紅蓮・勢 | 49

 

 

扉を押し開け部屋へ戻ると立ち尽くす鷹揚隊医が、そして周囲の薬員たちが縋るようにこの方を見る。
「軍医様」
その声にこの方は無言で頷くと懐から出した髪紐で髪を結い、そのまま部屋の隅の桶で手を洗い流す。

そしてウヨルへと振り向き固い声で
「お湯をできる限り急いで沸かして。それから清潔な布を、ありったけ用意して。
ある限りの蝋燭と油灯をつけて。急いで」
ウヨルを頭に控えた従者が、その指示に無言で部屋を飛び出た。
この方は用意された医療道具の包みを、寝台の横の卓へ広げる。

並べる指に触れた、小刀のような刃物。
それに触れた瞬間、この方が息を詰める。
そして次の瞬間寝台の上、横たわるイ・ソンゲへ確かに一瞬その目を走らせる。
「・・・イムジャ」
その抑えた呼び声に瞳が戻る。
そしてこの方は何もなかったかのよう頷き、蒼褪め強張る頬に張り付けたような笑みを浮かべた。

信じる。俺はあなたを信じる。
抱き締めて慰め、耳触りの良い言葉のみ吐き散らし、この方のしたいようやりたいようにさせれば心を護ることになるか。
生きたいように生きさせ、やりたくない事はさせず、憎い者なら見殺しにしてもあなたは悪くないと言い。
逢える保証もない来世を捨て、今の倖せを追いかけ、腕の中で今この方が、嬉し気に微笑む事だけ願えば。
俺がこの生で唯一人求め続けるあなたが、そんなに弱いわけがない。
そして俺にそんな生き方が出来るわけもない。

いつ何処で巡り逢おうとも俺はきっと変わらぬ。
あなたを泣かせ悲しませ、心で詫びつつ、それでもその小さな背を押すだろう。
信じる道を曲げるなと。俺の為に心を殺すなと。

祈るような視線の中でこの方が台上、銀に光る天界の小刀から手を離す。
その指でイ・ソンゲに触れる。
頬に手を当て、閉じた瞼を細い指先で開いて目を覗く。
口を開けて舌を診、首に、そして手首に指を当てて。

脈を押しそして緩める指は、俺の血脈を診る時と何ら変わらぬ優しい動きに見える。
「・・・まずは出血を止めて。動脈は無事だけど脈が弱い。出血のせいだと思うから、血を止めたら体を温めて。
傷の中から縫って。血管と、神経と、筋肉と」
「イムジャ」
俺の声にこの方が首を振る。
「治療しないわけじゃない。任せるだけよ」

ウヨルが背後に数名の供を引き連れ、其々の腕に沸かした湯の入ったらしき大桶や布を抱え、部屋へ戻る。
寝台の脇、立ったまま医術を施さぬこの方と、その横に仁王立ちする俺に目を遣ると、
「ソンゲ様は、お悪いのですか」
静かにこの方に向かい尋ねた。
「内側から縫えば大丈夫」

そのウヨルから目を逸らして言いながら、この方が包みから次々に瓶を取り出す。
「これが麻佛散。こっちが蟾蜍解毒湯。チャン先生のお墨付きの薬だから大丈夫。使って」
鷹揚隊医と薬員たちへと言いつつ、台の上にその瓶を音高く並べて行く。
どうあってもご自身では治療しない気か。その翻意を促すだけ無駄か。
それでも信じる。あなたは最後に必ず言って下さる。

息を吐き鷹揚隊医へ
「出来そうか」
そう尋ねると、隊医はその首を振りながら
「医仙様の神業のようには、到底無理です」
半ば諦めたように告げる。
医者が匙を投げるとは、こういうことを言うのか。
「悔いはないのか」

部屋の中、他の誰にも聞こえぬほど低く抑えた声で横のこの方へ尋ねる。
「あれ程頼んでもか」
この方が挑むように俺を見る。
その瞳に向け俺は問う。
「これで終いか」
あなたの心も、俺の想いも、俺達のこの先も。

その瞳を覗き込む。
その心の奥の奥まで手に取るように、これほど全て見えているのに。
「もう護れないのか」

あなたの心を此処で諦めねばならぬ程。
俺達の永遠の時を手放さねばならぬ程。
俺はこれ程に無力だったのか。
これから二度と顔向けできず、逃げ続けねばならんのか。
「ならばもう言わぬ」
「・・・信じてくれる?」

震える唇が、ゆっくりそう開く。
「私があなたを護る。最後まで絶対護る。必ず結末を変えてみせるから、信じてくれる?」
この方がそう言って俯いた。
「未練がないなんて言わないで」

俯いたその顔から真直ぐ床へと落ちる滴は、イ・ソンゲの腕から滴る赤い血とは違う。
水溜りを作る事もなく、ただ静かに床で弾け飛ぶ。
この方は、大きく一度息を吐いて顔を上げた。

「私たちを、助ける」

その声に、蹌踉ける足で部屋の隅へ退く。
どうにか壁にこの背を預け、ずるずると滑り落ちる。
また一つ覚える。
この方の一声で俺は一喜一憂どころか、腰が抜ける事さえある。

この方は俺の心の臓を、その小さな手に握っている。
それを生かすも殺すも、まさしくこの方次第だ。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    さらんさん、出張帰りの新幹線で、いつものコーヒーを飲むのも忘れ、夢中で読ませていただきました。
    ウンスの心の葛藤が、行間からヒシヒシと伝わります。
    ヨンの苦しさ、辛さも…。
    本当に変えて欲しいですね、ヨンとソンゲの忌まわしい行く末を…。
    さらんさん、曇り空ですが、素敵な週末をお過ごしくださいね❤︎

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    そうかそうか 
    すんなりとは 治療できなかったか。
    ヨンが一見 一番冷静に見えたけど…
    ソンゲより ウンスのことを思っての
    お願いで…
    ウンスは…そうね もう こうなったら
    知ってる史実をかえないように 来たけど
    変える! って 気持ちになるよね
    うんうん
    泣けてきます。 医者として助けなきゃいけないけど・・・ 辛いよね。 (ノДT)

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    深かったです。
    先回納得したかにみえたウンスの思いがけない抵抗に少し驚きました。
    が、自分と家族に置き換えてみたらすんなり入ってきました。
    ソンゲさん、嫌いじゃないけど歴史が分かっていたら敵に見えてしまいます。今後どうしたら先を変えることができるのか。空想?妄想しちゃいます。
    早く読みたくなります。

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