比翼連理 | 22

 

 

「おお。来たか」

康安殿の私室、執務机からの階を降りながら王はそう言って、入口から進み扉脇に控えて頭を軽く下げたチェ・ヨンを見た。
これ程早朝から窓外には蝉声が響いている。
今日も暑くなりそうだ。
顎を下げたまま、チェ・ヨンはその耳朶を震わせる蝉時雨を聞いていた。

「おはようございます、大護軍」
早朝の迂達赤兵舎に踏み込むや、掛けられたチュンソクの声にチェ・ヨンは足を止め目を流す。
「おう」

声を掛けたチュンソクは、兵舎の吹抜を足早にヨンへと近づき、笑顔で頭を下げた。
「昨日の成果はいかがでしたか」
「上々だ。どうした」
「先程王様の筆頭内官より声が掛かりました。大護軍が出仕次第、王様の元へ伺うよう伝言が」
「そうか」

自分が拝謁に出向くのではなく、王様から御声が掛かるなど珍しい。
チェ・ヨンはゆるりと腕を組み思い当たる節を探す。
「昨日王様に何かあったか」
「いえ、全く。普段通りのご様子でした」
「守りに抜かりは」
「ありません」
チュンソクも訝し気に首を捻った。

「行って来る」
「は」
頭を下げるチュンソクに見送られ、チェ・ヨンは踵を返すと今来た吹抜の扉をもう一度足早に抜けた。

「王様。チェ・ヨン参りました」
「入りなさい」
康安殿の扉前、衛の正面で張ったチェ・ヨンの声に、中からすぐに王の声が返る。
普段と変わらぬ王の声に安堵と訝しさの混じる心持ちで、僅かに首を傾げつつ目前の開かれた扉を抜ける。

「おお。来たか」
窓から溢れる夏の早朝の白い光。その外に輝く若葉の緑の濃淡の葉影。
穏やかに笑む王の様子は、普段と何ら変わらない。
ゆったりと歩を進め階を降りる黄袍に刺繍された龍が光を受け、まるで飛ぶかのようにその金糸の体をゆらりとくねらせる。

執務机の前の階を降りた王はチェ・ヨンの前で頷いた。
扉脇に控え、蝉時雨を耳に、チェ・ヨンは顎を下げる。
「お呼びと」
「ああ。急かせたな。座るが良い」
「は」

大きな歩幅で室内の中央の卓へと向かい王の着席を確かめて後、ヨンは音なく引いた椅子へと掛けた。
「昨日は如何であった」
「宅の内向きの者を、決めて参りました」
「良き者が見つかったか」
「は」
「何よりだ。大護軍の宅の守りであれば、賃金は内幣庫より支払う」
「それは」
「そなたの決める事ではない。そなたの宅に仕える者を、皇宮で召し抱えると言うておるだけだ。身元も含め、万一にもそなたや医仙に事あらば」
「ご心配には及びませぬ。チェ尚宮の元部下です」
「・・・武閣氏であったのか」
「は」
「では尚更に皇宮で雇おう」
「いえ、王様」

チェ・ヨンは王の頑強な追及に困り果てて首を振る。
「その話は、片付いており」
「そうであったのか」
「無給で、と」
「・・・・・・」
呆れたよう己を眺める王の目から、ヨンは僅かに視線を逸らした。
それはそうだろう。誰が聞いても無給など訝しいに決まっておる。

「医仙の様子がおかしいと、王妃が気にしておる」
次に投げられた王の声にチェ・ヨンは微かに頷いた。
「は」
「問題はないのか」
「は」
「そなたが普段通りで、医仙のご様子がおかしいとは」
「王様」

ヨンは顔を上げ、王の目を真直ぐに捉えて頷いた。
「問題はございません。ただいくつかお伝えせねばならぬ儀が」
改まった声に、王の両手の指が卓上で組まれた。
「申してみよ」
「暫し、お暇を」
「暇」
王の声が不安げに揺れた。
ヨンはその眸に力を込め頷き返す。
逃げるわけではない。二度と同じ過ちは犯さぬ。
選んだ王のため、愛する方のため、成さねばならぬ事があるだけだ。

「は」
「理由は」
「巴巽村に参りたく」
「巴巽村」
「関彌領の、某と迂達赤の防具武具を頼んでいる鍛冶村です」
何処かで耳にした名だと、王が小首を傾げる。
「先日、工房を大きくしたはずだ」
「は」
「何かあったか」
「そうではなく」
「有名な鍛冶が、居るのではなかったか」
「覚えておいでですか」
「大層気難しく、気に入らぬ者の刀を打つ事は決してないそうだな。
迂達赤の武具が良いと聞いて禁軍の衛尉卿が訪れたところ、門前払いを喰らったと耳にしたこともある」

愉快そうに低く笑いながら言う王にヨンは小さく頷いた。
あの鍛冶らしい、そしてあの村らしい。
恐らく門前払いを喰らわせたのは、大斧を振り回すあの男だろう。
そして若い領主シン・セイルも、知っていて黙認しておるはずだ。

「して、巴巽村へは何故参る」
「理由は二つございます」
「聞いても良いか」
チェ・ヨンは椅子の上、僅かに上座への王へと胸を向けた。
「一つは、医仙の針を作りに」
「以前も作られたそうだな。同じ鍛冶屋か」
「は」
「医仙の針か。腕の良さは確かのようだな」
満足げな王の声にヨンは深く頷いた。それだけは約束できる。

