紅蓮・勢 | 8

 

 

「双城総管府、千戸長 李 子春。
本日付で小府尹の任を命ずる」

殿舎に溢れる明るい陽射しの中。
王様が康安殿の玉座より控えるイ・ジャチュンへと、直々に御手の中の宣旨を読み上げる。

紅巾族との戦の遠征から戻って十日余り。
戻って以来、ずっと晴れている。

ようやく全ての手筈を整え、官位を下賜する王様の宣旨をイ・ジャチュンへと発するこの日。
ここから気を緩める事は一切許されん。
ここからの階段は、一息に駆けあがる。

イ・ジャチュンへの宣旨を下賜し、双城総管府へ戻るまで中二日。
奴の帰城直後、元へと断交の勅書が届く。
元がそれを受け双城総管府へと進撃する前に双城の門を開け、攻め落としておく必要がある。
その為にと定めた出征の日は、今日より三日後。
元への勅書が届く前の進撃は出来ぬ。そして勅書送達直後に攻撃を開始する。
その時には門は必ず開かねばならん。
その根回しのためイ・ジャチュンにやれる時間は三日、いや、実際には二日半だ。

この計画に一寸の狂いも許されぬ。
何度もなぞり上げた筋書きを、今一度頭で辿る。

康安殿の障子越し、殿舎は陽射しで溢れている。
初夏の日差しは障子越しにも眩しく鮮やかに、胸の奥まで清められるほどの明るさで降り注ぐ。

その日差しの中、王様の玉座の階の下。
平伏したイ・ジャチュンの一挙手一投足を注意深く見つめる。

目の動き、息遣い、指先一本に至るまで。
二心はないか、肚で別の謀りを巡らせていないか、その挙動に怪しき影は全くないか。
王様を裏切る気配があれば、今この場にて斬り捨てる事を、王様にはお伝えしてある。

「頼んだぞ、イ・ジャチュン」
「有難き光栄に存じます。身命を賭しお仕え致します」

深く一礼したイ・ジャチュンは平伏したまま、玉座を立ち階へ進まれた御手より、宣旨の巻物を両手で賜る。
そのイ・ジャチュンの横に立つチュンソクが、無言のまま此方に向かい視線を投げる。
その視線を受け微かに顎で頷き、そのまま視線を王様へと向ける。

始まる。

最後に俺の視線を受けた王様が、平伏したままのイ・ジャチュンへ穏やかに張ったお声を掛けた。
「全州李氏、李 子春よ」
「はい」
平伏したままのイ・ジャチュンより、くぐもった声が返る。
「蒙古ダルガチ、及び双城総管府千戸長を、代々世襲しておるな。
双城総管府を元へと売り飛ばした趙暉の子孫として」

一言ずつ区切り、はっきりと発せられた王様の御言葉。
平伏姿勢を取り続けるイ・ジャチュンの背が揺れた。
チュンソクの剣腕が、さりげなく静かに刀に掛かる。
まだだとこの眸で諌めると、その腕の動きが止まる。

「・・・おっしゃる通りです、王様」
イ・ジャチュンは未だ平伏姿勢のままで言った。
「そなた、現状に満足か」
王様のその御声に
「現状で御座いますか」
目の前のイ・ジャチュンが返す。

「そうだ。己が国の中に他国の城があり、その国に支配される。
そんな現状で満足かと余は今そなたに問うておるのだ。故に答えよ。
そなたの祖先が作った双城総管府の現在の在り方、そなたは満足か」

王様が言葉を区切られ、ゆっくりとイ・ジャチュンへ一言ずつお問い懸けになる。
知らぬとは言わせぬ、王様が何を問うておられるか。

「王様、畏れながら納得は致して居りません。現在の在り方は間違っていると存じます。
我が高麗は王様を国の王とし、己で立つべきです。
我が祖先とはいえ、元に対し双城総管府を作る口実を与えた事、高麗への裏切りとし、恥ずべきと思っております」
イ・ジャチュンがはっきりと王様へ返答する。

「恥ずべきと、思っておるとな」
王様は再び、ゆっくりとそう繰り返された。
「はい」
そう頷く何処までが本心か。目前の対話にイ・ジャチュンの肚内を推し量る。
祖先に対し裏切り恥ずべきと言った、その心意気や善し。
王様から下された宣旨の内容を知りながら受けた以上、元より与えられた特権、双城総管府への執着はすでに薄。

寧ろ目の前に差し出された中央の官職の餌に興味が沸いたか。
推進力を失った元の手先とし、所詮地方の双城総管府で燻るのに飽いたか。
祖国への裏切り者の汚名を継ぐよりは、心機一転、中央での巻き返しを図ると決めたか。

ならば官職の餌を与え続ける限り、裏切る可能性は低い。
二度も裏切り者と呼ばれたくはなかろう。
俺は王様に微かに頷く。視線を受け王様が頷き返す。

「ではイ・ジャチュンよ。そなたに祖先の成した過ちを 雪ぐ機会を与えよう」
「ご聖恩、有難き限りです。何を成せば宜しいですか」
「双城総管府を奪還する。内より門を開ける手配をせよ」

王様の玉座の階の下。
床に平伏したイ・ジャチュンが初めてその顔を上げ、王様に面を見せた。
俺とチュンソクそれぞれの剣腕が、静かにそれぞれの腰に構えた剣柄へと伸びる。

まだ音はさせずにおく。さあ、どう返答する、イ・ジャチュンよ。

「畏まりました王様。急ぎ戻り、すぐに手配を。
今後は私と共に息子のソンゲが、命を賭してお仕え致します」

即答したイ・ジャチュンの声を聞き、構えたそれぞれの剣腕はゆっくりとそれぞれの体の脇に戻る。

王様の視線が真直ぐこちらに降りてくる。
それを受け止め僅かに頷いてチュンソクを見遣る。
最後に額に薄らと汗をかいたチュンソクは他の誰にも届かぬほど細く、胸の息を吐いた。

「ではイ・ジャチュン殿。早速ですが某よりいくつか伺いたき儀が。
宜しいですか、王様」
話が終わったところで口を開く。
王様はわざとらしく目を見開き此方を眺めた。

「大護軍が確認したき儀とな。良いか、イ・ジャチュン」
「何なりと、王様、大護軍」
イ・ジャチュンはそう言って今までよりも更に低く、その体ごと床へと平伏した。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    さらんさん、今宵も素敵なお話をありがとうございます。
    ふう~、緊張しました。
    読む側もじっと息を殺して見守る精神戦は、小さくドキドキしちゃいます。
    片唇をあげて、ヨンの表情を伺いつつ問いかける王様が、目の前に居るかのようです。
    ああ、またまた続きが楽しみです。
    さらんさん、今日は暑い一日でしたね。
    お互い、水分補給しましょうね。

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    >muuさん
    こんばんは❤超遅コメ返となり、申し訳ありません・・・
    王様のキメ顔といえば、あの口端を歪めた笑顔@さらん設定ですが
    たまに書きたくなります。心からの笑みを。
    近いうちに、書ければなあ・・・と。
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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