紅蓮・勢 | 52

 

 

「チェ・ヨン」
「大護軍!」
治療部屋から回廊を抜けて表に出る。
すっかり深まった闇の中、アン・ジェとチュンソクが駆け寄った。
「あの若いのはどうだ」
開口一番のアン・ジェの問いに
「問題ない」
首を振ってそう答える。
「斬りつけたのは」
「奴らの手の者だったそうだ」
「内部で割れたという事ですか」
チュンソクの察しの早さに
「判らん」
そうとだけ答えると奴は瞬時、思い悩むよう眉を寄せる。

「大護軍につきたいと兵が来た時、此度は随分早く懐いたと密かに思いましたが」
「先に言えよ」
「お気づきかと」
「単なる馬鹿だと思った」

それ程深刻だとは見抜けなかった。
ソンゲの軍議での発言、己の立場を悪くする愚かさは若さゆえの傲岸と思っていた。経験を積めば判ると。
あの軍議に参加した兵からの迂達赤への編入の申し出は部下思い故の発言と、そこまで深刻に捉えずにいた。

味方から斬りつけられるほど兵の心が伴わぬならば、この先の兵の配置を考えざるを得ん。
李家に預けた途端に内乱騒動になれば、尚更厄介だ。

「どうするんだ」
アン・ジェの問いに首を振る。
「俺達の予定は変わらん。イ・ソンゲは置いて行く。
傷が癒えれば開京へ戻ろう。それまでは此処に残す」
「判った。残る鷹揚隊の奴らには、俺から伝えよう」
「今から開京に早馬を出す。戦勝のご報告と、医者探しだ。
次の医者が見つからねば、あの方が動けん」
チュンソクがその声に深く頷いた。
あの方の性格はこいつも判っている。

「敵兵は縛ったままですか」
「いや、説得を試させる。その上で翻意あれば善し。
なくばそのまま開京で詮議の後、元へ戻すよう力を尽くす」
「判りました」
「医者が見つかるまで、まずは兵の落ち着く場所を作ってやれねばならん。
明日は総員で館内の捜索、その後使える部屋を割り振る」
「は」

肩越しに目を流し、あの方のいる部屋の灯を見遣る。
「暫くは治療室にいる。何かあれば来い」
二人が頷くのを確かめ、踵を返す。

あの方もそろそろ体が持たぬだろう。
この三日、寝台で寝ておらん。
少しでも、落ち着いて寝てほしい。
「テマナ」
「はい!」
その声に一拍遅れ、横の叢が揺れる。

何だ。脇の木の枝を揺らすと思っていた奴が。
「テマナ、お前何処にいた」
「え」
飛んできたテマンは問いかけに首を傾げ、脇の木を指でさす。
「き、木の上に、ここの」
「・・・呼ぶまでか」
「はい」

木を降りた時の音がしなかった。
話を聞いてやりたくとも、今は治療部屋に戻るのが先決だ。
ただその頭に手を乗せごしごし乱暴に撫でてやる。
テマンは不思議げな、それでも嬉し気な笑顔を浮かべた。
「開京へ早馬を送る。騎乗の兵を治療部屋へ呼べ」
「はい!」
頷いて闇に向かい駈け出す奴の足音。
それは以前より確実に早く、そして小さくなっていた。

来た回廊を治療部屋へと駆け足で戻る。
部屋の扉を開けると抑えた油灯の下、寝台で横たわるソンゲの横にはウヨルが背を伸ばして立っている。
そして少し離れた椅子の上、あの方が両膝を抱え、その膝に頭を乗せている。
「大護軍殿」
此方を向いたウヨルが頭を下げた。
「あの方はどうした」
「お疲れのようでしたので、暫し交代させて頂きました」
「忝い」
「いえ」

夢現に俺の声が聞こえたか。
微かに身動ぐこの方が椅子の上、危なかしく体を揺らす。
大股でそこへ近付き、椅子の上の体を横抱きにする。

幸い治療部屋、横になる寝台には事欠かん。
抱いたこの方をソンゲとは逆の壁側の寝台へ寝かせ、そのまま目塞ぎの薄布を張った衝立を立てる。

小さな体に布団を掛け衝立を廻って窓際へ立つと、その一歩下がった脇へウヨルが足音を忍ばせ進み来る。
「味方に斬られたとはな」
抑えて掛けたこの声に
「・・・予想出来る事でした」
ウヨルが静かに返した。

「出来る事」
「はい」
「この内通の以前からか」
「はい」
「それでも放置していたか」
「大護軍殿」

窓外の月を背負い、俺はウヨルへ振り向いた。
「主に危機が迫っていながらか」
「大護軍殿、それは違います」
「何がどう違う、奴は斬られた」
「天が選ぶ方なら、死にはしません」
「理解できぬ。お前もソンゲも」

