比翼連理 | 50

 

 

「あそこ?」
小高い丘の上から眼下に広がる礼成江河口。
青く深く切れ込む湾を眺め、風に吹かれながら、ウンスはチェ・ヨンを振り返る。

大きな縹色の天、浮かぶ白練の雲、透き通る陽光。
緩やかな弧を描き、流れる礼成江の紺藍。
丘の上、吹く風に靡く下草の萌黄の濃淡。
己とウンスと馬が地に落とす、黒橡の影。

色が少ないとヨンは思う。天と礼成江の境目が混じり溶け合う。
天の雲は礼成江の水面にまで映り込み、丸い地平線まで遥かに続く。
どこまでが水か、どこからが天か。

涯も区切りもない青色の中、浮かぶこの方だけが鮮やかだ。

そのウンスの跨る馬は絞られた手綱を嫌がるでもなく、のんびりと地を前脚の蹄で掻く。
「はい」
少し強い風に髪を揺らしヨンは丘の上、ウンスの馬へ愛馬を寄せる。
「碧瀾渡です」

その声にウンスは頷いた。
「思ったよりずっと大きいのねー」
「扱う荷が大量故」
「そうなの?」
「少なくとも俺が知る限り、国一番の港です」
「そうなのね」

ウンスの嬉し気な声にヨンは頷いた。
「馬が暑さで参る前に、もう一駆けできますか」
ヨンの声に笑って頷き返したウンスは踵で軽く馬の脇腹を蹴り、丘を下る途へと真っ直ぐ馬の首を向けた。

いつの間にやらそこらの女人よりも巧い駆り手になっている。
ウンスの馬の斜め前、愛馬の鼻面だけを僅かに出してウンスを護りつつ、ヨンは胸裡でふと笑んだ。

初めて乗せた折には、あれほど駄々を捏ねた方がな。

*****

 

「大護軍さま!」
碧瀾渡の市の入口、掛かる声にヨンは鞍上から厩守を見下ろし首を捻る。
「どうされたのですか」
厩守は不審気なヨンの眸に気づく事もなく、嬉し気に声を弾ませた。

如何したと問いたいのは此方だと、解せぬ思いでヨンは尋ねた。
「俺を見知るか」
「もちろんです、碧瀾渡の市に大護軍さまを知らん者などいません」
「・・・何故」
「北方への道をまとめて下さって以来、北方へのお出掛け前に毎度市外れの途を通られるでしょう」
「・・・で」
「皆で御見送りしておりますよ、大護軍さまの遠征時には。御無事と御武運をお祈りしております」
「そうか」

そうか。そうなのか。
あれ程己の信念を曲げ、臨んだ陣すら敷き直し、肚の内を晒し、恥を忍んで叔母上とチュンソクに婚儀の救いを求めたものを。
ようやく開京を離れ、煩い噂雀たちから離れたと安堵したものを。

此処でもか。一体何処まで行けば逃れられるのだ。
いっそこの方を連れて逃げ、人より魚の多い海辺に小屋でも建てれば。
それで初めてこの心の望むまま、二人きりで過ごして行けるのか。

「このたびは何かありましたか」
ヨンの肚など知らぬ厩守は、満面の笑みでヨンに尋ねる。
「ああ、市の様子を見に来た。荒れておらんか」
「はい、大護軍さまのお蔭で。みな戦に出ずに済み、商売に勤しめます」
ヨンは頷きながら厩守へと愛馬の手綱を預け、鞍を滑り降りる。
そのままウンスの馬の馬銜を握り、手綱を取って腕を伸ばし、鞍上のウンスの腰を支え小さな体を馬から下す。
「馬を頼む」
「畏まりました!」

返す厩守へとウンスの馬の手綱も渡し、ヨンは首を振る。
畏まらんでいいから、放って置いてくれ。

馬を預けたヨンはウンスと二人、市をふらりと歩き始めた。思うたより賑わいがある。
の大路をのんびりを装い、その歩を悠々と進めつつ、道の左右の店先に眸を走らせる。

元よりの品物を扱う店はともかく、大食国や金、遼からの荷を扱う店はこうして眺めても、以前と遜色はない。
品揃えが落ちた様子も見えんと、ヨンは胸で息を吐く。
市の活気が民を呼ぶ。民の暮らしが乱れておらぬなら何よりだ。
蓄えろ、力を。今暫しの、短い平穏を甘受しろ。

そして子を産み育て、繋げてくれ。次の世を、また次の世を。
悠久の礼成江の流れのように、涯なきこの縹の空のように、それが何れ俺のこの方の居た世を作れるように。

ウンスはヨンの横、暑さにも負けず弾むように歩きつつ、丸い目で左右の店を興味深げに覗き込んでいく。
そして明らかに異国の民とすれ違っては、しばらくそこで足を止め、息を殺してじっと黙る。
そしてやがて息を吐き、またゆるゆると歩み出す。

ウンスの変わった様子に気付いたヨンは歩を緩め、握る鬼剣の柄をその指先で弄ぶ。
探して居る。何だ。
何だとウンスの視線を追う。
いや、見てはおらん。では聴いておる。
何だ。何だと耳を攲てる。

聞こえてくるのは不思議な音楽のような異国の言葉だけだ。
まさかあの異国の者にまで突進して行きはすまいな。
ヨンは僅かに目を細め、脇のウンスの様子を見遣る。
ウンスは注意を払う事もなく、行き交う異国の民を首を振り向けて眺めながら、ヨンを仰いで頭を傾げた。
「アラブ系よね?」
「・・・あらぶ」
「うん。顔つきも、それに服装も」
「見るところ、大食国の民かと」
「う~~ん」
ウンスは曖昧に首を振った。

「先の世界では、その呼び名は知らないからなあ」
「そうなのですか」
「うん」
「大食国の民に、何か」
「英語じゃ通じないかなと思って」
「は」
「この世界の国際状況は知らないけど、あの時も仲いいわけじゃないし。
今なんてきっと無理よねえ。第一アメリカ大陸、もう発見されてるの?まだよね、1492年だもの」

ウンスの言葉を全く読めず、ヨンは首を捻る。
「イムジャ」
「なあに?」
「市の様子は読めた。一旦宿に戻りましょう」
遮る木陰もない炎天下、市の大路をこのまま歩ませては毒だ。
店に入るつもりがないなら涼しい場所で休ませねばならん。
けれどヨンの提案に、ウンスは首を振った。
「その前に、行きたいところがあるの」

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    さらんさん、今日も素敵なお話をありがとうございます。
    いよいよ、婚礼衣装の手配に碧瀾渡にやってきたのですね❤
    さらんさんの見事な描写のおかげで、貿易が盛んだったこの地の風景が、脳裏に浮かびます。
    アラブの言葉を耳にしたウンスは、自分の住んでいた地のことを思い出したのでしょうか。
    ヨンの生きる高麗は、ウンスにとっては異国のようなものですからね…。
    この地で、二人の絆がより強固になる事件が巻き起こるのでしょうか?
    楽しみ、楽しみ!

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