「イムジャ」
緩々と深まる宵闇の中に甘い杏の香を漂わせ、庭に面して縁側へ腰を据えたチェ・ヨンが静かに呼ぶ。
ウンスが横からそんなチェ・ヨンの顔を覗き込む。
「なあに」
「聞いておきたいことがあります」
チェ・ヨンは覗き込むウンスの瞳を確り見詰め、縁側の上、胡坐の膝をウンスに向かい合うように回した。
チェ・ヨンのその真剣な表情にウンスは驚いて問い直す。
「改まって、どうしたの」
「大切な話なので」
明日朝王様へお伝えする前に。
この方の気持ちを、そして俺達の気持ちを確かめておかねば。
「まず、婚儀です」
チェ・ヨンは静かにウンスを見詰める。
「うん」
「身分も立場も関係なく、俺達を知っている人々にのみ、参列を願い出るつもりです。
その代わり、どれ程多くとも構わぬ。いや、寧ろ多いほど良いと。
師叔にも、叔母上にも、アン・ジェにも チュンソクにも声掛けを頼みます。
来てもらえる者には、どれ程遠方からでも」
「ヨンア、でもそ」
「まずはお聴きください」
チェ・ヨンの制止に、ウンスは口を閉じた。
「分かった。聞くわ」
「次に指輪です」
「うん」
「双城総管府の戦の折もおっしゃっていた。巴巽村に行きたい、鍛冶に針を頼みたいと」
「うん、そうなの。出来ればでいいけど」
「参りましょう」
「指輪の話じゃないの?」
ウンスの声に、チェ・ヨンは深く頷く。
「俺の金剛石のあてとは、あの女鍛冶の事です」
「そうなの?」
「鉄を溶かすのに、何を使うかご存知ですか」
「・・・はい?」
突然すり替えられたような話題に、ウンスは戸惑いつつ答える。
「鉄と言えば、石炭?」
「おっしゃる通り。石炭です。あの頑固鍛冶は、鉄鉱石も石炭も良いものが取れぬからと、開京に工房を移したがらぬ」
「うん。そんなこと、言ってたわね、あの時」
「はい」
「・・・・・・待って?」
ウンスはそこまで言って目を輝かせた。
「石炭って化石なのよ。古代植物の化石の一種なの。白亜紀とかの地層から取れるはずよね。それは知ってる」
「石炭を掘る時、極々稀に、近くの川から金剛石が出てくるそうです。
ただしあの鍛冶が持つものは、天竺のものだとか」
「じゃあ、あの鍛冶さんが持ってるの?」
「指輪の地金も金剛石も、高麗一の鍛冶が持たぬなら、他に入手する手立てはありません」
ウンスは嬉しそうに息を呑んだ。
「じゃあ、ほんとに行けるの?巴巽村に、一緒に?」
「約束したでしょう」
チェ・ヨンの心外そうな声に、ウンスは慌てて頷いた。
「勿論、信じてたわよ?」
その慌てぶりにチェ・ヨンは笑いを堪え、拳で唇を押さえた。
「そして白い婚礼衣装」
「うん」
「まずは暫し刻が欲しい。当たってはみますが、白となると」
「やっぱり?」
達観したようなウンスの声に、次はヨンが首を捻る番だ。
「やはり、とは」
「あのね、媽媽に言ったの。白い婚礼衣装の話。媽媽も不思議そうなお顔で、少し黙ってたから、どっか変なのかなって」
自分ですら不思議に思うほどだ。高貴な立場である王妃媽媽では、さぞや奇異に聞こえたに違いない。
そう思いながら、チェ・ヨンはウンスに笑いかける。
「・・・構いません。珍しくはありますが」
「ほんと?」
「はい」
「ほんとにほんと?」
「はい」
「ほんとにほんとにほん」
「・・・イムジャ」
「嬉しい!」
ウンスが腰を浮かせて、胡坐のチェ・ヨンの広い肩に抱き付いた。
ヨンはウンスを受け止めて、己の鼻先で揺れる髪の影で笑む。
そしてきつく回されたその細い腕を、大きな掌であやす様に撫で
「お忘れですか。もう一つあります」
髪に鼻を埋めたまま、ウンスの耳許で低く問う。
ウンスは細い腕を解かぬまま、そのチェ・ヨンへと顔を向ける。
互いの鼻先が触れ合うほどに近くで。
「ハネムーンね」
「ええ、旅です」
「うんうん」
「出来る限り遠くへ、そして長く」
「うん」
本当に嬉しそうに頷くウンスの顔を、チェ・ヨンは正面から見る。
逃げたいのだろうか。忘れたいのだろうか。
自分に心配をかけまいと、無理に誤魔化し笑っているのだろうか。
何故自分には言ってくれぬのか。何処まで一人で背負う気なのか。
この方に、何をお返しすることが出来るのだろうか。
この世の中で、ただお一人、先の世を知るこの方に。
俺の為に口を閉ざし、強がって意地を張るこの方に。
けれど問わぬ自分も同罪だ。
怖いのだ。その名を口にして、その声に傷つくのが。
己の声が、言の葉が、ほんの僅かでも傷つけるのが。
そう思いながら、目の前の嬉し気なウンスの笑顔に、チェ・ヨンは目を細める。

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やっぱり ウンスさん
かわいいわぁ
ヨンじゃなくても かわいすぎて
独り占めしたくなる。
方向は決まったね さあ~197実行!
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さらんさん、台風の影響で朝から強い雨が降っていますが、無事に出勤されてますか?
今朝も素敵なお話をありがとうございます。
時代も慣習もまるっきり違うのに、こんなに希望を叶えてくれるなんて、まさに理想の男性ですよね❤︎
羨ましい~❤︎
ウンスの言葉なら、どんなにたわいないことも、しっかり覚えていてくれるヨン、最高です。
さらんさん、パシフィコには車で行かれたのですね。
私も近くの駐車場を使いました。
どこかで、すれ違っていたかもしれませんね。
(#^.^#)