紅蓮・勢 | 35

 

 

ようやくだ。ようやく見つけたぞ、鼠。
こんなところに隠れていたか。
手裏房屈指の内偵がいくら元の国中を探し回ろうと、消息が一向に掴めぬ筈だ。
今になれば自分の愚かさに苦笑が浮かぶ。
探す場所を間違えていた。冷静に判じれば良かったのだ。

元であって元でない、高麗であって高麗でない。
この双城総管府こそ、まさにあの鼠には絶好の巣。
王様が元に反旗を翻すと同時に、虚仮威しの輿に乗り担ぎ出される時間も、最短で済むではないか。

そして思うた通り。李 子春、信用しきれぬあの男。
徳興君の双城総管府滞在を隠していた理由は何だ。
俺たちへの罠か。もしくは手土産のつもりか。

それならば尚更。双城総管府、何があろうと必ず落とす。
理屈などいらぬ。名分など糞喰らえだ。
王命だ。殺しはせん。
その首だけは繋げ、息だけはさせたまま、王様の御前に薄汚いあの鼠、必ずや引き摺りだす。

門をぶち破る名目が、これで確固たるものになった。
高麗の謀反人、徳興君を匿うこの双城総管府。
元との断交を知られていない今こそ千載一遇の機会。

刻々と西に傾く金の陽が、見上げる壁の向こうの空を照らす。
この右手の指先、抑えきれずに放たれた赤い小さな雷光が、煤竹色の淡い影の中、陽の色より鮮やかな残像を残す。

周囲の全ての者の顔を、一瞬だけ赤く浮かばせて。
「大護軍」
テマンの呼ぶ声に、一度だけ頷く。
「行くぞ」
「は」
俺の声に八人の男たちが、そして遣いの男が頷いた。

「こちらをお使いください」
男は俺達に向かい、その壁から垂らされた太い麻と鎖で編み込んだ紐を目で差した。
そんなまだるこしい縄など要らん。
「お前らは使え」
俺はそう言い残し、横のテマンに目を移す。
奴は頷くと壁に組まれた太い横木を掴み、器用に上へと昇っていく。
それを横目に見つつ肚裡の軽功を開き、小さく助走をつけて壁の横木を足場に壁の頂上へ一足飛びに跳び上がる。
その横にすぐにテマンが上がってくる。

暮れて行く空の下見下ろす、初見の双城総管府の内部。
確かにただの兵の交代時刻にしては、異様に人が少なすぎる。
夕陽の中、影を落とすその殿や兵舎はまるで打ち捨てられた廃墟のように静まり返っている。

嵐の前の静けさでなければ良いがな。

口端だけで笑み、身を翻して壁の向こう側へ飛び降りた。
テマンが壁を伝い下り、この身の脇をぴたりと護る。
すぐに他の先発隊が、そして遣いの男が降りてくる。

「こちらです、大護軍殿」
先導の遣いに従い、足早に建物の死角を行く。

まだ刻はある。焦るな。判じ損ねるな。
この一歩が全てを決める。絶対に踏み外すな。
嵐の中の波立つ海のような胸を鎮め、己に言い聞かせる。
今はただイ・ソンゲの許へ行くのが先決だ。

「ソンゲ様」
建物の中、踏み込んだ遣いが案内した部屋の前、大きな木の扉の外から声を掛ける。
「入って頂け」
その声に、遣いの男が扉を開く。
暮れ空を映す大きな窓を背負い、そこに若い男が一人立っていた。
その周囲には鎧を纏う男たちが数人、銘銘刀を腰に立っている。
「大護軍!!」
大股で室内へ踏み込んだ俺にぴたりと目を当て、その若い男が心から嬉しそうに叫び駆け寄った。
「チェ・ヨン大護軍!!」

戦場で交わす第一声にはあまりに親し気な、懐かし気な、そして抑えきれぬほど嬉し気な声に苦笑が浮かぶ。
懐っこさは変わらんか。
「久々だな。イ・ソンゲ」
「何という事だ、大護軍は全くお変わりありません。お会いしたのはもう五年も前なのに」
「お前は随分変わったな」
面差しはあの頃のままだ。
ただ幼く丸かった頬は削げ、そして声が記憶より僅かに低い。