「して、もう一つは」
「王様」
「何だ。伝えにくき事か」
「巴巽村の、工房拡張の件ですが」
「ああ、そなたに報告を受けてすぐに大きくしたはずだ」
「その工房の様子見を、兼ねて参りたいのです」
「・・・この後に備えてか」
「は」

あの時もあの若き領主セイルに伝えた。村が必要だ、この後の戦に備えてと。
ヨンはあの折の領主との会話を、遠いもののように思い出す。

紅巾族の最初の波を払い、双城総管府の元を退け。
それでもこの後奴らが大人しく引き下がっている保障など何処にもない。
次に来る波があるとすれば、より高く、烈しくなるだろう。
津波と同じだ。二波、三波と、強く大きくなっていく。

そして南の倭寇。
目障りな倭船が南の鴻山や鎮浦辺りに出て来ては此方の神経を逆撫でしている。
都巡慰使が回って、何処まで押さえつけていられるか。
恐らく時間の問題だろう。
赤月隊時代に隊長と、皆と共に、倭寇殲滅に南の海沿いを 駆けまわった頃。
あの頃よりも凶悪に、そして強い武器を手にして攻め入られれば、何処まで自軍の守りがもつか疑わしい。

チェ・ヨンは静かな顔を保ちながら、肚裡でそう計じる。

北を元と接し、南が海に面した高麗では、何方から攻められても開京からでは移動に刻が掛かる。
兵の分散が生じる以上、武器だけは蓄えねば、奴らの命と身の安全に直結する。
ヨンは深く息を吐いた。
今のうちに、僅かな平穏な時に、その蓄えを出来る限り増やさねば。

「出来る限りの武器防具の生産を」
「西京や義州にも工房はあろう」
「無論、其処も含めてですが」

それらの工房は金の匂いを嗅がせれば事は済む。しかしあの誇り高い高麗一の鍛冶だけは。
うっかりそんな事をしようものなら、此方に向かって炉の燃えた炭を投げてくるような者だ。

「巴巽村だけは、某が頭を下げに」
王はチェ・ヨンの声に笑んだまま頷いた。
「分かった。参るが良い」
「は」

最後に王に向け頭を下げるとヨンは腰かけた時と同じよう、音もなく椅子を引き其処へ立ち上がった。

 

 

 

 

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9 件のコメント

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    あんにょん♪
    早速のアメ承認ありあとうございます。
    サランさんのお話、構成、展開、文脈等は
    読み手にとって分かりやすく、読みながら思考回路は、ヨン・ウンスが映像とし浮かんできます。
    これからの展開楽しみにしています。

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    アメンバー承認ありがとうございました。
    きっと大量の承認があるでしょうに、承認作業もしつつ、UPもされるとは。
    私たちには嬉しい限りですが、どうぞご無理をされませんように。
    一言お礼を申し上げたく、こちらにコメントさせていだだきました。
    やっぱり、指輪を作りに、とは言わないのですね(笑)
    二人に早く婚儀をあげてほしいような、もっとこの婚儀前の幸せな時間を楽しんでいたいような。きっと読者の皆さんは、二つの気持ちも持て余しているのでしょうね。
    またお話を楽しみにしています。

  • SECRET: 0
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    この日を一日千秋の思いで
    お待ちしてました(^^)
    これからも楽しみにお邪魔させていただきます。
    ますます暑さ厳しくなります。
    くれぐれもお身体ご自愛くださいね。

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    巴巽村,二人っきりの旅になりますね。
    針だけじゃ無く,あの腕の良い職人なら,メス等も作れそう^^
    あっ,でも指輪も作るんじゃなかったっけ?
    流石に王様には言えなかったかな。
    実はそれが一番の行く理由だって( ´艸`)
    着々と準備が整って行きますね。
    衣装問題は大丈夫かな。
    王妃様も準備に関わりたい様な気がするけど。
    姉の様に思うウンスの婚儀ですもんね。
    また続き楽しみにしています♪

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    こんにちは。今回ご承認して頂きありがとうございます(♡˙︶˙♡)。シンイデビューが遅く今年の四月からだったのですが、さらんさんの世界観にどハマリしてます。特に゛比翼連理゛という言葉は源氏物語で光源氏と紫の上を表すのに使われていて私の中ではウンスとヨンにぴったりな表現だと思います。これからの展開を楽しみにしています♡♡。ちなみに個人的にウダルチ達も好きなので、小話程度でいいので入れてもらえると嬉しいです。お忙しい中、我儘コメントすいません┏oペコ。益々暑い日々が続きますがお身体をご自愛下さいませ。

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    真夜中の申請 ご迷惑をおかけしました。一刻も早く承認して頂きたく 仕事が終わって直ぐに申請しました。シンイ二次小説の出会いのキッカケを頂いた感謝の気持ちと これからも楽しませて頂く事のお礼を……ありがとうございます♡

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    アメンバー申請お願いします。続けてメッツセージを送るが出来なかったのでこちらに書き込み
    ます。
    ①40代
    ②ヨン
    ③舎弟妹に矢を射たヨンの瞳のシーンです。
    よろしくお願いします。

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