2014.12.07 ■偽嫁御【長編】さらん

偽嫁御｜ 20（終）

「チェ・ヨン様」

来ると思っていた。此度は驚きはない。

迂達赤兵舎ではなくこうして宅に来たのには、騒動を避けられたと有難さすら感じるほどだ。
遣いを門で待たせ一人で玄関先に立った赤い唐衣。
其処へ向け、俺は頭を軽く下げた。

雪の中に咲く山茶花と、緑の糸杉。
雪景色の中佇む赤い唐衣は今、如何に目に華やかでも、何処か侘し気に見えた。

「このような場所まで」
そう言った俺の顔に、御息女は目を向ける。
そして襟元より一通の書状を抜き、此方に向けて差し出した。

「先日チェ・ヨン様より頂いた婚書です。お返しに上がりました。
破談とさせて頂きます、勿論の事」
頷いて差し出された書状を受け取り、懐へ仕舞う。
「これを認めていらっしゃる時より、あの日の全てを、頭の中で計じておられましたか」
「はい」

そう言って頷く。嘘で誤魔化す気もない。
目の前の御息女もそれは分かっておろう。
「左様でございましたか」
御息女はそう言って息を吐く。
その唇から凍てつく空気の中に、細く長く、白い雲が吐き出される。

「はい。しかし違えると決めていたとはいえ、己の名を書き添えた約束は約束。
守れとおっしゃるならば守ります」
つと此方に目を戻すと、御息女は微かに首を傾け俺を見上げる。

「結構です。遠慮いたします。
あのように大切にされている方と、肩を並べるのは」

首を振る御息女の肩に、さらりと黒髪が流れた。
そして表情を改めると、御息女は次に訊ねた。
「これから、父や他の重臣はどうなりますか」
「某は存じませぬ」

本当に知らぬ。詮議は既に始まっている。
此度はかなりの数の重臣が関わっていた。
全てを罷免すれば、皇宮が機能不全に陥るやも知れん。
それを考えぬ王様ではない。
しかし此度関わった重臣たちは降格、下手をすれば官位剥奪は避けられぬだろう。
それしか判らん。そしてそんなことは目の前の御息女にも、察しはついておろう。
敢えて其処に塩を塗り込むことはせずにおく。

「父の事を、お許し頂けますか」
御息女の問いかけに俺は首を振った。
「お許しすることは出来ます。
しかしお言葉を忘れることはできません」
「そうですか」
「はい」
「貴方様を絡め取ろうとし、逆に絡め取られました。父も、他の重臣も」
「しかし御息女は、これで自由になれます」

そう言えば驚いたように、黒真珠の目が俺を見る。
「御息女の慕われる方が結局の処、御息女をこうして自由にして下さいました」

そうだ、あの時屋敷を見なければ。
そして元の皇子の話を聞かねば、此処までの話にはならなかった。
嗅ぎ付けたからこそ調べようと思うた。
調べたからこそ絡繰りに気付いたのだ。

「自由など」
俺の言葉に、御息女は皮肉げに微笑んだ。
「籠に入れられた鳥は、その中でだけ囀るからこそ愛でられます。
籠を無くし空に放されても、飛び方さえ分かりませぬ。違いますか、チェ・ヨン様」
「某のような無粋な武人には判りかねます」

そう言って俺は首を振った。
「しかし己の手にのみ慣れた小鳥は、事の他愛しきもの。
まして一度手放したと観念した小鳥が戻れば。
再び手放すなど恐ろしく、考える事すら出来ませぬ」

そうだ。
飛び方すら知らぬ小鳥が懸命に飛び、この手に戻った時。
その息が止まるほどの嬉しさだけは俺にも判る。
「そうですか」
俺の言葉に御息女は微かに苦笑した。
「はい」