「父が帰城し、大護軍とお会いしたという話を伺いました。共に戦えると知り、どれほど嬉しかったか」
こんな昔話をしておる時ではない。
「イ・ソンゲ」
そう発した短い呼び声に
「は、はい」
目の前のソンゲが姿勢を正す。
「徳興君は、何処にいる」
「え、徳興君様ですか。チョ総管の部屋のある東の正館に」
「兵は」
「護りは厳重ですが、本日は殆どの兵を眠らせました。今いる兵はこちらの味方を除けば二、三十程と」
その声に俺は頷いた。

「これからの策のみ伝える。良いか」
「はい、大護軍」
俺は部屋のソンゲの脇に佇む兵たちを見回す。
いかに闖入者とはいえ、主格のイ・ソンゲの忠実な様子のせいか、この発言に不満げな気配はない。
その兵たちは無言でこちらを見ている。
これなら話を進めても問題はなかろう。

「俺と、先発隊は」
テマンを頭に八人の先発隊が一歩進み出で頭を下げる。
「このまま徳興君を捕縛しに直行する。奴は高麗では 謀反を企てた重罪人。
既に国交断絶した元がどれほど奴を庇い立てしようと、此方の知ったことではない。
邪魔をすれば元側もただでは済まん」

ソンゲはその声に深く頷いた。
「判りました。東の正館までウヨルが先導し、共に戦います」
その声に先程の案内役の男が一歩進み出で、丁寧に頭を下げた。
「私の腹心です。役に立つと思います」
ソンゲの声に俺は頷き返す。

「ありがたい。ほぼ四半刻で東正門より、高麗王の号牌を掲げた兵らが開門を要請する。
その前に徳興君を捕縛せねば逃げられる」
内心の焦りを押し隠し、敢えて淡々と事実のみを告げる。
そうだ、逃げられるだろう。あの征東行省の時のように。
鼠は逃げ足だけは早い。沈没する前の船から一斉にいなくなるともいう。
あの鼠が沈没しそうな元に、いつまでしがみつくか判ったものではない。

「判りました。我々はその開門要請と共に、門を開きます」
「内通の具合はどうだ」
「兵二千のうち、千は眠っています。残る千のうち五百は我々の配下となっています。
開門には何の問題もありません」
戦慣れせぬ若造らしい得意げな声音、上気した顔に無言で頷く。

こいつは知らぬ。五百が五千を返り討ちにすることがある。
覚悟があり策があり、力があり天運があれば。
己の功に溺れ策に溺れれば、起きる事がある。

今は味方であるこいつに、それを言っても始まらん。
こいつも幾度も戦場に立てば、嫌でも学んでいくだろう。
護りたい者を失い、無力さに嘆き、痛みにのた打ち回れば。

覚えて行け。己自身が傷つき、血を流して学べ。
そしていつの日か俺に刃を向けるのが運命なら、その時は信義の元、この眸を見て堂々と向かい合え。
その時は受けて立つ。この信義の許、胸を張りやり合おう。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    朝からこのハラハラドキドキ感・・・・
    呑気にブルベリーのベーグルに
    kiriのクリームチーズを塗って
    「めっちゃ美味しい~~~~」って
    言ってる場合ではないじゃない!!( ´艸`)
    思わず息を止めて
    ・・・・口をアヒル口にして吐き出したけど
    徳興君は今、何を思いどう動くか・・・・

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    >victoryさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    素敵な朝ごはん中に、お邪魔して申し訳なく。
    吹き出しかけ、危機一髪ですね!ぎりセーフ!
    徳興君は、ああ動き、ああなりましたとさ、と言う感じです(爆
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >くるくるしなもんさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、本当に申し訳ありません・・・
    まあ、全話UP後なので何とでも言えるのですが、
    結局蚊の鳴くような声で、ヨンもどうにか王様にお願いしw
    ケリもつき、この後は暫しの・・・LOVE mode?
    かもしれませんw
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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