恐らく奴からは、月を背にした俺は漆黒の影に見えよう。
そして奴は窓からの白い月光を浴び、清らかな白い顔の中、主を斬られたとは思えぬ顔で笑んだ。

「全ての王者が、大護軍殿のようには生きられません。
全ての従者が、大護軍殿の従者のようにもなれません」
「そうは思わん」
「そうでしょう。大護軍殿は恵まれていらっしゃる」
ウヨルはそう言い、白い顔に浮かぶ笑みを深くした。
「ソンゲ様も大護軍殿に心酔しております。決して二心は抱いておりません。
それでもその忠心を、他の部下に対し抱く事も、抱かせる事もできません。それがあの方です」
「お前が忠告しないのか」
「致しません」
「忠臣の務めではないのか」
「そうでしょうか」

ウヨルは首を傾げ此方を見返した。
「私が動こうと人心は動きません。徒労となります」

冷静だ。この男を見ながらそう思う。そんな奴もいる。
心を尽くして人を動かそうと試みるだけが、一つきりの命を懸け信じた道を進むだけが善とは限らん。
それでも俺はその道しか知らぬ。そして俺の周囲の奴らも。
だからこそ共に居る。あの馬鹿で不器用な奴らだからこそ。

「主が斬られて良いと思うなら言うことはない。但しあの方を無駄に動かすな。
予想しているなら尚更、医師を控えさせるのが道理」
「おっしゃる通りです。医師を見失った私の手落ちです」
「あの方は俺達と共に帰京する。それまでに次の医師を手配しろ」
「畏まりました」

斬られると予想いて医師も控えさせず、あの方にあれ程辛い思いをさせ、またも命を救わせた。
それだけがひたすらに腹が立つ。
起きた事を罵倒しようと、何の意味もない。
三度目はない、ただそう誓うだけだ。
あれ程辛い顔を見るなど二度と耐えられん。

「今宵はあの方を此処に置く。何かあれば声を掛けろ」
置きたくもない。
しかし離れれば、あの方が戻ろうと内密に騒ぎ出すかもしれん。
ならば此処に共に居るしかない。
「ありがとうございます」

頭を下げる奴の横を抜け、あの方の寝台へと戻る。
衝立の影、寝台の足元の椅子を引き、腰を下ろす。

すっかり眠り込んだか、長い睫毛は閉じられたままだ。
窓からの月の光は寝台の足許を照らし、閉じたその目許まで白い光が届くことはない。

これ程に無理をし心を痛めてまで、従いて来ることはない。
これからは開京に、王様と媽媽のお側に置くことも出来る。
徳興君は捕らえた。当面の心配はない。
あのキム侍医の告白が真実ならば、あの男がこの方に害を成す可能性は、極めて薄い。

─── 毒を使うものは、信用なりません。

チャン侍医のあの声がまた蘇る。
それでもな、侍医。
あの男にはあの方に手を掛ける機会は山ほどあった。
そして腕と度胸があれば剣を学んでいたと言った、あの昏く烈しい眼に嘘はなかった。

徳興君を捉え、宿願の半分を果たし、開京へ戻る。
あのキム侍医も内心で黒い歓喜に沸くかもしれん。
それでも徳興君の息の根を止めるのは俺だ。
この手で、この眸で、必ず確かめる。
奴の首を落とし、紅蓮の炎の中へ投げ捨て、その身肉を灰にし骨を砕いて。

王様への報告の文を認めるために懐の墨壺を探しつつ、眠るこの方の安らかな息を確かめる。
明日も早い。せめて今は、寝かせてやりたい。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    さらんさん、こんばんは。
    今夜もお話をありがとうございます。
    ソンゲは人の愛に恵まれない人生を過ごしてきたのでしょうか。
    最も近い場所に居るウヨルの口から出た言葉で、ヨンやウンスとは相容れないのだろうなと思いました。
    ああ、こうして今夜もさらんさんの世界に心酔していくのです❤
    さらんさん、明日からの新しい一週間もがんばりましょうね。
    おやすみなさい❤

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    ウンス疲れちゃったね…
    ゆっくり 寝かせてあげたいね(ノ_・。)
    場所が場所だけに 
    ほんとだったら もう抱きしめて離さないぐらいでしょう… 一晩中 頭なでなで 頑張ったねって 褒めてあげる。
    テマン…成長してる 頼もしくなってきたね

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    ヨンには、テマンをはじめウダルチの個性光る仲間がいるのに、ソンゲさんのウヨルの達観さにちょっと驚きました。
    でも、この時代には返って自然なきもします。
    テマン、誉めてもらえてよかったです。

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