紅蓮・勢 | 34

 

 

夕刻、酉の刻より僅か前。なだらかな丘の上で、跨る愛馬の手綱を引く。
雄黄色を帯びた西の空、からりと乾いた夕刻の風が吹く。
ほんの目と鼻の先に見える、煤竹色に沈んだ大きな影。
門前に焚かれた篝火の、針の頭ほどの灯が確りと見える。
その大構えの門の向こう、聳えた殿の屋根先が覗く。
「あれが・・・」

丘を吹く風に乗り、斜め後ろのチュンソクの声が小さく響く。
馬を止めた五千の兵の先頭、視界を遮るものはない。
それはつまり先方の見張り台からも、此方の姿は全て見えているという事だ。
この俺を先頭に、後ろに続く五千の命が。

「・・・双城総管府」
チュンソクの声を受け、俺は呟いた。
我が祖国を元の属国へと貶めた元凶、国の中にある異国。
王様の領土に在りながら、王様の手の届かぬ双城総管府。
そんなものが国内にある限り我が祖国は己の足で立てぬ。
己の意志では方向を決められず、己の手で明日を掴めぬ。
「落す」
短く呟いた俺に、周囲の皆が頷いた。

「これ以上は近付くな。今から半刻。
半刻したらこのまま丘を下って進軍し、門前で号牌を掲げろ。
手筈通りに」
「は」
チュンソクのその声と
「判った」
アン・ジェの声が同時に返る。
「テマナ」
「はい」
この方の横、テマンが頷いた。
「先発隊は揃ってるな」
「はい」
「トクマニ」
「はい!」
「医仙を必ず守れ。無理なら引け、一目散に」
「はい!!」

斜め横、馬上でこの方の瞳が俺を見る。
何も言わずに頷くと、ひらひらと小さなその手を振る。
陣を離れる。この方を置いて。
心配も惑いも、ないわけがない。

必ず帰る。

目を瞑り、大きく長く息を吸い込み
「先発隊、出るぞ」
それだけ言って、愛馬の腹を思い切り蹴る。
夕焼け始めた丘の上、放たれた矢のよう愛馬は駆け出した。

 

*****

 

全速で駆けてほんの僅か。
至近まで寄った双城総管府は不気味なほどに静まり返っている。
駆ける途中に矢の雨でも降るかと思ったが、矢を放つどころか、周囲に兵の気配すらほとんどない。
双城南側、最短距離を取り、木立の中で馬を止める。
「手近な木に馬を繋げ。此処からは走る」

南側の壁のすぐ裏手、鞍から滑り下り先発隊に振り返る。
テマンを頭に全員が無言で頷き、八つの体が馬から下りる。
肚に力を籠め、走りだす。
無言で続く八人の兵。今まず守るのはこいつらだ。

塀が太い木と土で組まれていると分かる距離まで近付く頃には、塀前に立つ男の姿も同時に見えるようになっていた。

テマンに目で合図を送ると奴は頷き、兵四人に指で方向を示す。
四人が頷き、テマンについて右方向へ散開する。
俺は後ろの三人と共にその男へと近寄った。

矢を放つならとうに当たる距離だ。その気配はない。
こちらに目を当て、近づくのを頭を下げたままで待つ姿からすれば、恐らく中から送られて来た者だろう。
大股で近寄る俺に、頭を下げたまま
「高麗大護軍、チェ・ヨン殿はいらっしゃいますか」
充分にその声が届く距離で男は問いかける。

「俺がチェ・ヨンだ」
伝えると、初めて僅かにその顔が上がった。
周囲の高い壁に傾いた陽を遮られ、男の顔は丘からの双城総管府の遠景と同じ煤竹色に染まっている。
人相が明確でない。若いような、年寄りのような。
落ち着いた物腰、その声音からも年齢の推察は難い。

「双城総管府千戸長李 子春、及び子息李 成桂より命を受けお待ちしておりました。ウヨルと申します」
「忝い。早速壁を超えたい」
腰の鬼剣を差し直し、出迎えの男に告げる。
「畏まりました。こちらへ」
その声に唇へ指を差し込み、一度だけ鋭く吹く。
右方向へ散開したテマンらが駆け寄る気配を感じ、遣いの男の背に付いて歩き始める。
「この壁のすぐ向こうが、ソンゲ様の私室のある棟です」

土壁の前、男が歩を止め掌で横の壁を示した。
「中の兵の配置は」
問うたこの声に、その男は微かに笑み声で
「今頃、半数は薬で眠っております」
そう言って頭を振った。

「夜の歩哨は、今夜はソンゲ様の私室の棟には近寄りません」
「分かった。何か情報はあるか」
「チョ総管と千戸たちは徹底抗戦の構えと。しかし兵が居らずば手足を捥がれたも同然。
戦場など一度たりとて出た事のない素人たちです」
「門は開くか」
男はゆっくりと頷くと
「後に残る問題は、高麗よりお預かりしているお客様です」
そう言って、静かに息を吐き
「たとえ高麗王室の方とて、今となっては余程元に近いお方故」

遣いの男、ウヨルの声で、肚裡に灼熱の痛みが走る。
「高麗王室の、客だと」
気付けば鎧の内側の肌は総毛だっている。
この指先がちりちりと雷気を帯びる。

「大護軍殿は、ご存じではないのですか」
目の前の男が、訝しげに俺を見る。高麗王室の客。今となっては余程元に近い客。まさか。

「・・・・・・・・・徳興君がいるのか」

あまりに低く確かめるこの声に
「はい」
遣いの男は真直ぐ俺を見、静かに確りと頷いた。

 

 

 

 

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10 件のコメント

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    お願いです。
    ヨンが冷静に事を成し、トクマンがウンスを護りきれますように。
    誰に、何処にお願いすればよいのでしょう。
    今夜は眠れないかもしれません。
    どうかどうか、みんな無事で・・・。

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    >kumiさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、本当に申し訳ありません・・・
    どう殺る*:・( ̄∀ ̄)・:*:
    さすがに王命で、ヤるわけにはいきませんでしたがw
    腕を持って行けて、キム侍医も僅かに心は晴れたかと…
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >ぶんさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、本当に申し訳ありません・・・
    今回はさすがの大護軍も、ブチ切れそうな危うい場面が何カ所かw
    さすがにいきなり虚を突かれて、徳興君もあわわ状態だったのでしょうw
    まあ、しっかり最後にやらかしましたが、ああなったので…
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >my starさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、本当に申し訳ありません・・・
    居ましたね。これは織り込み済みだったとはいえ、
    ヨンも最初は動揺したと思います。
    王命さえなければ、そのままバッサリ斬りたかったかと・・・苦労かけます。
    ヨンにも、ウンスにも、申し訳ないと思っていた頃のお話でした。
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >aytayt777さん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、本当に申し訳ありません・・・
    いえいえ、楽しんで頂ければ何よりです。
    こうしてコメ返をさせていただいても、読み手さまに恵まれてるな、と
    嬉しく思うと同時に、
    今回のこの半月のお休みが申し訳なくもあり・・・
    復活の暁には、またお楽しみいただければ嬉しいです❤
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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    >くるくるしなもんさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、本当に申し訳ありません・・・
    いや~ん。(え
    気を付けて、とりあえずやられる前に暴れてみましたとさw
    な感じです。
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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