信義【三乃巻】～弐～　篝火花・8

俺は、凍った湖にいる。

どこかで見たあの景色だ。
色がなく音がない、ただ無彩色の世界。
全ては冷たく凍りつき、俺の呼吸も足音も吸い込む無音の白い闇だけが続いている。

いつか見た、何かを探している。
そうだ、俺は何かを探している。

少し離れて父上が、湖に釣糸を垂れている。

「見つからぬのか」
釣り糸を垂れ、穏やかに微笑んで、父上が俺に問われる。

「探し物は、何でしょうか」

父上に聞かねば、教えて頂かねば。
そう思い湖の上を、父上に向かって歩きだす。

その瞬間。
分厚く凍っているはずの湖の氷は俺の足の下、薄い硝子のように脆く砕けた。

俺は湖に落ちた。
果て無く昏い水が、 下へ下へと鎧を引いていく。
俺は冷たい水中で足掻く。

駄目だ、絶対に死ぬわけには行かん。
駄目だ、死ぬわけには行かん、絶対に行かん。

受け取ったものが、探しているものがある。
思い出した。ここにあるのだ。だから。

透き通る青い水の中、ひたすら俺は必死にもがく。

噎せ込みながら目を開ければ

次に見えたのは明るく暖かい日差しの中、微笑む父上の眼差しだった。

「どうした」

俺は周囲を見回す。ここはどこだ。
先程までの白い闇はどうした。あの灰色の冷たい湖は。

「氷は、溶けたのですか」
「夢でも見たのか」

その父上の声に立ち上がる。

青い空。咲き乱れる、名も知らぬ花々。
のびのびと空へ、その腕を伸ばす木々。
囀る鳥たち。空を舞い落ち遊ぶ花びら。
鮮やかな色彩の、その暖かい空気の中、碧の水を湛える静かな湖の畔で立ち上がり、もう一度湖を見る。

そんなはずはない。

「湖は一面、凍っていたはずです」
父上は俺の横で立ち上がり、首を振る。

「一度も凍った事などない」
一度も凍った事などない。 一度も。
「見よ、変わらぬ景色だ」

父上は実に満足げな笑顔で、穏やかな湖面をゆったりといつまでも眺めておられる。

**********

浮かび上がるように夢より醒める。
獄の床の上、仰向けになったまま天井を見遣る。

高い獄の天井より差し込む その陽は眩しく、暖かく照らしている。

この眸の中に薄らと、水の膜が張っている。

胸の上にあの時見つけた、 小さな鼠が乗っている。

俺の前髪が、瞬きするたびに、 目の周りに刺さる。

たとえ鎖に繋がれようと、 俺の指先はゆっくりと動く。

この体の端々までが、生きている。

俺は探していた。何かをずっと。
受け取ったもの、探し出したもの。
そして思い出したもの。

あの色の溢れる、世界の中で。

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