。

まるで腹の満ちた赤子がことんと寝入るように、膝の上で眠り込んだウンスを上から見下ろして、チェ・ヨンは白い額に唇を寄せた。

花も、金剛石も、そしてこの唇の落款も。
誓いの印が多すぎて、困る事はなかろう。
これ程に恋うて乞うて止まぬこの方と、相性が悪いわけがない。

唇を離して諦めたように笑むと、チェ・ヨンは二本目の酒瓶に手を伸ばした。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    あ~ 残念
    確認作業完了するかと思ったら
    やっぱり…
    ウンスも ヨンに伝えたいこと ぜーんぶ言えて
    スッキリしたのでしょうね
    ヨンの前だから こてっと安心して…
    もう少しの辛抱! ヨーン 頑張れ‼

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    ウンスは不安で仕方なかったのですね。
    自分が生きていた時代のウェディングをしたいのも、その不安を除くため?
    チェヨンは、ウンスの言葉に耳を傾けながら、頭の中を高速回転させて、ウンスの不安を理解する。
    こんないい男。わたしの周りにも欲しい!!
    幸せになってウンス!幸せになってチェヨン!

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    ウンスの希望を聞いていたら,数ヶ月位すぐに経っちゃいそうだけど(;^_^A
    婚礼衣装,赤が高貴な色なのかな。
    ドラマの后皇后でも赤だったし。
    染色技術の問題があるから,白は下々の者が着るんでしょうね。
    ウンスは知らないから,白に拘るのね。
    でも白でも華やかな刺繍をすれば良いかも。
    でも,もっと時間掛かるかしら(;^_^A
    金剛石,高麗時代にあったんですね。
    でも原石だと思うけど,研磨する事は出来るかな?
    ウンスも結婚(式)に色々夢があったと思うけど,本質を忘れちゃダメですよ~
    指輪や衣装も大事かもしれないけど,ヨンと一生寄り添って一緒に・・・これが一番大事ですよね。
    (旅行は長期は無理でも,良い思い出になるし行けると良いですね)
    兎に角,早く実現してあげないと,ヨンが生殺しで可哀想かも(^▽^;)
    こういう時,理性が強すぎるのも難点ですね( ´艸`)

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん、今日のお話、大好物です!
    昨日のパシフィコ余韻もありつつ、むしろ私もチェヨンのファンなんだな~と実感しながら、拝読させて頂きました。
    互いのもどかしさ、この時期は2度と来ないですから、存分に楽しみたいですね。
    さらんさん、私、昨日は飲茶を堪能し過ぎてしまいましたので、仕事を切り上げてスポーツジムに来ています。
    暑い日が続きますので、さらんさんもお体に気をつけてくださいね。

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