「チュンソク」
大護軍が兵舎に戻った途端に呼ぶ声を聞き、俺は慌てて駆け寄った。
「どうしました」
俺の問いに、少なくとも表面上は至って平然とした様子で、大護軍が返す。
「婚約式を執り行う」
「・・・・・・は?」
今、何と言った。耳鳴りか、空耳か。
「枢密院使宰枢の息女と、婚約式を執り行う」
余程呆けていたか、俺の顔を見、大護軍が繰り返す。
俺は氷柱を飲んだよう、その場で動けず棒立ちになる。
鉄槌で頭を力一杯殴られたよう、一気に血が音を立てて下がる。
とてもではないが、正気の沙汰とは思えん。
「正気なのですか」
「至って」
「何故ですか」
「説明は後だ。迂達赤精鋭、全員式に参加しろ」
「選び抜いても、七十名は下りませんが」
「全員だ」
「本気ですか」
「おう」
「・・・策があるのですね」
「なければやらん」
そうだ、この人はそういう人だ。
そしてこれ以上聞けば、次は怒りだす。
「何をすれば良いですか」
「塗盆と外套を用意しろ。正装の鎧を磨いておけ。この後一刻したら、王様のところへ一人で来い」
それだけ言って踵を返し兵舎を抜ける大護軍の背を、俺は黙って見送った。
**********
大護軍の突然の謁見の申出。
先日のようにならねば宜しいですが。ドチが心配気に呟く。
あの北方出征の申し出の騒動の事か。
その心配はあるまいとドチを抑える。
医仙との大きな障害を越え、今の大護軍はいつにも増し迷いを吹っ切った様子。
そう伝えればドチも頷き、大護軍を御通しして宜しいでしょうかと寡人の許しを乞うてくる。
通せと頷き、入室を待てば。
「王様」
大護軍が部屋の扉を抜け、階の下、此方に向かい控える。
階を下りようと足を踏み出した寡人を真っ直ぐに階下より見つめ、
「某と枢密院使宰枢御息女の婚約式に、ご列席を賜れませぬか」
開口一番、目の前の大護軍が伝えた。
「・・・そなた、今、何を申した」
寡人の問いに動じる様子など微塵も見せぬ。
チェ・ヨンは今一度物分りの悪いこの君主を説き伏せるよう、ややゆっくりと繰り返す。
「婚約式へのご出席、ぜひこの我儘をお聞き入れ頂きたく。
詳細は一刻すれば改めて、お話致します」
**********
分かってもらえるか。自信はない。
それでもこうせねば、あの方はいつまでも巻き込まれる。この下らぬ争いに。
典医寺に向かい、雪の道を走る。
頼む、分かってほしい。
典医寺に駆け込み、あの方の部屋へ真直ぐ進む。
部屋の扉前で一瞬躊躇い、次の瞬間一息に開く。
「どうしたの?」
驚いたように目を開き、あなたが椅子を立つ。
今朝宅で聞いたばかりというのにその声がこの耳に懐かしすぎ、愛おしすぎて、ようやく息をつく。
「ウンスヤ」
席を立ち俺の前に回ったあなたをこれから、また傷つけるのだろうか。
それでも俺のつけた傷なら、全て俺が癒して差し上げる。
その覚悟はある。だから信じてほしい。
「大丈夫?顔色が良くない」
この眸を覗き込むその瞳を、頬を撫で脈を診るその手を、もしもこのまま失う事になれば。
今になり初めて、肚に震えが走る。
正しいだろうか。どこか読み違えてはおらぬか。
これが最良の策か。他にもっと良い手はないか。
「ウンスヤ」
それでもあなたの言葉は真実だから。
天界の民が俺を、そして父上の金言をまことに知っているのであれば。
あなたの名は、共にこう残っているはずだ。
この崔瑩が生涯で愛した、唯一人の女人だと。
だから俺を信じてほしい。
「枢密院使宰枢の御息女と、婚約式を開く」
誰よりも愛おしい、何よりも大切な。
瞼を閉じてもこの胸の中思い描ける瞳を真直ぐ見つめ、俺は告げた。
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