俺と同じ結末が待つとは限らぬ。何も断言は出来ぬ。
それでも己の手に戻った小鳥を疎ましく思う男などおるだろうか。
「長々と失礼しました。これにてお暇致します」
御息女は目を外し、そう言って頭を下げる。
「お元気で、チェ・ヨン様」
「御息女も」

御息女が門を抜けるまで、玄関先で頭を下げる。
やがて門先に停められた馬車の車輪が軋み、動き始めた気配に顔を上げた。
息をつき、宅へ入ろうと勢い良く玄関の扉を開き一歩踏み込んだ途端。
その扉にぴたりと寄って立っていた小さな体を突き飛ばしそうになり、慌てて引き寄せる。

「イムジャ、何故」
ああ、何故も何も。
俺は愛おしさに笑い出す。
こっそり聞き耳など立てず、堂々と玄関を開け俺の横で胸を張っていれば良いものを。

「何故俺の横に居らずに、こんなところで」
「だって恥ずかしいじゃない」
「何がです」
「何って、あんな綺麗なお姫様だし」
「あなたの方がよほど綺麗でしょう」
「それは言い過ぎよ」

その白い小さな頬が、耳朶が、ぱっと朱に染まる。
「あなたを、疑ってたわけじゃないのよ」
「はい」
「並ぶのは恥ずかしかったの、あのお姫様と。でも何を話してるのかなあ、って」
「此処に隠れるのは、恥ずかしくないのですか」
「ばれなきゃ、何もなかったのと一緒じゃない」
「ばれました」
「･･･だから今、泣きたいほど恥ずかしいわよ」

ああ、この方も。
「イムジャ、ご存じか」
「何を」
「あなたの今の、その気持ちです」
俺はようやく抱いていた体を離し、真直ぐに小さな体を起こし直す。

「それを悋気と呼びます」
「りん、き？」
「そうです」
「･･･悋気」

初めて耳にしたらしき言葉を、口の中で呟くその顔。
俺はいつでもその黒い熱い塊を、胸の隅に抱えておるのだ。
あなたもたまには味わってみれば良い。
そして此処に居る俺に触れ、心より安堵し、信じてもらえればそれで良い。
「ねえ、ところで小鳥の話」

その問いに俺は顔を赤らめる。
「あなたは硯やら文字やら、何でも詳しいし上手だけど、もしかして小鳥も飼ってたの？
香港･･･えーっと、元の外れ？のお寺では、小鳥で占いをする、有名なお寺があるらしいけど」
「･･･そんな寺は、存じません」

占卜に小鳥を用いる寺など知らぬ。
長い季節の後で俺の手に戻り喜ばせた小鳥は、あれが何の話だったか全く気付いて居らぬのだ。

それが証に
「小鳥が飼えるなら、飼うのもいいかな。素敵よね、朝、2人で鳥の声で目が覚めるなんて。
でも留守がちだから可哀想よね･･･やっぱり、止めようか」
呑気にそんなことを言う。

「俺はこれ以上、小鳥はいりませぬ。ぴいちくと煩いばかり」
「･･･なんで突然、不機嫌なの？」
沓を脱ぎ音高く玄関からの廊下を歩きだす背を、慌てたように小さな足音が追ってくる。
俺の小鳥には、全く困ったものだ。

その姿を廊下に置き去りに、俺は暖かい居間へと戻って行った。

【偽嫁御～ Fin ～】

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御読み頂き、本当にありがとうございました。
【偽嫁御】　篇、終了です。
これが一服処だったなどと、何と無謀な。
（本当は、もっともっと短いお話でした）

次回よりの進め方、考え中です。
よろしければまた覗いてみて下さい♪

69 件のコメント

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ハァー！良かった(^w^)
も～、ハラハラ、ドキドキの話でした。
なんか、お姫様も幸せになって
ほしいな( ´∀｀)二人か幸せだから
私も幸せです(///∇///)
じかいさ次回作も、楽しみに待ってます。
私の乙女心を刺激してやって下さい(^w^)

69 件のコメント

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